2016年8月12日金曜日

ハイ・ライズ

(High-Rise)

 英国のSF作家J・G・バラードによる同名小説の映画化作品です。まさかこれが映像化される日が来ようとは予想しておりませんでした。
 いや、別に映像化が不可能だとか、壮大すぎて一本の枠に収まらないとか云うものでは無く、ええと……それほど有名とは云えない──かなりマイナーかな──作品と云うだけのことでして。かつてハヤカワSF文庫から翻訳が出ておりましたが、長らく絶版状態でしたね。
 本作の公開に合わせて、今度は創元SF文庫から復刊されました。まずはめでたい。

 近年、不意を突いたように映画化される作品があって、なかなか油断がならんです。
 ハインラインの『輪廻の蛇』が、イーサン・ホーク主演で『プリデスティネーション』(2014年)として公開されたり、スタニスワム・レムの『泰平ヨンの未来学会議』が、ロビン・ライト主演で『コングレス未来学会議』(2013年)として公開されたりしております。
 題名は翻訳されたものと統一して戴きたい。さもないと気付かずスルーしちゃいます(汗)。

 その点では、本作は題名がそのまんまなので助かりました。
 それにしてもバラードの作品を映画化するに当たって、『ハイ・ライズ』を持ってくるとは意表を突いておりますね。バラードと云えば、「破滅三部作」では無かったのか。もう古いデスカ(年寄りのSF者ですから)。
 それにイマドキ、『強風世界』とか『沈んだ世界』とか映画化しても仕方ないか。昔は「破滅SF」と呼ばれていましたが、今じゃ映像化しても単なるディザスター・ムービーにしかならんか。
 もうローランド・エメリッヒ監督の諸作品があるのに、意味ないですねそうですね。
 でも、『結晶世界』くらいなら……(まだ云うか)。

 バラード原作の映画化作品で一番有名なのは、スティーヴン・スピルバーグ監督による『太陽の帝国』(1987年)でしょう。クリスチャン・ベールが若かった(まだ子役ですもの)。
 しかし『太陽の帝国』は自伝的小説であって、SFではない。
 次がデヴィッド・クローネンバーグ監督による『クラッシュ』(1996年)。これもまぁ、SFではないか。自動車事故とフェチシズムですから。異様なストーリーではありますが。
 とりあえず、映画化されているのは、この二作だけ。そして三作目が本作。

 これでバラードの著作の中では、「テクノロジー三部作」と呼ばれるものの中から二作が映画化されたことになります。『クラッシュ』、『ハイ・ライズ』とくれば、そのうち『コンクリート・アイランド』も映画化される日が来るのかしら。
 おかしい。『ヴァーミリオン・サンズ』とか映画化されないのか。今ならCG特撮も簡単ですよ。あまり受けませんか。それより『終着の浜辺』とかの方がいいのかしら。
 そもそも、SFと云っても「ニューウェーブSF」と呼ばれていた小説が多いデスし(七〇年代はね)、もはや「ニューウェーブ」でもないか。今では単なるシュールで奇妙な小説か。
 もうちょっとエンタメ的なSFにしてもらえると嬉しいです(バラード原作でそれは無理)。

 バラードの小説を映画化するに当たって、監督がスピルバーグ、クローネンバーグと続き、三人目となるのがベン・ウィートリーです。
 『キル・リスト』(2011年)や、『サイトシアーズ/殺人者のための英国観光ガイド』(2012年)の監督さんですが、未見デス。TVシリーズ『ドクター・フー』の監督でもありましたか。

 監督には馴染みがないが、出演している俳優さん達には見知った顔が多いデス。本作はイギリス映画ですので、英国人俳優が多いデスね。
 トム・ヒドルストン、ジェレミー・アイアンズ、ルーク・エヴァンス、シエナ・ミラー、エリザベス・モスといった皆さんです。うーむ。J・G・バラードの小説が、トム・ヒドルストン(以下、トムヒ)主演で映画化されるとは意外でしたね。

 トムヒは専らアメコミ映画『マイティ・ソー』シリーズでのロキ神が馴染み深いデスが、最近はロキの出番が少なくて寂しいですね。近いところだと、ギレルモ・デル・トロ監督の『クリムゾン・ピーク』(2015年)に出演されていましたね。
 ジェレミー・アイアンズもアメコミ映画『バットマン vs スーパーマン/ジャスティスの誕生』(2016年)で万能執事アルフレッド役だったのが記憶に新しいです(アメコミ映画つながりが多いな)。
 ルーク・エヴァンスは、トールキン原作の『ホビット』シリーズで弓の達人バルド役だったり、『ドラキュラ ZERO』(2014年)では主役のヴラド大公を演じていましたね。
 三人とも結構、私好みの映画によく出演してくれるので嬉しいデス。

