2013年6月4日火曜日

故郷よ

(La terre outragee)

 一九八六年のチェルノブイリ原発事故を背景に描いたヒューマンドラマです。あれからもう四半世紀か。チェルノブイリ関係のドキュメンタリ映画は幾つか存じておりますが、原発事故を背景に描いたドラマと云うのは珍しい。
 また、本作はチェルノブイリ近郊の立入制限区域内で初めて撮影された映画であるそうで、背景に映る風景も実に興味深いです。やはり日本人としては、福島と重ねて観てしまうところがありまして、「福島もこんな風になっちゃうのかなぁ」とか「こうはしたくないなぁ」とか考えてしまいました。

 監督はイスラエル出身のミハル・ボガニム監督。本作が長編映画デビューです。
 本作は、フランス・ウクライナ・ポーランド・ドイツ合作でありまして、出演している俳優さんも馴染みのない方ばかりですが、只一人、オルガ・キュリレンコは存じておりました。
 オルガ・キュリレンコと云えば『007/慰めの報酬』(2008年)のボンドガールで有名になった女優さんですね。先日もトム・クルーズ主演の『オブリビオン』(2013年)でお見かけしました(本作の方が先に製作されておりますが)。
 『オブリビオン』では英語の台詞を喋っておりましたが、本作ではちゃんとウクライナ語を喋ります。劇中ではフランス語も喋りますし、六カ国語に堪能とはスゴイ人です(ウクライナ出身の女優さんですし)。

 本作の構成は「事故当時」と「一〇年後」の二部構成になっておりまして、前半は「事故当時」の様子──平和な頃のチェルノブイリ近郊の街プリピャチ──が描かれます。
 季節は春。鳥がさえずり、陽射しは温かく、実にのどかです。日付は一九八六年四月二五日(事故の前日)。
 一人の少年が、父親と一緒に川の土手にリンゴの木を植えている。川辺では釣りをしている人もおり、ボートに乗っている恋人達もいる。恋人達は翌日、結婚式を挙げるようです。
 その川の流れの向こうに、何やら工場のような厳めしい建物が建っており、そびえ立つ煙突からは白い煙が立ち上っている。説明が無くとも、それがチェルノブイリ原子力発電所であると判ります。結構、ボートで近くまで寄れるような描写にちょっと驚きました(この場面は合成でしょうか、それとも似た場所でロケされたのか)。

 本作のドラマは、この木を植えた少年と、結婚式を控えた花嫁と云う二人の視点で平行して描かれていきます。少年の父親は発電所の技師であり、花嫁の新郎は消防士らしい。
 プリピャチの街の広場では、五月に開業する遊園地のアナウンスが流れています。既に真新しい観覧車が広場に完成し、子供達が周りを駆け回っている。
 この後の災厄が判っているので、平和であればあるほどやりきれない感じです。

 そして翌朝。未明から降り出した雨に煙る森の中では、鹿や鳥たちが妙に騒がしい。農家ではやたら犬が吠え、牛たちも落ち着かない様子です。
 観ている側としては、何が起こっているのか判っているだけに、半ば諦めに似た気持ちで見守るしか出来ません。
 既に軍が出動し道路を封鎖しているが、農家の人達には説明も無く、通行止めであることを告げるのみ。木立の中では、雨に濡れた木々が早くも茶色く変色していく様子が映ります。

 一端、雨が上がると川辺では予定されていた結婚式の披露宴が賑やかに始まります。花嫁姿のオルガが幸せそうでありますが、そんなことしている場合じゃありませんよ。
 川岸には死んだ魚が何匹も浮かんでいますし、水鳥の死骸も流れてきたりしているのに。
 余談ですが、この披露宴の野外パーティで皆が歌うのが、加藤登紀子の「百万本のバラ」でした(八〇年代を風靡した歌謡曲ですねえ)。そうか、日本の歌謡曲はこんな所でも歌われていたりするのかぁ……などとボケかましました。あの歌は、元はロシア語の歌謡曲で、加藤登紀子の方が日本語でカバーしているのに(そう云えば、昔の歌謡番組でそんな解説を聞いた憶えがあるような)。

 宴もたけなわの頃に、新郎に「森林火災の消火活動」と云う名目で緊急招集がかけられ、花嫁を置いて青年は行ってしまう(そして二度と戻らない)。
 その後、再び降り始めた雨が、白いウェディングケーキのクリームを黒く染めていくのが怖いッ。うわぁ、ホントに「黒い雨」が降るんだ。このシーンが一番、忘れ難いです。
 でもロシアの人は井伏鱒二を読んでないから、あまり気にしていないような……。いや、もう、雨の色が黒かったら、ヤバいでしょ。避難しましょうよ。ブラック・レインなんですよ(泣)。

 一方、少年の家庭には父親にも緊急の電話がかかってくる。さすが原発技師だけあって、家庭に放射線計測器を常備しております。「窓に近寄るな」と厳命する父。
 職業上の守秘義務がある為、何が起きているかを話すことが出来なくても、常備薬の中から「ヨウ素剤」を取り出して、息子に飲めと命じるあたりでバレバレですわな。
 その上、「理由は訊くな。しばらく親戚の家に行っていなさい。雨には絶対、濡れないように」と妻と息子を送り出して、自分は残る。父親は半ば覚悟しているようにも見受けられます。

 このあと「川で捕れた魚をネコに食べさせたら、ネコが死んだ」とか、「市場の肉売り場で放射線計測器がピーピー鳴りっぱなし」とか、「農家の養蜂箱の中でミツバチが全滅している」とか、只ならぬ状況がこれでもかと描写されますが、人間だけがのんびりしている。知らないと云うことは怖ろしい。
 その日は一晩中、原子力発電所が「青白く照らされて、煙をもくもく上げて」おります。嗚呼。
 更に翌日になって、やっと防護服姿の軍隊がやってきて近隣の家屋を除染していきますが、物凄く手抜きでおざなりの除染作業であるのが笑ってしまいます。これは……ギャグじゃ……ないよなぁ。

