2016年10月8日土曜日

CUTIE HONEY ─TEARS─

(Cutie Honey : tears)

 永井豪とダイナミックプロによる『キューティーハニー』が、またリメイクされました。今までにTVシリーズのアニメで二回、OVAでも二回、更に実写版でも二回映像化されておりますね。
 ハニー役も、増山江威子、根谷美智子、永野愛、佐藤江梨子、堀江由衣、原幹恵と続いて、本作で七代目ハニーを襲名したのが、西内まりや。
 さすがはモデル出身の女優だけあって、ハニー役に抜擢されるのも肯けます。

 だがしかし。本作を『キューティーハニー』と銘打っちゃっていいのかと云う、根源的な疑問がどうしても頭を離れません。何故、キューティーハニーなのだ。一体、どこがキューティーハニーなのだ。
 マーベルやDCのアメコミが次々に映画化されているからといって、邦画で同じ事を企画するのは安易すぎるのでは……。

 かつてOVA版『Re:キューティーハニー』(2004年)で総監督を務めた庵野秀明が音声解説で持論を展開していたことを思い出します。
 確か、「何が『キューティーハニー』のキモなのか」と云うハナシだったような。

 名作であればリメイクも繰り返されるし、バリエーションも増えるであろう。オリジナルの設定と異なる要素も入ってくるかも知れない。そんな中で「これさえ外さなければ『キューティーハニー』である」的なことを解説されていたと記憶しています。
 曰く──

 「ハニーフラッシュ!」と叫んで変身するとき、一瞬のセクシーショット(見えるか見えないかは別にして)の背後であがる、男たちのどよめきこそが肝なのである。

 あの、驚愕と劣情が入り交じった「おおおおうっ」と云う、どよめきの声が残るなら、ちゃんと『キューティーハニー』になってますよ的な持論であったと記憶しております。そりゃ公衆の面前で若い女性が瞬間的にヌードになって変身するのだから、男たちがどよめくのは当然か。
 その「どよめき」が不自然にならない程度のシチュエーションさえ残せるなら、『キューティーハニー』は成立するのである──といった解説だったような。
 半分、ジョークであったとしても言い得て妙であると感心したことを憶えております。
 まぁ、庵野秀明監督はOVA版の前に、佐藤江梨子主演の初の実写版(2004年)で随分と個性的なことをやらかしてくれてはおりましたが(でも倖田來未の主題歌はヒットしましたね)。

 さて、その庵野秀明の持論に照らし合わせると本作はどうであるか。
 これがまた見事に真逆と云うか、庵野秀明の解説で語られた部分を、きれいサッパリと取り除いてしまっています。「どよめき」要素皆無。
 そもそも「ハニーフラッシュ!」とは叫ばないし。

 また、個人的には『キューティーハニー』の見せ場として、クライマックスで悪党達を前にして、それまでのドラマ展開で披露してきた変身の種明かしをする口上が必要だろうと思っております。
 元ネタは比佐芳武原作の探偵映画『多羅尾伴内』シリーズですよね。あの片岡千恵蔵主演の『七つの顔の男』(1946年)に始まる一連の作品です。さすがに私もオリジナル版は観たことありませぬが、小林旭主演でリメイクもされましたし、石ノ森章太郎がコミカライズもしておりますので、そちらの記憶の方が鮮明です。

 「あるときは片眼の運転手、またあるときは波止場のマドロス、しかしてその実体はッ!」と云う、あの口上ですよ(変装の内容によって口上は毎回、異なりますが)。『キューティーハニー』が『多羅尾伴内』をモチーフにしているのは明白ですね。
 これは『キューティーハニー』に限った話ではなく、『多羅尾伴内』は色々な作品のモチーフにされたり、ネタとして使用されております。タレントの松尾伴内の名前の由来もそうですし。

 しかし、本作ではその口上もありません。
 「愛の戦士、キューティーハニーさ!」と西内まりやが大見得を切る場面が……ないッ(泣)。
 さぞかしCGのエフェクトを盛大に使った絢爛豪華な変身シーンを展開してくれるのだろうと期待していたのですが。けしからん。

