2016年1月17日日曜日

パリ3区の遺産相続人

(My Old Lady)

 イスラエル・ホロヴィッツ監督・脚本によるヒューマン・ドラマです。原作となる戯曲はブロードウェイの舞台劇だったそうで、本作はホロヴィッツ監督自身が自作の戯曲を映画化しているそうな。
 イスラエル・ホロヴィッツと云うと『いちご白書』(1970年)や『さらば青春の日』(1972年)といった青春映画の脚本で知られておりますが、正直あまり馴染みがありませんです。脚本家として関わった映画も少ないようですし、本作も『ニューヨーク、アイラブユー』(2008年)の一部のエピソード以来となり、長編初監督作品。

 監督に馴染みは薄いが、出演陣にはケヴィン・クラインに、マギー・スミス、クリスティン・スコット・トーマスと、オスカー級の俳優が並んでおりますね。
 とは云え、ケヴィン・クラインの姿をスクリーンで観るのは久しぶりです。ロバート・レッドフォード監督の『声かくす人』(2011年)やアイヴァン・ライトマン監督の『抱きたいカンケイ』(同年)もスルーしちゃいましたし。
 シリアスなドラマにもコメディにもよく出ておられる。本作はユーモア・タッチのヒューマンドラマという中間の路線ですね。

 マギー・スミスはもう『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル先生でお馴染みですし、近年も『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(2012年)や、『カルテット!/人生のオペラハウス』(同年)の高齢者を主人公にしたドラマでよくお見かけします。
 本作では「齢九〇歳の老婦人」という実年齢よりも一〇歳年上の女性を演じておられます。あまり老けメイクを施さなくてもよろしいと思うのですが……。
 本作のマギー・スミスは「健康だ」と云われながらも、かなり弱々しいお婆さんの役です。杖をついてヨロヨロ歩く姿も危なっかしいし(演技だよね)。

 クリスティン・スコット・トーマスは『サラの鍵』(2010年)や、『砂漠でサーモン・フィッシング』(2011年)で印象に残っております。この方もシリアスからコメディまで、仕事を選ばない女優さんです。たまに『オンリー・ゴッド』(2013年)なんて珍妙な作品に出てしまわれますが(少しは選んで欲しい)。
 『フランス組曲』(2014年)にもミシェル・ウィリアムズと一緒に出演されていました。

 さて、本作は邦題にもあるとおり「パリ3区」にある、とあるアパルトマンを相続した男性マティアス(ケヴィン・クライン)と、そのアパルトマンに住まいする老婦人マティルド(マギー・スミス)、その娘クロエ(クリスティン・スコット・トーマス)をメインに据えたドラマとなります。
 もう少し具体的に地域を絞ると三区の中でも「マレ地区」と呼ばれる場所で──実際には三区から四区にかけて広がっている地域だそうですが──、パリでも有数のアートギャラリーが集まる地域だそうな(銀座みたいなものかな)。

 パリの行政区は一区から二〇区まであって、数字が小さい順に、中心から時計回りに螺旋を描くように配置されているそうです。ローラン・カンテ監督の『パリ20区、僕たちのクラス』(2008年)なんて作品もありましたね。
 してみると「3区」とは、割と都心に近い場所のようです。劇中でもセーヌ川に近い洒落た場所であるように描かれています。セーヌ河畔を散策するケヴィン・クラインの背後に有名なノートルダム大聖堂や、ポンデザール橋といった名所がちらちらと映っておりました。

 本作は米英仏合作映画であり、主演俳優の出身国はケヴィン(米)、マギー(英)、クリスティン(英)となります。
 劇中での台詞は英語と仏語が飛び交うバイリンガル仕様です。一応、仏語があまり得意ではない(と云う設定の)ケヴィンに配慮して、主な台詞は英語で交わされています。
 だからケヴィンの仏語はかなりたどたどしい。逆にマギー・スミスが実に流暢に仏語を話しておられました。劇中でのマギー・スミスは出身は英国ですが、パリに移り住んで永く、英語教師の経験を活かして引退後も個人で英会話教室を開いていると云う役柄です。