 オリガの元には、いきなり新郎殉職の連絡がある。しかし病院へ駆けつけても、遺体には逢わせてもらえない。
 あまりに高い放射線に被曝している為、「遺体に逢うだけであなたも死にます」と云われて呆然とするオリガ。どんだけ高レベルの放射線だったのか。
 結局、このあたりで当局もこれ以上は隠せなくなり、事故後三日目にして、ようやくプリピャチの住民には避難命令が出されますが、やっぱり詳細は伏せられたまま。数日で戻ってこられるとタカを括ってバスに乗っていく人々。
 沿道にミハイル・ゴルバチョフの大きな看板が立っているのが印象的でした。

 そしていきなり「一〇年後」です。ソビエト崩壊後ですね。
 原発事故の詳細は描かれてはおりません。そんなことは云わずもがなですし。
 事故後一〇年が経過しても避難した人々は帰ることが許されず、ゴーストタウンと化したプリピャチの街に「被災地見学ツアー」のバスがやって来る。定期的なツアーのようで、オリガはここでガイドを務めておりました。
 遂に一度も営業できなかった遊園地の観覧車が、赤錆びたまま放置されているのが哀しい。ついでに広場のレーニン像もそのまま(撤去する人もいないか)。
 本作を観ていると、あの超絶B級映画と化した『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2012年)が思い出されました(街並みの再現度が結構高かったなぁ)。

 しかし被災地の見学ツアーなんて商売に出来るものなのかと思いましたが、ツアー会社はちゃんと営業できているらしい。フランス人向けのツアーであるらしく、オリガも流暢にフランス語で解説しています。
 日本じゃこんなツアーは不謹慎だとか云われてしまうのでしょうねえ。ロシアの人は商魂逞しい。あまり復興支援にはなって無さそうですが。
 「奇形動物を見たがるツアー客」と云うのも、エラく不謹慎です。

 あの日、母と一緒に避難した少年ヴァレリーもまた街に戻ってきている(青年に成長しております)。原発事故で亡くなった作業員らの追悼式典に出席する為ですが、父が死んだことを認めたくないようです。式典の後、母を残して一人でプリピャチの街に舞い戻っていく。
 空家となったかつての我が家の壁に、父親に宛てたメッセージを書き付けますが、これを父親が読むことがあるのか。
 警察が「健康に影響があるので直ちに戻りなさい」とスピーカーで呼びかけながら追いかけてくる。一〇年経っても、長時間プリピャチに滞在することは許されないと云う描写が厳しい。

 気になったのは、ヴァレリーの父が生きていると云う描写です。助かったのかと思いきや、何故か放浪の旅を続けている。
 プリピャチ行きの切符を買おうとしても、そんな切符はもうどこにも売っておらず、切符が買えないから帰って来られない。
 劇中では、父親がどこかで生きているような描写が数回、挿入されますが、これはどうも息子の幻想であるようです。
 生きているのに、妻子の元に帰ることが出来ず、いずことも知れぬ雑踏や、列車の車中で、人々の名前を尋ねてはそれを書き取っていくだけの終わることのない作業に没頭する父。記録することに執着しているようですが、原子力発電所の技師がする仕事ではない。正気を失って放浪しているようにも見えます。
 父が何故、帰って来ないのか、ヴァレリーにも判っている筈。しかし父の死を認めたくないという心理が働き、「生きてはいるが、どこかを放浪している」のだと思い込もうとしているようです。

 一方で、ツアーガイドなんぞやって、定期的に街を訪れるオリガの方は大丈夫なのかと思っておりましたら、シャワーを浴びてると髪の毛が抜けていく描写がありました。やっぱり大丈夫じゃないッ。
 ガイドなんか辞めればいいのに、そのつもりはないようです。しばらくプリピャチを離れていても、また舞い戻ってしまう。住むことが出来ないのに、離れては暮らせないと云う、二律背反。
 ヘビースモーカーとなっていますが、今更、タバコによる肺癌なんぞ怖くもない。
 フランス人の恋人が出来たが、パリで新生活を始める決断が下せず破局します。

 他にも、劇中ではタジキスタンからの難民が違法に民家を占拠している様子も描かれます。オリガは異民族が故郷に侵入していることに反発するも、どうすることも出来ない。
 難民の方は、放射能なんぞ気にせず生活しており、我が物顔に空家を占領しております。取り締まる官憲もおりませんし。こういうのも自己責任なのでしょうか。
 劇中では他にも、勝手に戻っている農家の者もおり、難民達とは距離を置いて生活している様子も描かれます。作物を作って自給しているようですが、平気で暮らす神経が理解できん。

 人間とは図太いものなのか。オリガも、何故この地に留まるのかと訊かれて「故郷だから」と短く答えるのみです。全員ではないにしても、やはり何人かは消滅してしまった故郷に繋ぎ止められてしまうもののようです。
 本作の登場人物は誰一人、泣いたり嘆いたりしないのが、逆にやるせないです。もはや涙も涸れ果てたのか。

 ウクライナ政府による支援活動のようなものは一切、描かれておりませんが、描かれていないだけなのか、そんなものは無かったのか、本作だけでは判断の付かないところです。
 日本政府の福島原発事故への対応もあまり誉められたものではないとは思いマスが、こちらに比べれば遥かにマシでしょうかねえ(下を見てもしょうがないか)。




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