2015年2月9日月曜日

エクソダス : 神と王

(Exodus : Gods and Kings)

 旧約聖書の「出エジプト記」に基づくリドリー・スコット監督による宗教的叙事詩映画です。セシル・B・デミル監督による『十戒』(1956年)以来の実写化ですね。『十戒』も大作でしたが(232分)、本作も負けず劣らず大作です(150分)。
 題名の「エクソダス」とは「出エジプト記」のことです。ヘブライ人の民族移動(脱出)を指していた言葉ですが、転じて「大勢が何かから脱出すること」を指す用語になりました。SF者には「エクソダス」や「ディアスポラ」なんて用語は元ネタの聖書よりも、他の小説や映画の方でよく聞く言葉です。

 でも「出エジプト記」(と云うか、モーゼの物語)については、ブレンダ・チャップマン監督によるアニメ映画『プリンス・オブ・エジプト』(1998年)もありまして、個人的にはこちらの方が好みです。マライア・キャリーとホイットニー・ヒューストンが歌う主題歌 “When you Believe” はアカデミー賞(1999年・第71回)歌曲賞も受賞しましたし。
 ついでに、あの映画の声の出演は、モーゼがヴァル・キルマー、ラムセスがレイフ・ファインズ、他にもミシェル・ファイファーやらダニー・グローヴァーと豪華絢爛だったのが忘れ難い。

 ダーレン・アロノフスキー監督の『ノア 約束の舟』(2014年)や、クリストファー・スペンサー監督の『サン・オブ・ゴッド』(2015年)とか、宗教的な歴史映画は流行ってるんですかね。
 CG特撮でのスペクタクル描写は歴史大作映画向きではありまし、本作でもエジプトを襲う「十の災い」やら、クライマックスでの紅海の場面が一大スペクタクルとなって展開しております。「出エジプト記」でそこを描かずにどうする。
 他にも巨大なピラミッド建設の現場や、壮麗なメンフィスの都などの景観も見どころです。ナイルのほとりに建つ大都会メンフィスを俯瞰で捉えたショットは素晴らしいデス(CGだけど)。

 本作に於けるモーゼ役はクリスチャン・ベール。『アメリカン・ハッスル』(2013年)でのちょっとメタボな詐欺師の役から一転して、精悍なモーゼ役を演じております。でも今回は役作りがおとなしめでしょうか。聖書由来の物語で、あまりハジけるワケにもいかんか。
 一方、ラムセス役はジョエル・エドガートン。『華麗なるギャツビー』(2013年)ではレオナルド・ディカプリオの恋敵役でしたが、今回もまたマッチョで傲慢な役ですね。
 主役の二人の役作りを見ていると、どうしても本作は『十戒』のリメイクである感が拭えませぬ。はっきりリメイクであるとは明言されてはおりませんが、リメイクも同然な感じです。

 いや、誰がどう見てもクリスチャン・ベールはチャールトン・ヘストン的だし、ジョエル・エドガートンもユル・ブリンナーぽい。
 これはアニメの『プリンス・オブ・エジプト』にも云えることですが、「出エジプト記」を映画にしたとき、誰もが『十戒』に配慮したようなキャラクターになってしまうのは、やむを得ないことなのでしょうか。セシル・B・デミルは偉大だ。

 まぁ、モーゼについては、ミケランジェロがモーゼ像を製作したときからイメージは固まってしまったとも思えます。デミル監督も、ミケランジェロのモーゼ像を元にチャールトン・ヘストンを配役したわけですし。クリスチャン・ベールもまたそれに似せた風貌になっているので、尚のことチャールトン・ヘストンに似ております。
 しかしラムセスの方はどうなんでしょね。
 ラムセス二世の像もヌビア遺跡の神殿にあることはありますが、ミケランジェロほど写実的ではないので、もっと役作りに幅を持たせることは可能なのではないかと思うのに、今回もまたユル・ブリンナーぽいのは、『十戒』へのオマージュ以外に考えられませんな。

 本作に於いてもラムセスはスキンヘッドです。でもジョエル・エドガートンはユル・ブリンナーのように天然のスキンヘッドではないので、わざわざ髪を刈り込んでいる。おかげで紀元前のエジプトに海兵隊員のようなファラオがいることになってしまいました。
 別にファラオは全員、髪を短く刈らねばならないなんてルールはないと思うのですが。現に父親であるセティ一世(ジョン・タトゥーロ)には髪はちゃんと生えてましたし。
 「兄弟同然のように育った二人の王子」なのに、一方がハゲていて、もう一方が髪も髭も生やしている図と云うのは、対照的ですねえ(それを狙った演出なのでしょうが)。

