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2012年7月1日日曜日

アメイジング・スパイダーマン (3D)

(The Amazing SPIDER-MAN)

 スパイダーマンが大好きです。マーヴェル・コミックスの中で一番好きだと云っても過言ではない(ちなみにDCコミックスの中ではバットマン)。昔、小野耕生のアメコミ解説本を読んで以来のファンです(遠い目)。
 「悩めるヒーロー」の草分け的存在です。まぁ、昨今はアメコミ・ヒーローもリニューアルが進み、どんどん人間味が増していく一方なので、悩みを抱えるのも専売特許ではなくなりましたが。
 その一方でサム・ライミ監督も大好きでした。何と云っても『死霊のはらわた』(1981年)シリーズの監督ですし、『ダークマン』(1990年)も忘れ難い。
 サム・ライミ版の『スパイダーマン』(2002年~2007年)はもう三作ともマイ・フェイバリットなシリーズです。
 願わくばそのまま第四作以降も製作していただきたかった。ジョン・マルコビッチ演じる怪人バルチャーが見たかったです。

 サム・ライミ版に思い入れがありすぎて、また新規巻き直しを図る意義が那辺にあるのか、マーヴェル側の真意を測りかねます。興業的にあまりうまくいかなかったシリーズなら、リブートもやむを得ないでしょう。『パニッシャー』シリーズなんてもう何度もやり直しているくらいだし、『ハルク』もアン・リー版(2003年)から間をおかずにルイ・レテリエ版(2008年)を製作しています。
 まぁ、『インクレディブル・ハルク』は〈アベンジャーズ〉構想に基づいた作品なので、それなりにリブートの意義もあるのでしょうが、本作『アメイジング・スパイダーマン』には、特にそれらしい伏線もありません。
 将来的に『アベンジャーズ2』とかとリンクするとも思えません(それともやるつもりなのか)。

 そうは云っても出来が悪いわけでは決してない。本作はサム・ライミ版の『スパイダーマン』と甲乙つけ難い面白さです。
 ビミョーに細かい設定に変更が見られますが、このあたりは双方を見比べて差異を楽しむことが出来るので、気になるほどではありません。今般のスパイダーマンも、無論「アリ」でしょう。

 気になるのはむしろ、大筋が同じままであるという点でしょうか。
 『水戸黄門』で、誰が御隠居を演じても、パターンがそれほど変わらないのと同じか。
 多少、マニアックになりますが、サム・ライミ版と異なる部分をもっと作っていただきたかったくらいでして。

 例えば、基本的なところで、ピーターの精神的な描写を掘り下げて、もっと病的なスパイダーマンにしても良かったのではないかと思うくらいです。
 サム・ライミが『ダークマン』でやったことですが、マスクを被ることで人格が豹変する点をもっと強調しても良かったように思います。
 引っ込み思案で消極的なピーターが、スパイダーマンのコスチュームを身に纏った瞬間、やたらと饒舌になる。普段のピーターなら決して口にしないような憎まれ口や、減らず口を叩きまくる。
 すべては「マスクを被る」だけの行為が原因であって、蜘蛛の特殊能力とは関係がない。匿名性を獲得した瞬間、好き勝手に振る舞い、発言内容が傲慢になると云うのは、ネット上でもよくあるハナシです。

 また、ピーターがスパイダーマンを辞められない点も、もっと掘り下げても良かったとも思います。
 サム・ライミ版では「大いなる力には大いなる責任が伴う」のであると云う、亡き叔父との約束を守り続けるという描写でした。今般のピーターも、その点はあまり変わりません。
 「それが出来る能力があるなら、やるべきである」というスタンス。
 しかし実際は、もっと病的な理由でピーターはスパイダーマンを辞めることが出来ないという解釈が原作コミックスの一篇にあり、私はそれが非常に気に入っておりまして、サム・ライミ版ではスルーされたそのあたりの理由を、今般の映画化の際には描いてくれないものかと期待しておりました。
 でもあまりにも病的だから、やはりスルーされたみたいですが。

