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2012年12月11日火曜日

砂漠でサーモン・フィッシング

(Salmon Fishing in the Yemen)

 ポール・トーディ原作のユーモア小説『イエメンで鮭釣りを』が映画化されました。題名からしてリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』のパロディみたいですが、全然違いますね。
 原作は英国のユーモア小説専門の文学賞、ウッドハウス賞を受賞した傑作でありますが、作者のポール・トーディはこれが処女作と云うから大したものです。五九歳で作家デビューか(今頃は英国では三作目が出版されているハズ)。

 これを『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)のサイモン・ボーフォイが脚本を手掛け、ラッセ・ハルストレムが監督したのが本作。勿論、イギリス映画です。
 ハルストレム監督作品では、ジョニー・デップ主演の『ショコラ』(2000年)や、アマンダ・サイフリッド主演の『親愛なるきみへ』(2010年)を存じております。私の中では、ハートフルな物語を手堅くまとめる監督さんというイメージがあります。
 本作もまた実にハートフルな味わいが効いておりますが、難しい原作をよく脚色したものだと思います。

 だって原作小説は一風変わった書き方になっていて、全体が登場人物達の交わしたメールや書簡、連絡文書、日記の抜粋、審問会での証言記録といったものの寄せ集めから出来ておりまして、三人称の描写が全くない。
 本作の劇中で、やたらと登場人物がスマホ片手にメールをやり取りしているのは、この原作のテイストを活かす演出なワケですね。
 しかも結構、ビターな味わいのユーモア小説(一部、風刺小説と云った方がいいくらい)なのに、そこをちょっとマイルドなロマンチック・コメディに仕上げ、しかも成功しているのは、脚色と演出の勝利でしょう。

 物語の主人公は、水産技術庁に地道にこつこつと勤務する真面目を絵に描いたような学者先生。そこにある日突然、破天荒なプロジェクトが持ちかけられる。
 依頼主はアラブの大富豪。依頼内容は「故国イエメンで鮭を釣りたい」という無理難題。
 当所は一笑に付した主人公だったが、中東情勢の悪化に伴い、英国のイメージダウンを回避しようとする政府広報室から「中東の良いニュースを探せ!」と至上命令が下っていたことを知る由も無かった。
 石油絡みでもなく、宗教問題とも関係ないこのプロジェクトのニュースはまさにうってつけ。加えて英国のフィッシング人口二〇〇万人にアピールできるとあっては、もはや政府が放っておかなくなる。有無を云わせぬ圧力をかけられ、プロジェクトに専属するか、辞職勧告か、二者択一にまで追い詰められる。
 何とか逃れようと「このプロジェクトには五〇〇〇万ポンド(約六〇億円)は必要ですよ」と云ってみたら、速攻で五〇〇〇万ポンドが振り込まれる(さすがアラブの大富豪)。
 かくして英国外務省が後援する国家的プロジェクトにまで発展した〈イエメン・サーモン・プロジェクト〉は始動する……。

 主演はユアン・マクレガーとエミリー・ブラント。
 ユアンは、英国水産技術庁の学者先生の役です。専門分野以外に興味を示さない不器用な朴念仁を巧みに演じております。加えて趣味が釣り(水産学者ですし)である役なので、フライフィッシングの腕前も披露してくれます。
 エミリーはユアンをサポートしてくれる遣り手のビジネスウーマン役です。テキパキとよく働くお姉さんです。
 エミリー・ブラント御本人もよく働く人ですね。『ヴィクトリア女王/世紀の愛』(2009年)以降、毎年数本は出演作品をお見かけします。『ウルフマン』(2010年)とか、『ガリバー旅行記』(同年)とか、『アジャストメント』(2011年)とか。
 今年も『ザ・マペッツ』(同年)でカエルのカーミットと共演しておりました(カメオ出演ですが)。
 本作では、奇想天外なプロジェクトを背景に、次第にユアンとエミリーが惹かれあっていく恋模様が描かれます。

 政府の首相広報担当官役がクリスティン・スコット・トーマス。原作小説では男性でしたが、映画化の際に女性に変更されました。政府の支持率を上げる為なら何でもやります的なキャラは映画版の方が強烈です。
 『サラの鍵』(2010年)で見せてくれたあの感動のシリアス演技はどこへやら。本作のクリスティンは実にイヤミでタカビーな女性として登場し、笑わせてくれます。