 NYに住むケヴィン・クラインが、疎遠していた父親が亡くなったと弁護士から連絡を受けて、パリにあるアパルトマンを相続します。ほぼ文無し状態で、優良な物件ならばさっさと売り払ってしまおうと云うケヴィンでしたが、そのアパルトマンには九〇歳の老婦人が住み着いていたのだった。
 ここで米国人のケヴィンには馴染みのない──日本人にも馴染みがない──フランスの不動産売買制度「ヴィアジェ(“Le Viager”)」について説明されます。

 アパルトマンの元々の所有者は老婦人マギー・スミスであり、ケヴィンの父親はマギー込みでアパルトマンを購入したと説明されます。その際に、売り主であるマギーの終身居住権を認めた上で、マギーに対してケヴィンの父親は毎月一定額を払い続けることになったのだった(しかもマギーが死ぬまで)。
 アパルトマンの購入費用を分割で支払っているようなものですが、売り主が生きている限り定額を払い続けなければならないのが厄介です。売り主が早くに亡くなれば、結果的に安い買い物になりますが、予想より長生きされては相場以上の高い買い物になってしまう。
 そしてこの場合は、どうやら後者であるらしい。

 「ヴィアジェ」とは、かなりギャンブル性のある不動産売買制度のようです。
 劇中でもゲームに例えられ、「ヴィアジェとは奇妙なゲームだ」と云われております。しかし「売り手の命を支えるゲームなのだ」とも云われ、一概に否定されるべきものでは無いと描かれていました。
 都会の不動産取引の活性化と高齢者対策の解決のためには必要なんでしょうか。日本の家屋にはあまり向かない制度のようではあります(住んでいるうちに建替が必要になるのでは)。

 「父親の遺産を相続した」と云っても、それが資産であるとは限らない。これはローンの返済に等しい負債ではないか。
 都心に近い上に庭付きの超優良物件を相続したはずなのに自分の自由には出来ない。それどころか婆さんが生きている間は毎月一定額を支払い続けなければならない。
 どうやらマギーはアパルトマンの所有者から支払われる金額を生活費に充てているらしい。これではまるで自分が婆さんの年金を支払うのも同然。

 文無しなのでアメリカに帰ることも出来ない。第一、NYの家財は全て処分してしまったし。
 行くところもないので、やむなくマギーに「アパルトマンの空いている部屋を」とお願いすると、家賃を請求される。オーナーは自分なのに一銭たりとも自分の懐には入らず、逆に家賃と来月のヴィアジェ分を催促されると云う不条理。
 こんな厄介な遺産は要らんと売り払おうとしても、「ヴィアジェ物件では買い手を見つけるのは難しいですね」と街の不動産屋にあしらわれてしまう。

 ケヴィンがアパルトマンの売却を相談しに行く不動産屋を演じているのは、ドミニク・ピノンです。ジャン=ピエール・ジュネ監督作品の常連ですね。『デリカテッセン』(1991年)の頃から存じております。近年でも『天才スピヴェット』(2013年)でお見かけしました。
 一介の不動産屋ですが割と英語が巧い。「ハリウッド映画を観て憶えました」とクラーク・ゲーブルのモノマネをしてくれる場面もありました(アドリブでしょうか)。

 クリスティンとの出会いも第一印象最悪な上に、自分と母を追い出すつもりかと責められて立つ瀬のないケヴィンです。
 日々の生活費にも事欠く有様で、高齢者のマギーがあまりアパルトマンの中を動き回らないのをいいことに、使われていない部屋の中からテキトーに家具類を古道具屋に売り払って糊口を凌いでおります。
 その際に古いアルバムや写真を発見するケヴィン。実は亡くなった父親はマギーと古くから親交があったらしい。自分の名前(マティアス)も老婦人の名(マティルド)にちなんで名付けられていたことを知る。

 実はケヴィンには幼年期をパリで過ごしていた時期があり、おぼろげな記憶から当時の状況をマギーから聞きだしていきます。
 そして父親がマギーと不倫していたことを知ってしまう。もう数十年も昔のことですし、マギーも恋愛には大らかなフランスに永く住んでいますから不倫の事実をあまり隠しません。むしろ遠い昔のロマンチックな出来事と懐かしんでいるようです。
 このアパルトマンをケヴィンの父親が買い取ったのも、故無きことではなかったのだった。

