2016年6月14日火曜日

ノック・ノック

(Knock Knock)

 「ノックの音がした」と云うのは星新一のショートショートの有名な書き出しですね。同じ書き出しから始まる一五編のショートショートを収録した『ノックの音が』(新潮文庫)は、SF者なら必読書でありましょう(と云うか星新一は全部読め)。
 ノックの音から始まり、予期せぬ出来事に巻き込まれて行く──と云う点では本作もまた然りでありますが……。うん、まぁ、星新一も泉下でたまげるサスペンス・スリラーとなりました。

 監督はイーライ・ロスです。『キャビン・フィーバー』(2003年)に始まり、『ホステル』(2005年)、『ホステル2』(2007年)、『グリーン・インフェルノ』(2013年)と、監督作品がホラー一辺倒であった方が、今回は趣向を変えてサスペンス映画に挑戦です。
 どうしたイーライ、何があったのだ。いつもより血飛沫が足りないどころか、流血シーン自体を封印しているではないか(血が滲む程度の描写しかありません)。これは如何なる心境の変化なのか。

 実は本作はリメイク作品でありまして、オリジナル版はピーター・S・トレイナー監督の『メイク・アップ』(1977年)なのだそうな。近年のビデオリリースで「狂気の3P」なんて副題が付いていますが、最初の副題は「仮面の天使」でした。そっちの方がまだ内容に合っていそうなものですが、単刀直入な副題の方が売れるんですかね(ゲスいなぁ)。
 シーモア・カッセル演じる中年男性が、道に迷った二人の女性──ソンドラ・ロックとコリーン・キャンプ──を家に招き入れてしまったが為に災難に遭うというサスペンス映画でありまして、本作はオリジナルにほぼ忠実に展開していきます。

 妻子不在の嵐の夜に、道に迷った女性二人を家に招き入れたのが運の尽き。誘惑されて一夜の過ちで弱みを握られ、居座られた挙げ句の果てに、人生破滅の散々な目に遭わされる……清々しいまでにそのまんまですね(いや、オリジナル版は記憶に無いのですが)。
 シンプルな筋立てですが、サスペンス描写は丁寧です。最初は女達の控えめな態度が、フレンドリーになり、その内に馴れ馴れしくなり、次第に図々しくなり、じわじわと異常な行動がエスカレートしながら進行していきます。最終的には狂気そのものに。
 一夜限りの火遊びのつもりがそうではなかった、と云うコンセプトがエイドリアン・ライン監督の『危険な情事』(1987年)も彷彿します。
 この手のサスペンスは、男女の関係のみで成立するシチュエーションなので、時代背景はいつでもOKだし、普遍的なストーリーであるとも云えます。
 本作では、スマホで撮った浮気動画をSNSにアップすると云った脅迫手段が使われているあたりがイマドキの作品らしいです。

 シーモア・カッセルに代わって、本作で酷い目に遭う中年男性を演じているのは、キアヌ・リーブスです。まさかイーライ・ロス監督作品にキアヌ・リーブスが出演するとは思いませんでした。いつもの低予算映画じゃ無いと云いたいのか。
 『47RONIN』(2013年)からしばらく出演作を観ておりませんでした──諸般の事情で『ジョン・ウィック』(2014年)もスルーしてしまい(汗)──が、今年は『砂上の法廷』(2016年)と合わせて本作で二作目です。
 実際には本作の方が二〇一五年製作で、『砂上の法廷』よりも先になるのですが、日本公開では前後しております。
 ひと頃は肉の塊になりかけていたこともありましたが、本作の劇中ではキアヌ・リーブスの筋肉も確認できます。今回はマッチョな役ではありませぬが、充分スリムでありましょう。

 共演となるのがイーライの奥さんロレンツァ・イッツォとアナ・デ・アルマス。
 ロレンツァ・イッツォは、イーライの前監督作『グリーン・インフェルノ』にも出演されております。前作では被害者側でしたが、今度は加害者側です。開き直った図太い悪女演技も堂に入っております。しかもエロい。
 相方のアナの方は、ロレンツァに比べると図太さに欠けるものの、こちらは精神的に不安定なところが見受けられるのが別の意味で怖い。エロカワなお姉さんだと思っていたらヤンデレだ。

