2016年1月10日日曜日

グリーン・インフェルノ

(The Green Inferno)

 猟奇的な衝撃映像ばかりを売り物にした見世物的映画──いわゆるモンド映画──は、それほど好物でもないのですが、イーラス・ロス監督作品であるので観に行きました。本作には至るところに監督のモンド愛が炸裂しております。
 まぁ、イーライ・ロスは元から『キャビン・フィーバー』(2003年)やら、『ホステル』(2005年)の監督ですしね。近年は監督するよりも、『イングロリアス・バスターズ』(2009年)や『ピラニア 3D』(2010年)への出演の方で目立っておりましたが、また監督業の方に戻ってきてもらえて嬉しいデス。
 と云うか、イーライはいつになったら『グラインドハウス』(2007年)の劇中で予告された『感謝祭』を撮ってくれるのでありましょうか。待ってるンですけど。
 しかしどうやら本作で味を占めたらしく、次回作は本作の続編になるようです。当分、モンド映画から帰ってこないつもりなのかしら。

 モンド映画と云えば、題名には「ヤコペッティの~」と付けた作品が色々と思い浮かぶ年代であります。すると脳内では自動的にリズ・オルトラーニの「モア」のメロディが再生される。
 私は先に映画音楽として「モア」のテーマ曲から入り──アカデミー歌曲賞(第36回・1963年)にもノミネートされた名曲ですよ──、後にTVで放送された『世界残酷物語』(1962年)を観てダマされていたことに気がつきました(題名に「残酷」って付けられているのに気づけよ、俺)。
 以来、モンド映画と云えばヤコペッティ。他にも『グレートハンティング』(1975年)とか、『ジャンク/死と惨劇』(1978年)とか、七〇年代はエゲつないものが多かったですねえ。
 さすがに八〇年代に入って、『食人族』(1981年)あたりになると、免疫ができて(否応なしにな)おりましたし、かなり食傷気味にもなっていたのですが──それでもしばらくは実話だと信じていた時期が私にもありました──、イーライ・ロスはこのあたりから入ったらしいですね。やはり串刺しにされた人体のビジュアルはインパクトありますし。

 本作は『食人族』のルッジェロ・デオダート監督に最大級のリスペクトが捧げられております。
 もうエンドクレジットにデカデカと「ルッジェロ監督に捧ぐ(“Per Ruggero”)」と表示されますし。何故そんなに大きなフォントを使うのかワケが判りませんが、きっとフォントの大きさに愛がこめられているのね。
 それだけではなく、イーライが少年時代に愛好したのであろう数々の猟奇的食人映画のリストまでエンドクレジットに付けてくれる親切ぶりです。この手のものはイタリアが本場ですね。
 『食人族』の他に、本作がどのような作品からインスパイアを受けているのかと云うと、『人喰族』(1981年)、『カニバル/世界最後の人喰い族』(1977年)、『猟奇変態地獄』(1977年)等々……。やはり原題に「カニバル“Cannibal”」と付くのが多いデス。
 このあたりはパンフレットに詳細な解説記事が載っていて便利でした(観てない作品が多いけど、イーライの大好物だということはよく判る)。

 などと云う経緯を踏まえた上で考えると、本作の邦題は『イーライ・ロスの食人族』にした方が正しいのではないか。原題をそのままカタカナでカッコ良く表した『グリーン・インフェルノ』なんて邦題では、それは作品の精神を反映していないのでは(日本語ではね)。もっとB級映画ぽくしないとイカンじゃろー。
 『マッドマックス』最新作の副題に「怒りのデス・ロード」と付けた、あのセンスが欲しい。
 予告編もそれらしく「もうこれ以上はお見せできません!」とか云ってモザイクをかけて。

 さて、本作はルッジェロ・デオダート監督に献辞を付けるくらい『食人族』へのオマージュに溢れていて、ぶっちゃけリメイク作品じゃないのかとさえ思います。
 ストーリーもあって無きが如し。若者達がアマゾン奥地で遭難し、食人の風習が残る原住民に捕らわれて、食べられていく……だけ。
 序盤は色々と現代的なアレンジがされていて、ちょっと風刺的な側面があったりするのが巧いです。また、わざわざアマゾンくんだりまで出かけていく理由付けも考えられています。
 遭難してからは主要な登場人物が一人、また一人と命を落としていく過程もなかなかバラエティに富んでいますし、エロ・グロばかりの残虐映画と云うワケではありません。
 サスペンス的な盛り上がりも計算しているのが伺えます。
 でもきっと撮影中は、ニコニコしながら死んでいくキャラクターに演出を付けていたのでしょうねえ。楽しそうなイーライの顔が背景に透けて見えそうでした。

