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2013年1月9日水曜日

もうひとりのシェイクスピア

(Anonymous)

 ローランド・エメリッヒ監督による歴史ミステリ映画です。今まで『デイ・アフター・トゥモロー』(2004年)だとか『2012』(2009年)だとか、世界が破滅するようなディザスター・ムービーの合間に、『パトリオット』(2000年)とか『紀元前一万年』(2008年)とかの歴史物も撮っているエメリッヒ監督ですが──いや、『紀元前一万年』が歴史物と云うのも如何なものか──、本作は現時点でのエメリッヒの最高傑作と断じても良さそうな気がします。
 もちろん『スターゲイト』(1994年)や『インディペンデンス・デイ』(1996年)の系列も好きなんですけど、もう世界を壊すのに飽きたのかしら。
 本作は今までのエメリッヒ監督作品とは、ひと味もふた味も違いますよ。

 描かれる題材がまた興味深い。いわゆる「シェイクスピア別人説」に則ったストーリーです。
 文豪ウィリアム・シェイクスピアについては、直筆原稿が全く無いだの、遺言にも不審な点があるだの、署名のパターンが何通りもあるだの、疑問な事が多々あり、本当に数々の傑作戯曲が本人の作であるのか疑わしいと云ったミステリアスな噂があります。
 田舎者で教育の程度も低かったシェイクスピアが本当にあれら傑作戯曲の作者だったのか。名前だけ貸していたに過ぎないのでは。
 本作中でも、一六世紀の英国では演劇は清教徒から嫌われていたという描写もあり、プロテスタントの国家では、著名人は偽名を使って戯曲を創作せざるを得なかったのだと云われると、ちょっと信じてしまいそうです(でもエリザベス女王は演劇好きだったそうで、劇場が閉鎖されたりするのは女王の没後ですが)。

 そういった別人説の中でも、恐らくシェイクスピアの正体だろうと目されているのが、オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィア。他にも、フランシス・ベーコン説と云うのもありますね。
 それから「ウィリアム・シェイクスピア」とは、ある種の創作集団の名称であり、大勢のライターが共有するペンネームだったなんて説もあったりします。
 ハロルド作石による『七人のシェイクスピア』(小学館)なんてコミックスもありますね(いや、そっちの方はまだ読んでいないのですが……)。

 私が気に入っている説は、シェイクスピアの作風がちょっと変わる頃を境目にして、メインライターの前期をフランシス・ベーコン、後期をオックスフォード伯爵とする二人合作説(藤子不二雄みたい)なのですが、本作ではオックスフォード伯爵による単独創作説が採用されております。
 また、別人説を否定する正統派の主張のひとつに、同時代の詩人ベン・ジョンソンが自作の詩集の中にシェイクスピアの追悼文を書いていることが挙げられますが、本作ではそのベン・ジョンソンすらもオックスフォード伯爵の片棒を担いでいたと云う内容になっており、色々考えているなぁと感心しました。

 本作の導入部は英国の名優デレク・ジャコビが務めます。どうも本人役のようで、ドラマのナレーションも兼ねています。
 物語の全体が舞台劇になっており、冒頭でデレク・ジャコビが舞台上から観客に向かってシェイクスピアにまつわるミステリーを解説し、「そのひとつの解釈をこれから皆さんに披露しましょう」と語りかける。果たして嘘か誠か──。
 そしてそのまま舞台劇が中世のドラマに突入していくと云う趣向。場面がシームレスに繋がっているのが秀逸です。

 本作では主役のオックスフォード伯爵役がリス・エヴァンスです。どこかで観ている筈なのによく思い出せませんでした。
 『ハリー・ポッターと死の秘宝』(2010年)で登場したルーニーちゃんのパパか。でも一番、印象深いのは『アメイジング・スパイダーマン』(2012年)のコナーズ博士(怪人トカゲ男)ですねえ。
 ベン・ジョンソン役がセバスチャン・アルメスト。こちらはよく存じませんです。ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』(2006年)にも出演されているそうですが。
 そして無能なくせに表向きの作者の顔を演じるウィリアム・シェイクスピア役がレイフ・スポール。『ワン・デイ/23年のラブストーリー』(2011年)や『プロメテウス』(2012年)でもちょこっと出番がありましたが、本作のシェイクスピア役はなかなか印象的です。
 ヘタレの役者のくせに、次第に有名劇作家の役が板に付いてきて大胆になり、オックスフォード伯を脅迫し始めるまでになる。しまいには本当に世紀の文豪らしく振る舞い始める図々しい男を演じています。

 一方、体制批判の手段ともなる演劇を取り締まり、オックスフォード伯爵の邪魔をする悪役がウィリアム・セシル卿とその息子ロバート。
 史実では名宰相と云われ、ケイト・ブランシェットがエリザベス女王を演じた『エリザベス』(1998年)にも登場しておりました。あちらのセシル卿はリチャード・アッテンボローが演じる善人でしたが、本作に於いては悪役です。
 『ハリポタ』ではルーピン先生だったデヴィット・シューリスがウィリアム・セシル卿を演じております。『アウンサンスーチー/ひき裂かれた愛』(2011年)ではスーチー女史の献身的な旦那さん(と双子の兄も)を演じておられましたが、本作での悪党演技も素晴らしいデス。