 そう云えば西内まりやの役名も「如月ハニー」ではなかったな。劇中では常に「如月ヒトミ」と名乗っておりました。早見青児(三浦貴大)からは「ヒトミちゃん」と呼ばれておりましたが。
 だから「ハニー」ではないです。
 まぁ、「天才的科学者、如月博士(岩城滉一)が亡くなった愛娘の姿を模して作りあげた女性型アンドロイドである」と云う部分と、「内蔵された空中元素固定装置を使って変身する」と云う部分は残りましたが、そもそも「ハニーという名前ではないので、ハニーとは呼ばれない(当たり前か)」のです。
 しかし題名が『CUTIE HONEY』なのに、そりゃなかろう。

 劇中で一回だけ、「キューティーハニー」と呼ばれる場面がありました。ラスボスである石田ニコルが変身した西内まりやをそう呼ぶのですが、それまで一度も呼ばれなかった名前で突然、「ハニー」と呼ぶのが、大層不自然でした。
 もう無理矢理、脚本上に台詞を挿入しているのが明白で、実にシラケます。こんな台詞を入れるくらいなら、いっそ全く「ハニー」と呼ばない演出であった方が良かったとさえ思えます。
 石田ニコルは結構、頑張っていたのに、あんな白々しい台詞を強要されるのがちょっと可哀想だとさえ思われました。

 本作の監督には、A.T.なる人物とヒグチリョウの二名がクレジットされています。
 A.T.はCM製作会社出身で、本作が初監督作品となる人であるそうな。
 ヒグチリョウは、CG特撮で知られた白組の方ですね。こちらもMVの監督やVFXの監修の方が多い人ですね。サッカーの長友佑都選手をモデルとしたアニメ『ゆうとくんがいく』(2014年)が初監督作品でしたので、本作で二作目となります。
 映像的にこだわりのある監督であるのは判ります。本作もまたCG特撮な背景が随所に使用されたりしており、白組のVFXはそれなりの出来ではありました。
 でも大抵の場合、映像派の監督作品は脚本が弱いという特徴があって、本作も例外ではありませんでした。

 総じて、本作にはビジュアルやアクションの演出にあまり難点はありません。役者の演技もそこそこでしょう(上を見たらキリが無いし)。
 全ては脚本と演出が残念すぎる。これに尽きます。
 それほど予算の取れなかった作品であるのは判ります。TVの特撮ヒーロー番組よりは、多少はリッチな画面ではありますが、Vシネ的クオリティであるのは仕方がない。
 本作を観てると、同じ東映配給だった『キカイダー REBOOT』(2014年)を思い出してしまいました。類似点が色々あって、同じような失敗を繰り返していることが伺えます。

 過去のアニメや特撮番組をリメイクするときに、大幅な設定の変更を行い、元の作品の魅力を根こそぎ失ってしまうと云う、あのパターン。『CASSHERN』(2004年)やら、『ガッチャマン』(2013年)やら、類似の例には事欠かないのが恨めしい。
 やはり制作側に、オリジナルに対する愛が欠落しているからではないのか。
 オマケに、本作にもまた邦画特有の悪い癖が見受けられました。即ち、クライマックスの危急存亡のときに、やたらと悠長にお涙頂戴な別れのシーンを入れたがる、と云うアレです。誰も不自然だと思わないのかな。

 変身時の掛け声がなく、セクシーショットもなく、男たちもどよめかない。
 そもそも本作ではヒロインに変身する能力はあれど、ストーリー上には変身する必然も、必要もない。様々な姿になって敵を幻惑するから、ラストで「実はアレもコレも全部、私だったのよ」と正体を明かす痛快な口上が入るのに、それもない。
 どうもパターンな決め台詞を取り除くことが、リアルなストーリーにすることだと勘違いしているかのように思われます。

 で、取り除かれた部分に代わって、新たに注入された設定が実にヨクアル設定でして。
 民衆を弾圧する強圧的な体制と、その体制に反旗を翻すレジスタンス達の抗争に、世間から身を隠して逃亡し続ける人間そっくりなアンドロイドが巻き込まれていくと云うのが本筋です。

 三四年前に公開された『ブレードランナー』(1982年)は本当に衝撃でしたが、今ではもう「環境汚染が進んだ暗黒未来都市の図」と云うのは、SF映画には定番の背景ですよね。
 本作に於いても、「汚染物質混じりの降りしきる雨」なんて背景が堂々と使われております。一体、『キューティーハニー』に、こんな設定が必要なのか。

