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2012年6月30日土曜日

ワン・デイ/23年のラブストーリー

(ONE DAY)

 親しい男女の仲で、肉体関係抜きに友情を育むことは可能か──と訊かれると、メグ・ライアンとビリー・クリスタルが共演したロマンチック・ラブコメディ『恋人たちの予感』(1989年)を思い起こしてしまうのですが、本作はイギリス版『恋人たちの~』と云えないこともない(ちょっとチガウか。それに本作はアメリカ製ですし)。
 とある男女の長きにわたる関係を描こうという趣向で、一九八九年から二〇一二年までの時代の変化も併せて描かれます。背景の世相の変化がなかなか興味深い。経過する時間はほぼ四半世紀。ちょっとした歴史ですね。
 物語としては、常に毎年の七月一五日のみの出来事だけで綴られていくわけで(途中で少し端折られたりもしますが)、その間に何があったのか伺い知れるような仕掛けが巧いです。
 監督はロネ・シェルフィグ。『17歳の肖像』(2009年)の監督さんですね。
 原作はデヴィッド・ニコルズの同名ベストセラー小説であり、脚本も原作者御本人。

 七月一五日というと、イギリスでは「聖スウィジンズ・デー」と云い、聖スウィジン(九世紀頃の人物で、ウィンチェスターの司教)の記念日だとか。マザーグースにも歌われておりますが、この日が晴れか雨かで、以後の四〇日間の天気が決まるそうです。
 この日が晴れると四〇日間晴れが続き、雨が降ると四〇日間雨続きとなるそうな。
 もっともストーリーの方と聖スウィジンは、まるきり無関係です。たまたま主人公達の記念日に指定された日がこの聖人の日だったので、「この日には連絡を取り合おう」という約束が忘れられること無く続けられたという次第。

 本作の主演はアン・ハサウェイとジム・スタージェス。
 アン・ハサウェイは近年だけでも、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)や、『ラブ&ドラッグ』(同年)でお見かけしましたし、次作『ダークナイト ライジング』(2012年)の公開も間近い。本作も、アン・ハサウェイ出演作なので観に行ったのデス。米国女優でありながら、英国女性を演じて違和感なしです(台詞も全編イギリス英語らしいです。私にヒアリング出来ませぬが)。
 ジム・スタージェスは生粋の英国人。『ラスベガスをぶっつぶせ』(2008年)や、『正義のゆくえ/I.C.E.特別捜査官』(2009年)以来ですねえ。年齢的には二人は大差ないそうですが、何となくアンの方が貫禄があるように見えてしまいます。

 まずは冒頭、二〇〇六年七月一五日のアンの姿をチラリと見せてくれます。ちょっとダサい水着姿でも堂々としているアンがいいですね。アンは『ラブ&ドラッグ』での脱ぎっぷりもお見事でしたが、本作でも際どい下着姿やら、「裸で泳ぐ」場面なんかも披露してくれます。『ヤング≒アダルト』(2011年)のシャーリーズ・セロンと同様の女優魂を感じます。
 ジムからの連絡を受けて、待ち合わせの場所まで自転車で向かうアン。

 そして物語は発端となる一九八九年の七月一五日へ。二人の大学卒業から始まります。
 本作に於ける主人公は、最初から最後までアン・ハサウェイとジム・スタージェスが演じております。初々しい青年時代から、子持ちの中年に至るまでの演じ分けも見事です。
 年齢を隠す為か学生時代のアンは丸い眼鏡をかけています。これがなかなか可愛らしい。
 徹夜の卒業パーティも明けて、これからは別々の道を歩むことになる二人。このとき、もう少しだけ勇気があれば、思い切りが良ければ、タイミングが合ったなら、恋人同士にもなれたかも知れないというもどかしさが堪らんですね。観ているこちらが身悶えしそうなくらいぎこちない。
 そしてちょっとしたタイミングのズレから、以後の長い長い回り道が始まることになる。

 作家志望のアンはロンドンへ出て、バイトをしながら独身生活を始める。一方、ジムの方はメディア関係の職に就く。
 数年後、ジムはTV司会者となって華々しい活躍を始めるわけですが、深夜の低俗番組の司会者というのが哀しい。もう無理して「軽薄で俗悪なキャラ」を演じている。
 本人は頑張って与えられた仕事をこなそうと必死なのに、周囲の無理解に悩み、両親のウケも最悪(そりゃそうか)。母からは「立派で礼儀正しい大人になって頂戴」と懇願される始末。

 このジムの両親役が、ケン・ストットとパトリシア・クラークソン。安心の配役です。
 特にパトリシア・クラークソンは、ラブコメで母親役になるのが十八番のようなお方です(いや、決してそれだけの人ではないし、演技も達者な女優さんですが)。米国では本作と前後して公開されたもう一本のロマンチック・ラブコメディ『ステイ・フレンズ』(2011年)でも、主人公の母親役でした(あっちのカップルはジャスティン・ティンバーレイクとミラ・クニス)。
 そう云えば『ステイ・フレンズ』の命題は、本作とは真逆の「セフレ同士でも友情は成立するか」でしたね。