 冒頭、アマゾンの奥地で原住民らしき風体の老人と少年が、いきなり森林伐採中の工事車両に出くわす場面が社会派ぽい。環境破壊によって熱帯雨林の面積が年々減少していくとか、希少な野生動物が絶滅していくなんてドキュメンタリー映画が思い浮かびます。
 ドラマでもジョン・マクティアナン監督の『ザ・スタンド』(1992年)なんてのがありましたし。
 そして環境保護を訴える学生達の中には、過激な手段で世間の注目を集めて、熱帯雨林破壊の実体を知らしめようと考える一団がいた。

 序盤からして、純粋な若者達の独善というか、自己満足というか、志は立派ですけど現場のことはあまり考えてないよね的な一団が描かれております。目的が崇高なら、どんな手段を使っても許されるのだと考えていそうな連中です。当然、あまり好きにはなれません。
 その連中が目を付けたのが、チリ政府による地下資源採掘のあおりをくらって生存が脅かされているアマゾン奥地の弱小種族。
 押しつけがましく「文明の波から、消えゆく部族を救うのだ」なんて云っておりますが、助けるつもりでノコノコ出かけていき、美味しく戴かれてしまうのであろうと容易く想像が付きますね。

 この、ちょっと社会風刺的な描写や、後半の展開に向けた伏線の仕込みが序盤に入りますので、本作の出だしは少しもたついた印象を受けます。いや、もっとB級グログロな残酷描写が売り物なんだから、すぐにでもアマゾンに出かけて行くのだろうと思っておりました。
 予想以上にイーライの丁寧な演出が巧いです。
 ここで主人公が大学生であることを説明し、文化人類学を専攻しているらしい描写も入れて、現代でもなお未開の風習が世界各地には残っているのだと前振りが入ります。
 講義の場面は短いですが、食人の他にも、女性の陰核切除の風習だとか、大蟻を使った拷問というか処刑方法なんてのもスライド写真で軽く触れられます。メインは「食人」だけだろうと思っていたら、この場面で紹介された事柄は、ほぼその通りに主人公一行の身に降りかかってきていました。

 更に主人公は国連職員の娘であることが語られ、講義で知った野蛮な風習を国連は何とか出来ないのかと父親に訴えますが、一朝一夕には出来ないのだと返される。ごく常識的な回答ですが、若者には受け入れがたい。
 無謀な環境保護活動への肩入れも、大人への反発が背景にあるようです。
 そんなこんなでようやく南米へ出かけていく段になりますが、あまりにも無邪気な人が多い。旅費も活動資金も、自腹切った様子がなく、背後にスポンサーがいるらしいのに誰もそれを不審に思わない。誰か少しは疑えよ。

 観光気分でチリまで出かけていきますが、いよいよ奥地に入る直前になって、ようやく活動にはリスクが伴うとか、実は英語の全く通じない地域だとか、衛星電話以外は使えないとか、不安要素がテンコ盛りだと明かされます。「嫌なら帰れ」とリーダーに突き放されても逆らえない。かなり自業自得です。
 そして次第に背景がワイルドな世界に移行していきます。
 森林伐採の現場に潜り込み、各自のスマホから画像をリアルタイムでネットに流して、企業の暴挙を暴こうという作戦が現代的です。一応、作戦は成功し、ネット上で注目を集めはしますが、自分達はチリの軍隊に身柄を拘束されて小型の飛行機で強制送還。
 そして送還途中のエンジントラブルで密林の奥地に墜落。いや、ここまでが結構、長かった。

 飛行機の墜落描写もダイナミックです。機体がヘシ折れ空中に吸い出されていく者や、不時着時に樹木が機体を貫通して自分も貫かれてしまう者、回転するプロペラにぶった斬られる者と、バラエティに富んだ死にざまを披露してくれます。
 いや、そんなに死んだら食人族に回る人数が足りなくなるんじゃないのかと心配になるくらい、この墜落場面では人死にが出ます。
 さすがイーライ・ロス監督。前半の押さえた展開を吹っ切るかのように殺しまくります。
 そして僅かに残った生存者の前に現れる食人族。捕まる前に逃げだそうとした奴は弓矢でグサリです。どんどん死んでいくので、なんか勿体ない。