 これは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』(2016年)を観たときにも感じたことです。ようやく日本でも『ブレードランナー』的な背景をCGを駆使しながら、きちんと描けるようになったと云うのは喜ばしいが、だからと云ってこれ見よがしにそんな場面を入れられても、困ります。
 『テラフォーマーズ』には、まだそのような背景が必要であるのは感じられましたが、『キューティーハニー』にソレが必要だと思わせる理由がさっぱり思いつきませんデス。
 「逃亡アンドロイド」というキーワードから連想したのでしょうか。

 当然、敵も「犯罪結社パンサークロー」ではありません。
 格差社会が極端に進行した未来において、巨大な都市の上層部分に富裕層が住まいし、下層部分には貧困層がひしめいている。都市の上層部は管理されて清潔で塵一つなく、汚染物質はすべて下層部に垂れ流している。
 都市の機能はすべて人工知能によって制御され、その人工知能の一部を担っているのが、もう一人のアンドロイドであるジル様(これが石田ニコルね)です。

 富裕層は享楽的で労働はすべて機械任せ、貧困層は汚染された環境で細々と生き存えていると云う、限りなくドコカデミタような定番のSF設定が披露されます。
 意外性のないヨクアル設定でも、アレンジの仕方が巧ければ気にもならないのですが、本作はどうにも設定の処理が杜撰というか、定番設定のイメージに頼りすぎた模倣作品の域を抜け出しておりませんです。

 さて、そんな環境問題を解決する為に考案されたのが、空中元素固定装置。
 汚染物質を分解して環境を浄化するマシンと云う設定が、『宇宙戦艦ヤマト』のコスモクリーナーDのようです。SF者としてツッ込みの一つも入れたくなるのですが、それよりもストーリーの展開の方に穴が多すぎて、ツッコミが追いつきませんでした。不自然な上にも不自然な設定が多く、レジスタンスもテロを起こせば体制が崩壊して万事解決すると信じているような愚か者たちばかりです。
 冒頭で如月博士が命を落とす場面があり、終盤で「実は敵に捕らわれたまま生きていました」的に現れるのがサプライズではありましたが、「だったら空中元素固定装置の秘密もすぐに手に入ったのではないか」と云う疑問は華麗にスルー。

 設定を変更するのは制作側の好みにもよりましょうが、もう少し脚本に整合性を持たせることは出来なかったのか。ある場面のインパクトだけを考えて、その前後の矛盾には気がついていないところが多すぎます。
 ついでに、レジスタンスの機密事項をペラペラと口にして「台詞で計画や状況を説明する」のも勘弁して戴きたかったです。ネットワークシステムへの侵入描写もお手軽すぎるでしょ。
 根本的なところで、如月博士がジルを拒絶した理由や、ジルの最終目的が人類殲滅であるらしいのに、空中元素固定装置を手に入れてどうするつもりだったのかも曖昧なままでした。

 背景描写が手抜かりしまくりなのに、見た目のビジュアルだけはそれなりです。
 部分的な格闘シーン等の殺陣も巧く演出されているだけに、ストーリーの全体的な流れが破綻しているのが残念極まりないです。
 西内まりやも頑張って格闘シーンを演じておりますし、バトルスーツのデザインもスタイリッシュです。実際、西内まりやはかなりカッコよく見えます。
 セクシーショットなしの、凛々しいヒロインによる活劇にしても、これはこれでよろしいとは思えます。ジルとハニーだけに絞った対立の構図も潔いでしょう。
 出来ればパンサーゾラも登場させて、ゾラとジルの関係も描いて戴きたかったが、石田ニコルが思いの外、美形悪役を好演していたので、そこは我慢できます。

 やっぱり、妙なSF設定を入れてしまった所為なんですかねえ。
 西内まりやは逃亡中の身であるので、出来る限り目立たないように暮らしていて、とてもじゃないが姿をくるくる変える華やかな変身シーンなど入れられない。苦肉の策として、ジルの本拠であるタワーに潜入する際に、ちょっとだけファッションショー的なシチュエーションを取り入れてくれましたが、かなり焼け石に水でした。
 申し訳程度に劇中で流れるオリジナルの主題歌の扱いが小さすぎたのも不満のタネです。

 本作で『キューティーハニー』の実写版も三作になりましたが、実は原幹恵の『キューティーハニー THE LIVE』(2007年)が一番、良かったように感じられました。
 邦画でアニメの実写化に挑戦するのは難しいですねえ(だからアニメでもう一度、リメイクしてくれてもいいのよ)。




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