 一方、女優陣の方はそれほど馴染みがあるわけではないです。
 シエナ・ミラーは近年では『フォックス・キャッチャー』(2014年)や、『アメリカン・スナイパー』(同年)に出演しておられました。強烈だったのは、『G.I.ジョー』(2009年)でゴールデンラズベリー賞最低助演女優賞を受賞したことですが、それは忘れて差し上げたい。
 主要な配役の中では、エリザベス・モスだけがアメリカ国籍ですね。近年の出演作はあまり馴染みがありませぬが──『オン・ザ・ロード』(2012年)とかもスルーしちゃったし──、海外ドラマ『ザ・ホワイトハウス』でマーティン・シーン大統領の末娘ゾーイ役だったのは憶えておりますぞ。もう大人ですね(当たり前だ)。

 さて、本作は題名どおりに「ハイ・ライズ(高層建築)」の中で進行していくストーリーになっております。巨大な建物の中が、ひとつの閉鎖環境となって、その中で住民同士が対立したり、秩序が崩壊したり、また再構築されたりするドラマが展開していきます。
 舞台となるのは、「四〇階建ての高層マンション」でありますが、原作執筆当時(1975年)は近未来的な建築物だったのでしょうが、今や完全に普通になってしまいましたね。おかげでますますSFからは遠ざかってしまいましたが、元からある種の寓話のような趣でありましたし。

 ひとつの建築物の中が独立した世界(或いは社会)──と云うのは、SF作家が好む設定のようで、似たようなシチュエーションのストーリーとしては、トマス・ディッシュの『334』とか、ロバート・シルヴァーバーグの『内側の世界』なんてところが思い浮かびます。ラリー・ニーブンとジェリー・パーネルの共著『忠誠の誓い』もそんな感じでしたっけ(作家によって随分と趣が異なりますが)。
 SF者にしか判らないハナシですんません(汗)。
 更に規模を拡大していくと世代交代型宇宙船とか、スペースコロニーとか、色々出てきますが、そこまで行くと他の要素も加わってくるので、一般的な人々が限られた環境の中で、文明社会の縮図的な振る舞いをするくらいなら、高層マンション程度が丁度良いのかも。

 しかし本作では結構、奇抜なデザインのマンションになっておりまして、上層部が少しずつ斜めにずれていくビジュアルです。
 劇中では、ジェレミー・アイアンズが、その設計意図らしい台詞を口にしていました。
 人工の湖を囲む五棟の建築物というのが全体像であるらしく、人間の手をイメージしていると云われております。一棟の建物が、一本の指に対応しているらしい。
 妙に歪んでいくようなデザインであるのは、指が曲がっているのを表現しているのか。

 しかしまだ建設中であり、入居が始まっているのは一棟のみ。残りはまだ作りかけで、中央の湖は水がないままなので、広大な駐車場のように扱われております。
 バラードがよく用いるモチーフのひとつに「水のないプール」と云うのがありますが、どうもこれがそうらしい。ビジュアルとしては、建物の外観が印象的なのに、このだだっ広い駐車場についてはあまり巧く映像化されているとは云い難いです。
 ウィートリー監督としては、建物の中だけでストーリーが完結するからいいと考えたのか。

 ロンドン郊外にあると云われつつ、未完成なために交通網も未整備で、陸の孤島のように切り離された世界です。一昔前の東京でも、湾岸の埋め立て地がそんな感じでしたでしょうか(押井守が『機動警察パトレイバー』で使っていた設定ですね)。
 隔絶した環境ではありますが、マンションの中にはスーパーマーケットがあり、フィットネスクラブやジムもあり、医療施設を備え、小学校も完備されています。一歩も外へ出なくても生活できると云うのが売りですが、果たしてそんなに巧くいくものなのかしら。

 現実的な建物なら、商業施設は低層部分に集めて、上層部が住宅になるのが一般的な構造でしょうが──少なくとも私が日本で見かけている複合的な高層建築は大体、そんな感じですけど──、バラードの構想では少し異なります。
 スーパーマーケットやフィットネスクラブが、中間の階層に挟まれるような構造になっている。いかにも不自然な造りです。
 これによって入居した住民が、上流、中流、下流に分けられる。かなり恣意的な設定ですね。このあたりが本作を寓話のように感じてしまう所以であります。
 何階に住んでいるのかで、社会的な階級が判る仕掛けです。スーパーマーケットより下の階に住んでいるから低所得な連中だとか、フィットネスクラブより上の階に住んでいるから金持ちらしいとか。それはなんか嫌なマンションですね。