 B級映画ですから、見知った俳優さんが一人も登場しません。有名俳優が出演すると助かるのが判ってしまいますからね。
 出演俳優はロレンツァ・イッツォや、アリエル・レビ、ダリル・サバラ、カービー・ブリス・ブラントンといった皆さん。イーライが他作品で関わり合いになった方が何人もいるようです。
 本作の主演女優のロレンツァ・イッツォは監督の嫁であるそうな。自分の嫁だからなのか、容赦なくヒドい目に遭わせていたりします。ポール・W・S・アンダーソン監督が『バイオハザード』シリーズで嫁のミラ・ジョヴォヴィッチをいじっているのと同じようなものでしょうか。

 そして劇中に登場するアマゾン奥地の食人族は、現地ロケハン中に見つけてきたカラナヤク族の皆さんです。とてもフレンドリーな人達で、撮影中もずっと協力的だったそうな。
 しかし本当に文明から隔絶した生活を送っている人達なので、映画とは何なのかよく判らなかったらしい。そこでイーライ・ロス監督は、お手本として『食人族』のビデオを見せて、「我々が撮りたいのはこんなヤツ」と説明したらしい。
 「百聞は一見にしかず」とは云うものの、人生最初の映画体験が『食人族』か。それはそれで問題ではないのか。あんまりだ。

 劇中では全身に赤い塗料を塗りたくり、異様な顔面ペイントや細工物の装飾を身につけた半裸の人達が大人から子供まで大挙して登場してくれますが、それは多分、きっとカラナヤク族本来のスタイルではないのでしょう。
 しかし現地人ならではの「吹き矢を射かける際の姿勢」などは堂に入っております。
 また、和気あいあいと集落の女性たちによる調理の場面や、一族そろってのお食事のシーンが撮影されていますが、劇中では「それは人肉」と定義されているので、なおのこと異常さが際立っております。あどけないお子様も楽しそうに出演しておりました。

 全般的に素人であるカラナヤク族の皆さんですが、中にはチリの俳優さんも混じっております。本作は米智合作映画だそうです。
 食人族の中でも、部族の祈祷師というかシャーマン的な婆さん役と、戦士長役の男性の放つインパクトは絶大です。素人さんには出せない迫力です。ビジュアルの勝利でもありますね。

 集落まで連行されたら、とりあえず最初に一人が食されて、あとは保存用に檻に監禁です。
 そこから脱出の手段を考え、色々と逃げ出す算段を模索するわけですが、なかなか巧くいきません。自分だけ助かろうとする卑劣な奴がいたりするのもお約束ですね。
 そして自分達の環境保護活動は、実は企業の手伝いであったことが明かされる。標的となった企業のライバル社が競争相手の足を引っ張るために仕組んだ活動であり、早晩、また伐採は再開され、別の企業が軍隊の護衛付きでやって来る。それまでの約一週間を生き延びれば、助かるハズだ。
 命がけの環境保護活動も企業に利用されていただけで、その効果もたった一週間とは切ない話です。理想と現実のギャップを味わいますが、それが頼みの綱とは皮肉です。

 監禁中でも伏線にあった陰核切除の儀式とか、全裸にされて得体の知れない塗料塗りたくられるとか、エッチぃ場面があったかと思うと、今度は生きたまま「躍り食い」されてしまうとか、エロとグロなシチュエーションが交互にやって来ます。イーライ・ロスの本領発揮です。
 墜落事故で先に死んだ仲間は、杭に刺されてモズの早贄状態。
 やはりこの「人体串刺し」の再現はイーライ・ロスのコダワリなのでしょうねえ。

 紆余曲折の末、ようやくチリ軍が到着し、食人族を退治してくれるワケですが、これはこれで大量殺戮だし、如何なものか的な描写です。ここには善も悪もないのだという演出に哲学的なものを感じます(考えすぎかな、イーライ・ロスだしな)。
 結局、主人公一人だけが助かり、仲間を犠牲にして生き延びようとした卑劣なリーダーは密林の奥地に置き去りにされてしまうのですが、果たして彼は報いを受けて死んだのか。
 なかなかB級ホラーぽい結末であり、続編が明言されていますので、野生に戻った男が文明社会に帰ってきそうな気配が濃厚に漂うラストでありました。




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