2015年12月12日土曜日

ハンガー・ゲーム FINAL : レボリューション

(The Hunger Games : Mockingjay Part 2)

 スーザン・コリンズのSF小説『ハンガー・ゲーム』シリーズの映画化完結編(の後編)です。第三作『ハンガー・ゲーム FINAL : レジスタンス』(2014年)と併せて原作の『~3/マネシカケスの少女』となります。
 原作の方は未読のままですが、忠実に映像化されているのでしょう(多分)。ストーリーも一件落着し、もはや続くことはないと安心できます。二作目、三作目あたりの「つづく」で終わるエンディングに鬱々とすることはもう無いのです。本当に良かった。
 それにしても、年一作のペースを崩さず、四年できちんと完結させてくれた制作陣の手腕を高く評価したいですね。
 本作の監督はフランシス・ローレンスです。二作目以降はすべて監督しており、おかげで作品の印象としても一貫しております。音楽も同じくジェームズ・ニュートン・ハワード。

 出演陣も、同じ役はすべて同一俳優です。ジェニファー・ローレンス、ジョシュ・ハッチャーソン、リアム・ヘムズワース、ウディ・ハレルソン、エリザベス・バンクス、スタンリー・トゥッチ、ドナルド・サザーランドと豪華なものデス。原作がベストセラーだとは云え、全員皆勤賞とは素晴らしい。
 途中参加組も、ジュリアン・ムーア、フィリップ・シーモア・ホフマン、ジェフリー・ライト、サム・フランクリンと皆さんそろっております。
 ただ本作がフィリップ・シーモア・ホフマンの遺作になるのが残念。お亡くなりになる前にほぼ全て撮り終えていたとは云え、生前の姿を拝める最後の作品になるとはちょっと感慨深い。

 しかし「ほぼ全て」と云うことは、少し足りない部分があるのだろうなとは感じておりました。だから本作を観るときは「どこで出番がなくなるのか」に興味が湧いて、カットニス(ジェニファー・ローレンス)が戦い続けるストーリーの間に、コイン首相(ジュリアン・ムーア)とプルターク(フィリップ・シーモア・ホフマン)が作戦会議をする場面が挿入される都度、「よかった。まだプルタークは無事だ」と安堵しておりました。
 多分、ラスト近くでカットニスの元にヘイミッチ(ウディ・ハレルソン)が訪れる場面辺りが当初の予定にない場面なのかなと推察いたします(原作未読のまま勝手なこと書いてますので間違っていたら御容赦願います)。
 あの場面は、そのままカットニスとプルタークが直接会って会話しても良さげに思われるのですが、ヘイミッチが「プルタークからの手紙」を読み上げて間接的に別れを告げると云う演出になっておりました。
 多分、フィリップ・シーモア・ホフマンはこの場面を撮る前にお亡くなりになったのではないか。
 ストーリー上は、プルタークは最後まで生き残ってパネムの新政権を補佐し続けることになるのですが。

 おっと、革命が成功することを先にバラしてしまいましたが、よもやスノー大統領(ドナルド・サザーランド)の独裁政権が倒されないラストを予想していた方はおられますまい。そんなバッド・エンドは認められませんですね。
 問題は、独裁政権が倒される過程が非常にゆっくり描かれ、映画を四部作にまでして引き延ばさねばならないほどのことだったのかと云うことの方でしょう。
 まぁ、きちんと完結してくれたので良しとしますが、途中の展開がまるでTVドラマの様に間延びしていたのが本シリーズの難点でしょうか。もっと端折ってもいいのよ。

 丁寧すぎる展開もそうですが──何せ四作ともそろって尺が二時間越えですし(本作は137分)──、単純なドンパチを期待する方には、あまり向かないと思われるのに興行的に成功しているのは、原作ファンがそれだけ多いと云うことなんですかね。
 映画化された作品を観ている限り、原作小説の方も一筋縄ではいかないストーリーのように思われるのですが。ホントにヤング・アダルト向けなんですか(それがヒットした原因なのか)。
 独裁政権に戦いを挑む戦法も、単純な武力闘争よりもイメージ戦略と情報戦に重点が置かれ、「何が真実か」よりも「大衆が何を信じるか」が重要であると描かれております。

 さて、本作も本編前に「これまでの『ハンガー・ゲーム』は」と、ほとんどTVシリーズ並みのダイジェスト紹介を入れてくれる親切設計ですが、これは日本独自のオマケ映像ですね。本編の方には過去作品の紹介シーンは一切、ありません。
 いきなり前回の続きから始まります。
 ジェニファー・ローレンスの声がかすれておりますが、何故喉を痛めているのか説明は無い。そんなことはちゃんと復習しているファンには無用であると云わんがばかりです。
 ピーター(ジョシュ・ハッチャーソン)の拘束はまだ継続されており、洗脳を解くことは出来ていないようです。ジェニファーの気は沈む一方。
 作戦会議では独裁政権打倒を誓い、ドナルド・サザーランドへの復讐心をむき出しにしております。その為には、まず他の地区への支援に出撃すると聞かされ、承諾するジェニファー。

