2016年1月19日火曜日

完全なるチェックメイト

(Pawn Sacrifice)

 天才チェスプレイヤーにして第一四代公式世界チャンピオンであったボビー・フィッシャーの半生を描く伝記映画です。専ら冷戦下の七〇年代が背景に描かれ、先代チャンピオンであるボリス・スパツキーとの世界チェス選手権での対決に焦点が当てられております。
 本作の監督は エドワード・ズウィック。『ラブ & ドラッグ』(2010年)以来ですね。その前の『ディファイアンス』(2008年)もそうでしたが、近年のズウィック監督は「実話に基づくストーリー」が気に入っておられるようで。作品の題材は「バイアグラ」だったり、「ユダヤ人レジスタンス」だったり、「チェスと冷戦」と色々ですが。

 本作で主役のボビー・フィッシャーを演じているのは、トビー・マグワイアです。『スパイダーマン』(2002年)だったのはもう過去か。『マイ・ブラザー』(2009年)や、『華麗なるギャツビー』(2013年)といったシリアスな文芸作品への出演が多いようです。ケイト・ウィンスレットとジョシュ・ブローリンのサスペンス映画『とらわれて夏』(2013年)でも、チラリと顔見せしてくれておりました。
 結構、精神を病んだ男の役が多いデスね。もう神経質でピリピリしたような危うい役を演じさせたら天下一品ですわ(ジェシー・アイゼンバーグと対決させてあげたい)。

 ライバルとなるボリス・スパツキーを演じているのは、リーヴ・シュレイバー。ズウィック監督とは『ディファイアンス』で一緒に仕事をしておりますが、個人的には『X-MEN』シリーズでのセイバートゥース役が印象深い。好きなのは『クライシス・オブ・アメリカ』(2004年)なんですが、近年では『大統領の執事の涙』(2013年)とか『ジゴロ・イン・ニューヨーク』(同年)に出演されています。
 本作ではソ連のチェス・プレイヤーの役で、流暢にロシア語を喋っておられました。

 トビー・マグワイアをサポートするウィリアム・ロンバルディ神父役がピーター・サースガードです。『ブルージャスミン』(2013年)や『ラヴレース』(同年)でお見かけしておりますが、あまり良い印象がない。善人役が少ないからか。個人的に、ピーター・サースガードの一番の悪役は『グリーン・ランタン』(2011年)だと思うところです。
 それが本作では善人役。「神職にありながらチェスの名人」と云う設定がなんかカッコいいです。かつてはボビー・フィッシャーにも勝利したことがあり、今度はサポート役に徹して、ボビーと周囲の仲介を務める役です。

 ボビー・フィッシャーのチェスの腕前を見込んでマネージャー役を売り込みに来るのがポール・マーシャルと云う男で、演じているのはマイケル・スタールバーグです。この人は『ブルージャスミン』でもピーター・サースガードと共演しておりましたね。
 劇中では何やらCIAとも繋がりがあるように描かれ、チェスの対局が米ソの代理戦争の様相を呈していった背景には、この男の暗躍があったかのように描かれております。
 チェスの知識は皆無に等しく、劇中でも「とにかくアメリカが勝つと嬉しいのだ」と話しておりました。アメリカがソ連に勝てれば、別にチェスでも何でもよかったのか。

 チェスのプレーヤーが主役のストーリーですが、特に観ている側にチェスの知識が無くても大丈夫なように演出が配慮されています。
 観ている側としては、ピーター・サースガードとマイケル・スタールバーグの二人の反応で、トビー・マグワイアのチェスの試合運びが判ります。対局しているプレーヤーはあまり表情を表に出しませんし。
 対局中にトビー・マグワイアが駒を進めると、それをモニタで見ていたピーター・サースガードがマイケル・スタールバーグに解説してくれるので、こちらにもそれがどんな手だか判る。
 何か不味い手だったり、逆に妙手だったりする都度、ピーターがモニタを睨みながら唸ったり眉をひそめたりして、それを心配そうに覗き込むマイケルの表情がユーモラスでした。
 凡人には天才チェスプレイヤーの深謀遠慮は計り知れませんです。