 そして本作で一番印象的なのは、夢を追うアラブの大富豪シャイフ・ムハンマド役のアムール・ワケドですね。『コンテイジョン』(2011年)にも出演されていたそうですが、どこに出ていたのか憶えが無いです(汗)。
 しかし本作でのシャイフ役は実に見事です。絶対にアラブ人の俳優にしたかったという監督のコダワリに見事に応えております。
 やはりアラブ人の役はアラブ人が演じるのが一番デスね。
 他にも、シャイフの侍従や護衛役には数少ない在英イエメン人をかき集めてエキストラにしているそうです(でも台詞無いので、そこまでイエメン人にこだわらなくてもいいような)。

 本作を観て一番に思うのは、何事も先入観で判断してはイカンと云うことですね。
 「イエメンで鮭を釣りたい」というリクエストに、私もユアンと同様、最初は「何を馬鹿なことを」と考えておりましたが、劇中でエミリーが説明してくれるように、イエメンは砂漠だけの国ではありません。
 アラビア半島の南西に位置し、紅海に面しているイエメンは、国土の東側こそ砂漠だが西側はモンスーンの通り道ともなっており、雨期には雨が降る。森林もあり、山岳地帯の気温は夜間なら摂氏二〇度以下にまで下がる。
 乾期に鮭を収容しておく湖のようなものさえあれば、雨期にワジ(枯れ川)に鮭を放流して遡上させることも、まんざら不可能ではないように思えてきます。
 劇中では既にワジ上流にダム湖が完成しているという設定になっており、シャイフの本気度が見て取れます(とにかく物凄い金持ちです)。

 本作では、ロンドンから始まり、スコットランドの古城(シャイフの住まい)、更にイエメンへと物語は進行していき、景観の妙も楽しめます。スコットランドの湖と河川も美しいが、イエメンの自然も雄大で実に美しいです。
 実際にはイエメンでのロケは許可が下りなかったそうなので、モロッコでのロケとなったそうですが、違和感なしです(つまりよく知らない)。

 そして砂漠の国の川に鮭を泳がせるという、不可能に思えた事柄を実現させていくプロジェクトが、「信じること」の大切さを訴えてきます。
 信じれば夢は叶うのだ。最初から不可能だと断じてしまっては、何も為し得ないと云うのは一理ありますけどね(しかしそれも底なしの経済力があればこそのような……)。

 シャイフとユアンには釣りという共通の趣味があったことから、二人の間に親近感が生まれるわけですが、劇中でシャイフが釣りに例えてユアンに「信じる心」を説く台詞が印象的です。
 釣り人が釣り糸を垂れるとき、そこに魚が釣れるという確証があるだろうか。魚がいつ釣れるのかは誰にも判らない。ひょっとしたら釣れないかも知れない。しかし釣り人は釣れると信じて釣り糸を垂らす。
 釣りと宗教は似たものなのだ(ホンマかいな)。

 更にプロジェクトが壁に突き当たったとき、信心なきユアンも自分の中に「信じる心」があることを自覚する。
 計画上、放流しなければならない鮭は一万匹。しかし入手できる鮭は全て養殖魚のみ。
 川を遡上したことの無い鮭ではプロジェクトが成功する見込みは薄い。しかし「川の遡上」と云う習性は鮭のDNAに刻まれている筈だ。養殖の鮭でも放流すれば、或いは……。
 確かな科学的裏付けなど無い。しかし養殖の鮭でも大丈夫だと、自分には「ただ判るのだ」と白状するユアンの言葉を聞いたシャイフが微笑んで云う。「博士、それが信じる心だよ」と。
 そして養殖鮭の放流にゴーサインが出るワケですが、鮭が水面を飛び跳ねる映像がこんなにも美しく、希望に満ちた画になるとは思いませんでした(笑)。
 また、プロジェクトもシャイフの道楽などではなく、故国の緑化と農業支援の一環だったと明かされるあたりでもうシャイフは善人を通り越して聖人のようです。

 ユアンの方も、いつの間にやらシャイフに感化されて、お堅い学者から変化していく様子がなかなかユーモラスかつ感動的です。
 そしてそれに連れてユアンとエミリーとの仲も進展していくのですが……。
 原作はユーモラスな物語ではありますが、ロマンス要素が少なく、このあたりの恋愛描写は映画化の際の脚色でありますが、実に無理なく本筋に絡んだ展開になっています。
 おかげでクライマックスで発生する大きな事故のあとでも、悲惨な印象はなく、明るく前向きで、非常に力強いストーリーになりました。
 ダリオ・マリアネッリの音楽も、スコットランド的なメロディとアラブ的なメロディが交錯する美しいスコアでした。

 でもこの映画を気に入って、原作も読んでみようと思われた方が、小説の方も気に入るかどうかはちょっと疑問ですねえ。
 かなりビターな結末ですから。
 爽やかな結末の方がお好みであれば、原作には手を出さない方がイイと思いますデス。




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