 このマンションに入居した新入りで、大学の生理学部に職を持つドクター・ラング役がトムヒです。中流階級代表。
 同様に、最上階のペントハウスに居を構えているのが、建築家であり、マンションの設計者でもあるジェレミー・アイアンズ。役名が「ロイヤル」と云うのが、判り易い(その苗字はどの程度一般的なんでしょうか)。
 下層階に住んでいるのが、TV番組のディレクターのルーク・エヴァンス。こちらも役名が「ワイルダー」となっていて、暗示的です(ロイヤルよりは一般的か)。
 シエナ・ミラーはトムヒと恋仲になるシングルマザー、エリザベス・モスはルーク・エヴァンスの妻役です。

 各階級を代表する三人を軸にドラマが進行していくのですが、登場人物の描き方が少し苦しいでしょうか。誰がどの階級に属する人物なのか、パッと観ただけでは判り辛いように感じられました。英国の方には明確なんですかね。
 もっとはっきり、ルーク・エヴァンスを低所得労働者であるように見せれば、判り易かったように思われますが、原作改変になりますか。

 個人的には、原作小説の冒頭一行目の描写がほぼそのまま映像化されているだけで、ちょっと嬉しいです。

 “あとになって、バルコニーにすわって犬を食いながら、ドクター・ラングは過去三ヶ月間にこの巨大なマンションの中で起こった異常な事件の数々を思い返してみた。”

 ──と云う、印象的な描写。ちゃんとトムヒが犬を焼いている図が映ります。
 結構、インパクトのある場面だと思っていましたが(当時はね)、欧米ではタブー的な描写も、昨今の中韓で報道されている犬食文化関係のニュースを見ていると、あまりショッキングな場面にも見えませんでしょうか。
 それよりもショッキングなのは、やはりトムヒの全裸シーンでありましょう。ここだけは映画オリジナルの演出ですよ。トムヒのファンには堪らない……のかしら(いい身体してます)。

 入居当初は理想的な住環境に思われた高層マンションも──このモダンなデザインはなかなか美しいです。美術スタッフがいい仕事をしています──、停電が頻発し始め、共有区画の清掃も滞りだして、次第に住み心地が悪くなっていく。
 ゴミの収集も予定通りに行われなくなり、各戸のドアの前にゴミ袋が累積していく。
 設計者であるジェレミー・アイアンズは、「よくある初期不良に過ぎない」と云うが本当にそうなのか。「瑕疵」では済まされないと思うのですが。
 スーパーマーケットの品揃えもどんどん悪くなり、マンション内の風紀も乱れていく。
 遂には自殺者まで出してしまうが、何故か警察の介入はない。

 秩序が崩壊していくにつれ、上層階では性風俗も乱れて乱交パーティが横行するという描写もあります。その所為か本作はR15+指定を喰らっております。
 昨今は、男性のフリチンでも映倫は厳格にボカシをかけなくなりましたね。修正がないのはいいけれど、見苦しいものは映さないで戴きたいものデス。
 今年に入ってからクエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』(2016年)とか、もう数回はフリチンを見せられておりますよ(一部のファンには残念デスが、本作でチラリと映るフリチンはトムヒではありません)。

 総じて、「何を描きたいのか」は理解出来るのですが、「どうしてそうなるのか」と云う説明描写に手抜かりがあるように思えて、あまり納得できませんでした。その意味ではシュールな展開ですわ。
 ひとつの建物の中で秩序が崩壊していくことが大前提なので、理由までは詳細に説明されません。具体的に「住民の誰が誰に恨みを抱いているのか」まで描かれないので、登場人物の行動が突飛に見えてしまいます。よく云えば「象徴的」なのか。

 ラストは、女性たちだけによるコミュニティが電力供給を復活させ、秩序を取り戻すと云う描写も判り易い。世界を男たちに任せておいてはイカンという風刺的な演出を感じます。
 あまり理屈を捏ねることなく──電力復旧の下りも、ツッコミ処満載ですし──寓話的なストーリーだと割り切って観るしかないようです。
 やっぱりバラードの小説だからなのかなぁ。頑張って映像化しているのは判るのですが。




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