 しかしケヴィンにとっては、過去のロマンチックな出来事どころのハナシではない。父親の不倫のお陰で、少年期に母は自分の目の前で自殺してしまい、自分もトラウマを抱えて青年期には自殺未遂もしでかした。そしてその後の結婚生活も巧くいかず、離婚と再婚を繰り返しては、酒浸りになったこともある。そして父親とは絶縁状態に陥り、亡くなるまで顔を合わすことも無かった。
 何もかも巧くいかない自分の負け犬人生の原因は、この婆さんの所為だったのだ。

 このあたりからドラマにシリアス色が濃厚に漂い始めます。
 マギーの方もケヴィンの側の家庭の事情は知らされていなかったこともあり、ある時期を境にケヴィンの父が自分との関係を断ったのが正妻の自殺にあったことも初めて知ってショックを受けます。それはケヴィンの父なりのケジメだったのか。
 また自分の若い日の不倫が、ケヴィンのみならず娘のクリスティンにも影響を及ぼしていたことを知る。実はクリスティンも、現在進行形で妻子ある男性との不倫を続けていたのだった。

 恋愛に寛容なフランスですから、不倫に対してもそうなのかなと思いましたが、劇中でははっきりと不倫は否定されます。クリスティンも悩んだ末に、不倫相手の家庭を壊すよりも身を退くことを選びます。
 そこまでキッパリと否定するとは、ちょっと驚きです。フランスなのに(偏見だ)。
 まぁ、それはいいのですが……。

 ドラマの展開としては違和感を感じてしまったところではあります。
 そりゃもう、演じているのはケヴィン・クラインであり、クリスティン・スコット・トーマスですから、熱演ですよ。幼年期に両親から愛されなかった記憶が、いかに子供を歪めてしまうか、切々と訴え、涙を流してくれます。観ているこちらももらい泣き(多分)。
 しかし、よく考えると、彼らはどちらも五〇代の男性であり、女性なのです(四捨五入すれば六〇になる歳です)。
 いい歳した大の大人が「愛されなかった!」と云って泣き崩れる図というのは如何なものか。その年齢になっても克服できていないのか。

 これについては当事者でない限り、心の傷がいかに大きなものなのかを知る術は無いとは云え、どうなんでしょね。ちょっとみっともない。メンタル弱すぎなのでは。
 ドラマの年齢設定上、やむを得ないのは判ります。もっと子供の年齢を引き下げ、ケヴィンやクリスティンが三〇代くらいなら、まだ青年期の傷を引きずっていると云われても納得できるでしょう。
 しかしそれでは、「ヴィアジェ物件にくっついてくる婆さんが九〇歳」と云う、不謹慎なギャンブル感が出てこない。六〇代の老婦人では、まだまだ元気ですし。
 どうにも基本設定と、描くドラマの内容が齟齬を来している気がしてなりませんデス。

 紆余曲折ありまして、ケヴィンとクリスティンの異母姉弟疑惑も晴れ、関係者一同が和解し、ケヴィンもようやく亡き父を許す境地に至ります。
 五〇代半ばで互いに独身であるケヴィンとクリスティンの交わす会話が素敵でした。もう若くない、自分は「散りゆく花」なのだと嘆くクリスティンに対して、ケヴィンが云います。

 「花は散り際が一番美しい」

 うーむ。ちょっとカッコ良すぎだ。私も云ってみたいが、そんなシチュエーションは一生巡ってきそうにありませんデス。
 結局、パリに定住する途を選ぶケヴィンですが、一番可哀想なのはアパルトマンを買い取ってホテルに建て替えようとしていた弁護士さんでしょうかねえ。なんかケヴィンから手付金やら何やら毟られた末に、あっさりと契約破棄ですから。それはそれで訴えられそうな気がします。


● 追記
当初、クリスティン・スコット・トーマスをフランスの女優さんであると記述していた箇所がありましたので、訂正しました。イギリスの女優さんでしたね。




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