 序盤に奥さんや可愛い子供たちが登場したり、中盤では仕事上の友人や、近所のおばちゃんなどが登場して単調なストーリーになりそうなところに変化を付けてくれますが、ストーリーは専らキアヌ、ロレンツァ、アナの三人のみで進行していきます。
 実は中盤でちらりと登場する近所のおばちゃん役が、本作の製作にも名を連ねているコリーン・キャンプでありました。オリジナル版でソンドラ・ロックと一緒にシーモア・カッセルを追い詰める悪女の片割れですね。
 しかし、そうだと云われて観ないと同一人物だと判りませんデスよ。うーむ。昔はセクスィーなお姉さんだった……のだよなぁ(人の良さそうなおばちゃんになっちゃってますねぇ)。

 総じて巧く現代のストーリーにリファインされた作品であり、主要登場人物の性格描写もじっくり描かれたサスペンス映画であるとは思います。
 特に平凡な中年男であったキアヌのラストの怒濤のブチ切れ口上が素晴らしい。さすがキアヌ・リーブスを起用しただけのことはありますね。
 でも本当にキアヌが悪女二人にいたぶられて、人生破滅の憂き目に遭うだけで終わってしまうのが驚きでした。ブラック・ユーモア溢れるオチはちょっと笑えますが、急転直下過ぎてフォローなしか。

 二人の女性に一人の男が散々な目に遭わされ、人生を破壊される。何故、自分がそんな目に遭わねばならなかったのか、その理由は最後まで明かされません。そもそも理由なんて無かったのか。
 この不条理なところが怖いのだと云われると、そうかも知れませぬが、脚本にイマイチ釈然としない部分がありまして、イーライ・ロス監督にしては下手を打ってしまったのではないかとの疑念が拭いきれませんデス。

 標的は誰でも良かったのだ──と云うストーリーであれば、納得も出来るのですが、それにしては劇中でロレンツァとアナが終盤になって口にする台詞が引っかかる。
 彼女達は、序盤のシーンの「家族でないと知り得ない会話」──キアヌがおどけて「モンスターだぞおぅ」と子供たちに迫る場面ですね──を知っていたワケで、キアヌが「盗聴していたのかッ」なんて愕然とする場面があります。
 つまり計画的だったのか。最初から標的はキアヌであり、訪問は偶然を装っていただけなのか。それはそれで怖い話ではありますが、これについては一切の伏線がないので唐突感は否めませんです。それに盗聴器の存在はまったく確認されていませんし。

 本当は盗聴器など無く、全ては奥さんの差し金だったのだと云う流れに繋がるのか、とも思われましたが──キアヌが口にしたフレーズを知っていたのは、妻と子供たちだけなので──、それもなし。
 終盤で「己の所行を奥さんに告白しなさい」と命じられ、スマホで通話する場面があります。ここでキアヌは告白することなく、一か八かで「すぐに通報するんだ!」と叫びますが、叫ぶより先に通話は切られてキアヌは万事休す。
 実はここで、奥さんが全ての黒幕であり、助けを求めたが逆に真相が明かされて、助けはどこからも来ないのだと思い知らされる展開になるかと密かに期待したのですが。

 奥さんが無関係であるのは、帰宅したラストシーンでの様子を見ても明らかです。家の中の惨状に目を丸くしていたのは演技では無いのでしょう。
 それに奥さんが黒幕だったなら、そこまでして夫に復讐したくなるような伏線が敷かれているべきなのに、序盤のシーンのどこにもそのようなものは見受けられませんでした。
 実に幸福そうな一家の日常があるだけで、奥さんが不満を抱えていそうな描写もない。
 するとキアヌが標的にされた理由は何だったのか。