 先述以外の配役では、モーゼの妻ツィポラ役にマリア・バルベルデ、モーゼを補佐するヨシュア役にアーロン・ポール、ヨシュアの父でモーゼに出生の秘密を明かす長老ヌンは名優ベン・キングスレーでした。
 もうベン・キングスレーはどんな民族の役でも違和感ナシなのが凄いですね。今度はヘブライ人の古老ですか。
 出番は短いですが、ラムセスの母(モーゼの義母)トゥーヤ妃がシガニー・ウィーバーでした。

 基本的なストーリーは『十戒』と同じ、と云うか「出エジプト記」に沿った展開です。ヒネリなし。
 エジプトの王子として育ったモーゼが出生の秘密を知り、神の啓示を受け、弾圧されている同胞であるヘブライ人を助け、民族を挙げてエジプトから脱出する。そしてシナイ半島で十の戒律を授かるところまで、ちゃんと描かれます。
 しかし『十戒』と異なり、かなりリアルな路線で描こうとしておりますので、超自然的な描写はできるだけ避ける方向で演出されています。
 その最たるものは、クライマックスの紅海の場面ですね。

 CGを使えば「海が割れる」シーンなど容易く映像化できるのでしょうが、本作は敢えてそこを避けるように演出しています。
 とある海峡では潮の干満によって水位が劇的に下がる場所がある、と云う描写になっています(きっと紀元前の頃にはそういう場所があったのでしょう)。超自然的にドカーンと海が真っ二つになる場面はありません。ちょっと意表を突かれました。
 しかしそれだと追ってくるエジプト軍に追いつかれてしまうではないか。

 どうするのかと思っていたら、そこで天変地異が起きて津波が押し寄せる場面になりました。背景には竜巻や雷光も描かれていて迫力ある場面です。
 大勢が巨大な津波に呑まれていくシーンは、実にスペクタクルではあるのですが……。
 しかし「海が割れる」のは不自然だが、「唐突に襲ってくる津波」は不自然ではないのか。別に地震があったという予兆もないまま、いきなり津波が発生しております。しかもかなり巨大。
 「見上げるばかりににそびえ立つ水の壁」と云う描写が、可能な限り聖書に則った場面に見えるように演出されているのは判るのですけれど。

 不自然さを避けたら、逆にもっと不自然な描写になってしまった気がします。
 大体、紅海での場面以前に、エジプトを「十の災い」が襲うのですが、そこをちゃんと描いているので、別に海が割れたってイイと思うのですがねえ。
 突然、巨大なワニが大挙して人々を襲い始める(だからナイルが赤く染まる)とか、魚が大量死する(だからハエやアブが大発生する)とか、リアルな描写です。疫病の蔓延もリアル。
 そういった災害が頻発しているところはちゃんと描いております。劇中ではラムセスの家臣が色々と理屈を捏ねて説明付けようとしている場面もあるので、可能な限り超自然現象ではないと解釈できるように配慮しているようではあります。

 でも何故、ワニが人を襲い始めたのか説明は無い。勿論、それはヤハウェの神様が天罰下しているからですが、リドリー・スコット監督としては、自然な天災のように見えなくもないギリギリな描写で乗り切ろうとしているようです。
 だから唐突すぎると云われても、土砂の堆積が原因で酸欠に陥った魚が大量死するのだと説明が付かないこともない(しかしそれ以前に何故そうなるのかまでは説明されませんが)。
 魚が大量に死ねば、その死骸にウジが湧いてハエやアブが大発生する。そしてハエを食べるのでカエルが大発生するし、害虫を媒介して疫病が流行るのだという連鎖的な演出に持っていこうとしております。それなりにリアルではあります。
 でも災厄と云いつつ、ちょっと笑ってしまいました。巨大なワニが人を襲うところは、ドコカデミタような怪獣映画さながらですし、「カエルの大量発生」に至っては、レイ・ミランド主演のホラー映画『吸血の群れ』(1972年)へのオマージュを感じます(コンセプトは同じですから似た場面になるのはやむを得ないか)。