 まずは冒頭、一九七二年のレイキャヴィクで行われているチェスの世界選手権で、挑戦者ボビー・フィッシャーが二局目の対戦を棄権した旨を伝える報道が流れております。その結果、現役チャンピオンのボリス・スパツキーは不戦勝で二ポイント先取。
 その頃、投宿先のホテルでは明らかに常軌を逸したトビー・マグワイアが部屋中を改めまくって監視されていないか、盗聴器を仕掛けられていないか確認しようとしている。この病的な態度はどうしたことか。
 と云う場面から、時間が巻き戻りボビー・フィッシャーの少年時代まで遡ります。

 一九五一年。ボビー・フィッシャーの両親は共に共産党員であったと語られます。政治活動に熱心な両親からあまり構ってもらえない孤独な少年だったようで。
 同時に、子供の頃から変わったところがあったと描かれており、観ている限りでは軽いアスペルガー症候群のようでもありました。
 黙ってチェス盤を眺めていると、次に駒をどう動かすべきなのかが判る。画面上には駒が進むべき方向に矢印が表示されると云う描写があります。
 あたかも知識が無くても天啓を受けて駒を動かしているかのようですが、この「矢印が見える」演出はこのとき限りです。特に大人になってもトビー・マグワイアの目にはそのように見えているわけではなさそうなので、ちょっと妙な感じがしました。

 当時のニュースフィルム風な映像を交えつつ、十二歳でマスターに勝つほどの腕前となり、遂に十五歳で最年少グランドマスターの称号を得たと伝えられます。断片的に映る当時の世相が興味深いです。ベトナム戦争やビートルズの時代ですねえ。
 同時に、両親が離婚し、家庭は崩壊。その所為でますます内向的になり、チェス以外のことには関心を向けない青少年へと成長していくようです。そして少年時代の子役から、トビー・マグワイアにバトンタッチ。

 しかし内向的というよりも人嫌いなのでは。その上、怖ろしく神経質です。
 対局中には些細な物音でも気になって仕方がないといった描写もあります。そして緊張の末に集中力が維持できなくなると、今度は途端に怒り始める。興奮すると手が付けられない。
 気に障る物音も、誰かが自分を勝てなくするための妨害工作だ、などと被害妄想めいた発言を発しております。あまりに繊細すぎるのか。

 どうにもボビー・フィッシャーとは精神的にかなり不安定な人のようです。
 癇癪を起こした末に国際試合から引退する旨、宣言します。そこへ怪しげな男が接触してくる。マイケル・スタールバーグは自分から「代理人になりたい」旨を申込む。自分は愛国者であり、当時のチェス最強国であるソビエトに何としてでも勝ちたいのだと語ります。
 マイケルの勧めと仲介で暴言を謝罪し、チェス界に復帰するトビー。

 劇中では引退と復帰にたびたび言及されますが、本当に何度もやらかしているようです。史実では、六二年(19歳)で一度引退、六六年(23歳)で復帰、六八年(25歳)で再引退、七〇年で再復帰と行ったり来たりです。
 また、「チェス界のモーツァルト」とも称されております。才能はあるが奇矯な性格であるという意味か。つき合いきれないほど性格に難があるようですが、その才能は惜しまれている。

 そして最初の復帰後に、カリフォルニアを訪れていたソ連のボリス・スパスキーと初めて対戦することになります。手始めに、ボリスに随行していた世界第三位のプレイヤーに快勝。
 このあたりからトビー・マグワイアの性格がどんどん傲慢になっていきます。会場までリムジンで送迎しろとか、収益の三〇パーセントを寄こせとか、無茶振りが激しい。
 おたおたしながらも全力でリクエストに応えようとするマイケル・スタールバーグの姿に涙を禁じ得ません。そもそもの動機が「アメリカがソ連に勝つところが見たいんだ」と云うチェスとは無関係なものであるとしても、その為には苦労を厭わないのはある意味、見上げた根性です。