 ピーターが警察に手配され、マスコミから批判され、人助けをしても恨まれ──親友からは親の仇扱いですよ──ても、ヒーロー稼業を辞めることが出来ないのは、強迫神経症にも似た心の病であるからだ、という解釈が私は一番気に入っております。
 大富豪の道楽でも無く、無私の奉仕活動を行う神様でも無く、ヒーロー稼業で生活できるわけでも無い貧乏学生が、世間から疎まれ続けながらもなお、辞めることが出来ないのは精神的に病んでいるからである。
 最初に犯罪を見逃したとき、何が起きたか。叔父さんが殺されてしまいました。
 これがピーターのトラウマとなって心を蝕み続けているという解釈。次に犯罪を見逃したときには、何が起きるか。今度は伯母さんか、あるいは恋人に災難が降りかかるかも知れない。

 そう考えると怖くて怖くて、スパイダーマンを辞めることが出来ない。
 一度、あまりにも世間から叩かれ、疲れ果ててコスチュームを捨ててしまうエピソードがありました。これはサム・ライミ版の『スパイダーマン2』にもあるとおりです。
 原作のコミックスの方では、その晩ピーターの夢枕に「血まみれの叔父さん」が現れ、ピーターを責めるという筋になっていたと記憶しております。
 そして良心の呵責に耐えかねて、ピーターはまたスパイダーマンになる。犯罪者を捕らえ続けていないと心の平安が得られないという、実に厄介なビョーキのヒーロー。
 ──と云う解釈が好きなのですが、一般受けしそうにありませんねぇ(汗)。

 それでも報われないまま戦い続ける市井のヒーローに、一般市民が援助の手を差し伸べるという描写は、サム・ライミ版にも本作にも見受けられ、実に胸の熱くなる演出でした。
 「一般市民に助けられるスーパーヒーロー」というのは、スパイダーマン独特のスタイルですね。これが絵になるのは彼だけでしょう。アイアンマンにも、ハルクにも、キャプテン・アメリカにも似合わない図ですね。
 また、スパイダーマンならではの機動力を活かした戦い方が、本作ではかなり強調されており、スピードと頭脳で戦う演出もナイスです。

 本作の監督はマーク・ウェブ。『(500)日のサマー』の監督ですが、アクション大作でもしっかり作品をコントロールしているのは流石デス。
 ピーター役が『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)のアンドリュー・ガーフィールド。なかなかナイーヴなピーター青年を好演しており、こういうピーターもいい感じ。
 恋人グウェン役がエマ・ストーン。『ゾンビランド』(2009年)や、『ヘルプ/心がつなぐストーリー』(2011年)にも出演されておりました。ヒロイン役としては、サム・ライミ版のキルステン・ダンストより、私は本作のエマの方が好みであります。
 脇役の中で重要なベン叔父さん役が、マーティン・シーン。サム・ライミ版のクリフ・ロバートソンも良かったデスが、本作のマーティンも素晴らしいです。

 最近のマーヴェル製作の映画に共通しているのが、原作者スタン・リー御大のカメオ出演ですが、本作にもきっちり登場してくれました。
 スパイダーマンと怪人リザードが大立ち回りしているのに、ヘッドホンの大音量でさっぱり気がつかないと云うギャグな場面。こうなると『アベンジャーズ』の方にも顔を出しているのでしょうねえ。

 音楽は大御所ジェームズ・ホーナーですね。これはまた、サム・ライミ版のダニー・エルフマンに勝るとも劣らぬテーマ曲です。実に印象的で、聞き比べると楽しいです。
 でもエンドクレジットで流れる日本版のみの主題歌──SPYAIRの「0 GAME」──なんてのは如何なものか。そんなことするなら、東映の特撮番組『スパイダーマン』の主題歌の方が個人的には燃えるのですが。

 本作は3D映画として上映されておりまして、その所為か割と高所から見下ろす構図になる場面が幾つも挿入されております。そりゃあスパイダーマンですから。摩天楼を飛び回るシチュエーションは、3Dには格好の材料でしょう。
 個人的には3Dで無くても良いように思われましたが、何カ所かは結構、効果が感じられました。

 エンドクレジット前に、続編を匂わせるような一幕が入るのも、もはやお約束でしょう。これが本作きりで終わりだなんて、信じられるわけが無い。
 マーク・ウェブ版スパイダーマンも、最低三作は製作して戴きたいですね。
 そのうち〈アベンジャーズ〉シリーズともクロスオーバーすることを期待しております。


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