 「どんなに叫んでも無駄よ。隣近所が留守なのは予め調べてあるの」なんて台詞もありまして、行きずりの女性達とのトラブルかと思いきや、そうではなかったのだと明かされるわけですが、それにしてはロレンツァ達の行動があまり知能犯のようには見受けられません。
 何しろ、中盤でキアヌを助けようとした友人ルイス(アーロン・バーンズ)を彼女達は殺しているわけですが──本作で只一人、死んでしまう人です──その死体の始末がぞんざいすぎます。いかにもキアヌが殺したかのように擬装したメールをスマホに残す場面もあるにはありますが、素手でべたべた触ったスマホですから、どこまで証拠として採用されるものやら。
 持ち主でもなく、キアヌのものでもない第三者の指紋が付きまくりのスマホでは、キアヌに罪を着せることは難しいでしょう。
 刹那的で享楽的で、度胸がいいだけの、出たとこ勝負のスリルを楽しんでいる犯罪者だった方が怖かったのに。

 何かの理由でキアヌに目を付け、周到に盗聴器を仕掛けてチャンスを窺い、妻子が留守でなおかつ隣近所も留守になる日が到来したときを狙って、計画を実行に移す。それもこれも「もしキアヌが誘惑に負けて自分達に手を出したら、その人生を破壊するため」に。
 そこまでしてキアヌが怨まれる理由が判りませんです。それが「誰でも良かった」と云うのなら、あまり現実的なストーリーではありませんですねえ。
 それに終盤の「どの男たちも私たちを拒まなかった」と云うロレンツァの台詞から察するに、これまで何人もの男性が同様の犠牲になってきたと判るのですが、標的一人をハメるのにどれほどの手間暇がかかるのか考えただけで、周到な犯罪計画だったとするのは現実的ではない。

 全てが現実ではなかったと云う解釈もあり得る、とは監督自身が語った雑誌のインタビュー記事に書かれておりましたが、これもまた如何なものか。
 人間誰しも、それまで積み上げてきたものを何もかもブチ壊したくなる衝動に駆られることがある、と云う主張は判ります。でも本作の出来事が、すべてキアヌの妄想だったとするのは無理があるのでは。そんな伏線はどこにも無かったし(伏線、伏線とうるさいデスカ?)。

 実はロレンツァ達はキアヌの脳内妄想の産物で、すべてはキアヌの自作自演に過ぎなかったのだ──とは、イーライ・ロス作品にしてはエラくまた大胆な解釈ですね。
 いや、でもそれだとSNSにアップされ、絶賛炎上を博した「キアヌのハメ撮り動画」の説明が付きませんですよ。非実在少女との淫行では炎上する以前に撮影できないし。
 それにロレンツァの姿は、一度は近所のおばちゃんに目撃されているわけで、それすらも妄想だとするには無理がある。
 何もかも妄想だったとする場合は、ラストシーンでは「驚愕の真相」がフラッシュバックする演出が欲しいところですが、それもなし。

 行きずりの偶然による災難だったのか、周到な犯罪計画だったのか、それとも全ては妄想だったのか。どの案を採用しても、どこかに納得できない描写があって、釈然といたしませんデス。
 何とも不条理なサスペンス・スリラー映画です。
 一番、納得できる解釈は「脚本に穴が開いていることに気付かなかった」か、「イーライ・ロスの痛恨の演出ミスである」の二つの一つと云うことになるワケですが、まさかそんな。俺たちのイーライがそんなヘマをしでかすワケないじゃないか。
 ちょっとドンデン返し的な台詞を入れて観客を驚かせてやろうとしたら辻褄が合わなくなってしまった……なんて信じたくないデス。

 いやいや。どこかにきっと納得できる解釈があるに違いない。ええとええと……。
 とにかくどこかにあるのだ。それはきっと本作がDVD化された暁に、自宅で何度も観返すうちに発見できる類のもの……だったらいいなあ。或いは監督のオーディオ・コメンタリーを聞かないと判らないのかも。
 やはり初めてのサスペンス映画だからちょっと失敗してしまったのでしょうか。あるいはオリジナル版に忠実であろうとするあまり、あえて矛盾を残したのか(いや、オリジナル版を観ていないので勝手に推測しているだけですけど)。そうだとしても、そこまで真似る必要は無いと思いマス。
 終盤に至るまでの演出が割とそつなくこなせていただけに惜しいです。

 ところでイーライ・ロス監督には、早いところ『グラインドハウス』(2007年)のフェイク予告編の一篇、『感謝祭』を実現化してもらいたいです。それと『グリーン・インフェルノ』の続編もお願いします。やっぱりイーライにはホラーの方が合っているのでは。




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