 時代を感じさせる演出として、携帯電話にまつわる会話が面白いです。ジムの方はギョーカイ人らしく先端のIT機器を使っているが、アンの方は「有害電磁波が心配だわ」なんて云ってる。最近は「有害電磁波」なんて言葉はとんと耳にしなくなりましたねえ(電磁波が怖くてスマホが使えるか!)。
 また流行りの映画で時代を表すという演出が、映画ファンには楽しい。二人で『死霊のはらわた3/キャプテン・スーパーマーケット』(1993年)を観たり──これはデートでは無いと云いたいのか(笑)──、『ジュラシック・パーク』(同年)のプレミア試写会に招待されたなんて台詞も飛び出します。
 机の上のPCもiMacが順調に進化していく様子で、時代の流れを表現しています。売れない作家の卵なのに、PCだけは新型が出ると買い換えるのか(プロを志すから道具に拘っているんですよ)。

 そうこうしながら二人の付き合いは続く。二人だけで毎年プチ同窓会を開いているようです。
 それでも恋人関係には発展せずに、「いい友達」であり続ける。なかなか出来そうで出来ないことですねえ。
 しかし遂に、この二人の関係も一時的な破局を迎えます。原因は男の方にある。
 ジムの俗悪番組司会者の仕事はそれなりに続いていたが、あまりにキャラを造りすぎ、長く続ける為に刺激的な言動を重ねすぎた所為で、世間から〈低俗キング〉とまで呼ばれ、すっかり「あの人はそういう人だ」という目で見られてしまうようになる。当然、友達付き合いはない。人間関係は仕事上の関係ばかりとなり、プライベートではすっかり孤独に。
 数年経つうちに、ジムの母親も癌を患いお亡くなりになり(本作のパトリシア・クラークソンは出番は少ないけど、なかなか印象的です)、父とはすっかり疎遠になってしまう。
 もはやアンとの毎年の同窓会だけが心の頼りとは情けない。しかも一方的にジムの方ばかりがグチり続けて、アンはそれを聞かされるのみ。どんなに親しい友達でも、そりゃ付き合いを考え直すわな。

 九〇年代後半から二〇〇〇年になるまで、断絶期が訪れます。
 このときのジムの落ちぶれようが惨めです。結局、〈低俗キング〉からの脱却が出来ず、年齢的にも三〇を過ぎて、番組も新鮮さを失い、視聴率が低迷し、悪循環的に落ちぶれていく。やがてTV局としても使い途が無くなり、解雇。どん底を味わう羽目に。
 数年後、大学時代の友人の結婚式でアンとジムは再会することになるワケですが、お互いに別の男と同棲していたり、別の女性との結婚が決まっていたりします(デキ婚ですが)。

 友情は回復するものの、過去の反省から付き合いはもう少し穏やかなものになる。
 観ている側としては、ジムがこの結婚で幸せになるとはどうしても思えませんです。「顔に皺が出来るから」という理由で笑わない女性よりも、豪快に笑い皺を作っているアンの方が、余程好ましいデス。
 翌年、遂にジムは子持ちになり(女の子だ)、育児にヘトヘトと云う描写は理解できます。しかし赤ちゃん相手に、ぬいぐるみを並べて『スパルタカス』の寸劇を見せると云うのは、如何なものか(笑)。

 その後も二人の人生は浮き沈みを続け、アンの方は同棲の破局、パリへの引越、ジャズピアニストと新たな恋などを経て、遂に作家デビュー。ジムの方は奥さんの不倫が原因で離婚、定期的に娘と面接する生活を送っている(いやはや)。
 紆余曲折を経て、ようやくお互いの関係を見つめ直すことに成功し、二〇〇四年にゴールイン。やっとか。もう遅すぎるくらいですよ。結婚するのに一五年も待たせてくれるとは。
 それにしても一体、この物語はどこまで続くのか。二三年を待たずしてハッピーエンドぽいのですが。

 そして冒頭の二〇〇六年に戻ってくる。自転車で記念日の待ち合わせ場所に向かうアン。
 そこでイキナリの交通事故。
 最近はCG合成が精巧になった所為か、『ファイナル・デスティネーション』(2000年)かとツッコミたくなるくらい突然かつショッキングに、アン・ハサウェイが全力でトラックにはね飛ばされます。エゲツない。
 やさぐれ、虚ろになるジムが哀れです。
 愛するものを失ったジムに、今まで疎遠だった父が語りかける言葉が沁みます。
 「亡くなったことを無理に自分に納得させる必要は無い。生きていると思い続ければいい。少なくともワシは母さんが亡くなってから一〇年、そうしてきた」
 ケン・ストットの燻し銀の演技が光ってます。

 人生は誠に山あり谷ありです。小さなレストランを開業するジム。
 一九八九年と二〇一二年がオーバーラップするラストシーンが印象深いです。
 ウィンチェスターの街を一望する丘からの眺めは今も昔も変わらない。若者だったジムとアンが丘を駆け下りていく姿と、父親になったジムが娘と一緒に丘を登ってくる姿が交差する(あの赤ちゃんがすっかり大きくなって!)。
 パパの若い頃を娘に語って聞かせるシーンはいい場面です。しかし本作はどう考えても、軽いラブコメと云うよりは、味わい深い人生ドラマですねえ。
 エルヴィス・コステロの歌う主題歌が、ジムの心を代弁しているようでなかなかに切ないです。




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