 そんなこんなで科学的に解釈できなくもない「十の災い」なのですが、最後の災いだけはどうしようもない。モロに超自然現象として描かれてしまいました。
 都市全体を巨大な影が覆い、子供達がバタバタ死んでいくなんて場面には、説明も何も付けられないでしょう。何やら『インディペンデンス・デイ』の如き巨大な円盤が上空にいるかのように描かれ、特に理由もなく子供達が突然死を遂げていく。戸口に印のない家にいる子供は、人間だろうと家畜だろうとお構いなし。
 聖書の記述に沿ってはいますが、ヤハウェの神ばかり描いてエジプトの神々が全く描かれないのも、あまり公平ではないか。それにエジプト人がヘブライ人を弾圧しているとは云え、ヤハウェは罪もない子供の命を奪いまくりです。実に惨い。

 劇中では、ヤハウェの神様は少年の姿で現れます。それはモーゼにしか見えない。
 モーゼが神と対話している場面も、ヨシュアから見ると誰もいないところでモーゼが独り言を話しているようにしか見えない。
 聖書にあるとおり「燃える柴」も描かれておりますが、炎が直接喋ったりはせず、燃える柴の傍らに立っている少年が語りかけてくると云う演出になりました。だから「燃える柴」もフツーの焚き火のようです。
 子供なので癇癪も起こすし、理不尽な天罰も断行すると云いたいようですが、そこは宗教的にはクレームが付いたりはしないのか心配になってしまいます。
 まぁ、宗教的な題材の映画に全くクレームが付かないわけはないだろうとは思いますが。

 リアリティを重視した歴史映画にしたいが、神の奇跡も描かねばならない。あちらを立てればこちらが立たず、と云うのは良くあるハナシです。
 他にも、本作に於いては、あまり一方的な見方はしないような配慮がされているようには感じますが、元の「出エジプト記」がヘブライ人視点なのに、それはちょっと無理なのでは。
 劇中では、モーゼがヘブライ人の同胞に戦闘訓練を施し、弾圧に抵抗する戦力を育てていく場面もあります。しかしゲリラ的な抵抗であるので、民家に放火したりもする。一般家庭を巻き添えにしても平気なのか。イマドキならば「テロだ」と云われても仕方ないのでは。
 一応、モーゼとしては一般民衆からファラオに対して圧力を掛けさせる戦略だと語られますが、それはテロリストの理論でしょう。しかも、そんなチマチマした抵抗しか出来ないので、ヤハウェの神様から「手ぬるい」なんぞと叱られ、「十の災い」が引き起こされるのですが。

 結局、モーゼを悪役にすることなく、大量にエジプト人を殺すには、神様が勝手にやっているのだと云う描写にせざるを得ない。モーゼは常に天罰には反対だったのだと云わせて、人道的な側面を強調する演出になっていますが、なんか焼け石に水的な描写です。
 更に、終盤では紅海を渡りきったシナイ半島側で今後の方針をヨシュアらと語るとき、目指すカナンの地に着いたら「今度は我々が侵略者になってしまう」などとモーゼに云わせたりもしております。
 イマドキの映画としては、色々と配慮しなければならない事情があるのは理解出来ますが、どうにも不自然ですねえ。

 ヤハウェの神様との対話でも、神の云うことに常に反対しながらも、対話自体は続けることに意味があるのだとも語られ、昨今の世界情勢を慮っているような台詞も飛び出しますが、「だったらエジプト人とも対話すれば良かったのに」と観ていてツッコミ入れたくなりました。
 エジプトの人は本作にどんな感想を持たれるのでしょうか。なんせラムセス二世と云えば、古代エジプト最大のファラオとも言われた偉大な王様ですし。終盤ではラムセスの方が可哀想になってしまいました。

 とは云え、序盤のヒッタイト族との激烈な合戦シーンは迫力ありますし、リドリー・スコット監督作品としては『グラディエーター』(2000年)や『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)に並ぶ歴史大作だとは思います。ちょっと宗教的な部分は如何なものかと思ってしまいますが、それは私が日本人だからか。
 逆に宗教に鷹揚な日本人だからスルー出来るが、敬虔な信者が観たら看過できない部分もあるのでしょうか。歴史映画と宗教映画の両立は難しいですねえ。




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