 そして初めて世界王者と対局するが敗退。笑顔を崩さないリーヴ・シュレイバーの余裕ある態度に王者の風格が漂っております。
 例え世界二位でも、一位でないなら意味なしだとクサるトビー。ピーター・サースガードは「心の問題が解決しなければ二位のままだ」と云い放つ。同時にピーターは、チェスのプレイヤーは精神を病むことが多いと語ります。多くのマスターが精神に変調を来し引退を余儀なくされ、中には自殺するものもいる。
 極度の緊張と集中の中で膨大なチェスの差し手を計算する脳にかかる負担は如何ばかりか。

 二度目の引退と復帰後、再び王者へ挑戦するために、自分と相手の間にいるグランドマスター級のプレイヤーを次々に撃破していくトビー。数年かけた出来事ではありますが、このあたりの時間軸は圧縮されてさらりと流されております。
 そしてその期間中でもトビーの精神は悪化していく。盗聴を気にし、ユダヤ陰謀論を唱え、もはや偏執的な妄想の世界から抜け出せないようです。
 弟の身を心配する姉が精神科への入院を訴えますが、代理人を務めるマークが邪魔をします。せっかく世界選手権に再度挑戦できるようになったのに、入院なんぞさせるものかという態度がミエミエです。
 トビーはもはや狂気の淵にあるのですが、その所為で無理難題を押しつけられて自分が苦労する羽目になるので、自業自得ではありますが。

 そして冒頭でも描かれた一九七二年のレイキャビクへと戻ってきます。ベトナム戦争はアメリカの敗戦濃厚な中、この盤上の戦いには負けるわけにはいかないのだと云われておりますが、そんな国家の都合を押しつけられて心身共にボロボロなトビー・マグワイアが哀れです。
 そして一局目で敗退。二局目は棄権。二ポイント先取されてからの逆転は困難極まりない。
 なのに三局目を対戦するなら、ギャラリーなし、撮影なし、雑音のしない密室での対戦にしろと無茶な要求を突きつける。さすがのマイケル・スタールバーグもお手上げ状態。

 しかしリーヴ・シュレイバーの方がそれを承諾します。勝ちを譲られても嬉しくない、対戦から逃げることは許さないと、こちらも対局にコダワリを見せています。
 そして密室での第三戦。理想的な環境が得られたからなのか、落ち着いたトビー・マグワイアが不思議な手を差し始める。相当な奇手のようですが、これで三局目には勝利します。
 たった一局勝っただけで全米が熱狂するというのも現金ですわ。まさに代理戦争。

 更に四戦、五戦と対局を進め旗色が悪くなっていくリーヴ・シュレイバー。すると今まで余裕のある態度を見せていたチャンピオンの方が逆に神経質になって、些細な椅子の軋みにクレームを付け始める様子が笑えました。
 やはりチェス・プレーヤーとは多かれ少なかれ偏執的なものなのか。
 そして運命の六局目。史実でも、このときの対戦は世紀の名局と称されているそうな。
 それまでの病的演技が消え失せ、能面のように無表情なトビー・マグワイアが不気味です。
 沈黙の内に差した一手に呆然とするリーヴ・シュレイバー。なんか凄い手であったらしい。

 脱帽するチャンピオン。熱狂する米国市民。それとは対照的に冷め切ったトビー。脳が燃え尽きてしまったような印象です。
 この先はもう字幕で端折りまくり。ボビー・フィッシャーが世界王者となった旨が語られますが、凱旋帰国した後も奇行と暴言は止まらなかったようで、世間の反発を買い、そして失踪。
 世界を放浪して、あちこちで拘留される落ちぶれ振りです。
 数奇な運命の末、二〇〇八年にアイスランドで死去する旨が語られ、御本人の晩年の肖像がエンドクレジットに映されます。

 白熱の対局に比べて、あまりにも淡々としたその後の描写にいささか拍子抜けの感が拭いきれません。実話に基づく以上、妙な脚色は出来ないか。省略された後半生の方がミステリアスで、ドラマになりそうな感じでしたのに。
 トビー・マグワイアの演技は凄みが漂っていましたが、中盤までの狂気を孕んだ熱演と、クライマックスの対局で見せる冷め切った演技の境目がよく判りませんでした。「如何にしてその境地に到達したのか」判るように演出して戴きたかったです。
 終盤で「実話である」部分に収束させる為に風呂敷を畳み損なったようで、ちょっと惜しい。




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