 そして当然、エリザベス女王も登場します。
 シェイクスピアとエリザベス女王が登場する映画と云うと、やはり『恋におちたシェイクスピア』(1998年)が思い出されます。あちらではエリザベス役はジュディ・デンチでした。
 他にもヘレン・ミレンもエリザベス女王を演じていたり(ヘレンは一世と二世の両方とも見事でした)、やはり英国女優であれば一度はエリザベス女王役が回ってくるものなのか。
 本作でエリザベス女王を演じるのは、名女優ヴァネッサ・レッドグレイブ。これもまた威厳のある女王様です。
 ドラマ上、回想シーンが多用されるので、若かりし日のエリザベスや、オックスフォード伯が何度も登場します。本作ではエリザベスが若返ると、本当にヴァネッサ・レッドグレイブが若返ったようで、感心しました。
 演じていたジョエリー・リチャードソンがヴァネッサの実の娘だったと知って納得です。そりゃ似てる筈だわ(リチャードソンは父方の姓のようで)。

 貴族でありながら文才に恵まれ、若き女王に憧れながら数々の戯曲を書きまくる若きオックスフォード伯爵。
 実はシェイクスピアが傑作を次から次へ量産できたのは、四〇年も前からオックスフォード伯が書き溜めていたからこそ出来たのだという解釈が面白いデス。
 また、どこかで見たようなシチュエーションが回想シーンの中に描かれ、シェイクスピアのファンであれば「あの戯曲はこの事件がきっかけで生まれたのか」と察することが出来るようになっているのも巧いです。
 このあたりの演出は『恋におちたシェイクスピア』と同じですね。マニアなら散りばめられたネタを幾つも発見して楽しめることでしょう。

 ところで、本作では女王の側近として登場するのはウィリアムとロバートのセシル親子のみ。レスター伯(ロバート・ダドリー)も、フランシス・ウォルシンガム卿も既に亡くなっているようです(でも回想シーンにも出番なしとは残念な)。
 代わってエセックス伯とセシル親子の権力闘争──と云うか、一方的にエセックス伯が罠に嵌められ謀反容疑で斬首される──がドラマの中に取り入れらております。このときエセックス伯と行動を共にしていた盟友サウサンプトン伯は処刑を免れており、それが実は……と云う歴史秘話に繋がっていく。

 エリザベス女王は生涯独身を貫いたヴァージン・クィーンでしたが、何人か愛人もおり、子供を設けていたのではないかというネタも本作では幾つか採用され、ドラマに盛り込まれています。歴史ミステリとしてなかなか巧い作りです。
 実の親子でありながら名乗ることも許されず、また互いに親子であったことも知らないままだったと云うのもギリシャ悲劇を思わせるテイストです。

 またエセックス伯とサウサンプトン伯を助けようと一計を案じ、己が文才で政敵セシル親子に対抗しようとするオックスフォード伯爵の計略もサスガです。もうちょっとで成功し、歴史が変わるところだったのに惜しい。
 シェイクスピアがチョーシこいて大物ぶろうとした所為でベン・ジョンソンといがみ合いになり、巡り廻ってオックスフォード伯の計画が頓挫する展開は、事実は小説よりも奇なりを地で行くようです。
 このあたりの宮廷での権力闘争と、演劇界での確執が交錯して思わぬ悲劇が出来してしまう脚本が巧いです。史実を虚構で意味づけして、「本当はこういうことだったのだ」とまことしやかに語る手法に、うっかり引っかかってしまいそうです。

 オックスフォード伯爵の才能に圧倒され、自分の才能の限界を思い知らされるベン・ジョンソンの様子は、『アマデウス』(1984年)でモーツァルトに嫉妬するサリエリのようでもあります。秀才はどんなに頑張っても天才には及ばないのか。
 格が違うと云えばそれまでですが、自分の計画を失敗させたベン・ジョンソンに対して、恨み言ひとつ云わず、残された自分の作品を託すオックスフォード伯は、もはや俗世の小事に拘泥しない悟りの境地に達しているように見えます。

 そして時代の流れと共にウィリアム・セシルは亡くなり、女王も崩御し、オックスフォード伯もまた去って行く。
 残された伯爵の著作はどうなったのか。「何故、シェイクスピアの直筆原稿は発見されないのか」と云う理由も察しが付きます。なるほど。
 更に伯爵の死後、ベン・ジョンソンは史上初の〈桂冠詩人〉となるのですが、そこにもまた仕掛けがあるのが巧いです。伯爵の未発表作品はそこにいっちゃったようです。

 本作は脚本がよく考えられていますが、映像的にもなかなか見応えがあって興味深いです。
 時代考証に忠実なのか、ロンドン市内の様子が実に汚い。泥だらけです。
 他にも、テムズ川上の橋の上にまで家屋が建っていたり、中世の街並みの景観がリアルに描写されています。最近じゃ歴史ものにCGを使った鳥瞰的なワイド・ショットが付くのも定番演出になりましたねえ。

 そしてラストは再び、デレク・ジャコビの語りに戻ってきて、今までのドラマがひとつの演劇であったとなる仕掛けです。
 エンドクレジットにローランド・エメリッヒの名前が出てこなければ別人の作品だと勘違いしそうなほど良く出来ていました。
 ローランド・エメリッヒ別人説なんてのは──考えすぎでしょうかね(笑)。


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