 ともすれば忘れてしまいがちになるのですが、本シリーズではジェニファー・ローレンスとジョシュ・ハッチャーソン、リアム・ヘムズワースの三角関係も設定上は描かれていた……ように思われますが、もはや大局的にはどうでもいい感じがします。
 と云うか、本当に三角関係なのかなと疑ってしまうくらいにゲイル(リアム・ヘムズワース)の影が薄いのはどうしたことか。
 本作に至ってやっと存在感を主張しはじめ、「ピーターが回復しないと君は奴を忘れないし、それでは俺の負けになる」と語りますが、あまり恋人同士らしい場面が描かれないことに違和感を感じます。
 状況はそれどころではないと云うのは判りますが、どうにも最初からリアム・ヘムズワースの負け戦ぽい雰囲気が漂っているのは如何なものか。まぁ、原作ファンなら結末は百も承知だから、特に不満は出ないのでしょうか。
 なんか急にフラレる前のフラグ立てが始まったようで、ちょっとあからさまでしたかねえ。

 他の地区の叛乱を支援しつつ、現場でプロパガンダ映像を撮影してメッセージを発し続けるジェニファーですが、どうにも革命軍のお飾りというか、単なるコマとして扱われているようです。まぁ、本人も難しいことを考えるのは作戦本部の連中に任せているような節があり、いまいちヒロインらしくありません。
 もっと直接前線に出て戦いたいのに、それを止められて不満を溜め込んでおります。
 そして遂に無断で前線への補給に紛れて本部を後にしてしまう。

 この時点で既に首都キャピトルは革命軍に包囲されていて、陥落は時間の問題であるかのように描かれております。物語を大局的に描いていくのなら、この先は端折りまくっても良いように思われるのですが、ここから大統領官邸に突入するまでが本作の見所になるので、急に主人公視点の局所的なストーリーになってしまいます。
 思うに、このドラマ展開のアンバランスさが、全体が映画と云うよりもTVドラマ的に感じられてしまう原因なのではないか。
 最初から最後まで、個人的な物語にするならそれで通して戴きたかったです。

 ともあれ革命が勃発して、もはや「ゲーム」などしている場合ではないと思うのですが、ここで無理矢理「ハンガー・ゲーム」要素が投入されます。
 即ち、キャピトル市街を抜けて大統領官邸までの道中、至るところに罠が仕掛けられており、これを解除しながら進んでいかなければならない。
 ブービートラップに引っかかると、即死亡。
 単純な地雷などと云うものでは無く、趣向を凝らしたギミック要素満載の罠であるのが悪趣味です。これは大統領の趣味なのか。
 そんな回りくどい罠を設置する手間が大変だろうと思われるのですが、毎年開催するハンガー・ゲーム用の罠を流用しているのかとも考えられ、ちょっとだけ納得しました。
 突入部隊のメンバーになったフィニック(サム・フランクリン)からも「第七六回ハンガー・ゲームにようこそ」などと云う自嘲的な台詞が発せられます。
 そしてこの辺りから、革命軍側も信用ならないことが判ってくる。

 そもそも無断で前線に出たジェニファーを呼び戻すことなく、首都への突入部隊に編入させたジュリアン・ムーアの意図は何か。
 政権打倒は目前であり、もはやその先の新政権樹立まで視野に入れている首相としては、大衆から圧倒的支持を得ているジェニファーが次第に邪魔になってきていたと語られます。
 革命後に行われる選挙での対抗馬は潰しておきたいというのが首相の本音らしい。それも自分の手を汚すことなく、戦いの最中に革命に殉じてもらえるならそれに越したことはない。
 何とも生臭いハナシであり、とてもヤング・アダルト向けとは思えませんね。

 おまけに突入部隊にはジョシュ・ハッチャーソンも編入される。洗脳が完全に解けていない状態で、たまに発作を起こしたりするから迷惑この上ない。治療の一環と説明されますが、これは首相の嫌がらせぽいです。
 かくしてジェニファー、ジョシュ、リアムの三人は三角関係が清算されないまま、そろって大統領官邸を目指すことになる。その過程で、罠の犠牲になって部隊の仲間達が一人また一人と命を落としていきます。
 凶暴なミュットなる人型の戦闘生物の群れも投入され、確かに「ハンガー・ゲーム」らしいと云えますが、アクションが凄い分、枝葉末節に力入れ過ぎな気もします。

 この辺りの背景として、戦災で荒廃したキャピトル市街が描かれているのが興味深いです。シリーズ前半では栄華を誇り、奇天烈なメイクのキャピトル市民が行き交っていた場所と同じ広場が、今や瓦礫の散乱する戦場と化している。背景美術が素晴らしいです。
 見覚えのあるモニュメントが見るも無惨に破壊されていたりします。
 大半のキャピトル市民は革命軍に包囲される前に疎開したらしいが、全員いなくなったわけではなく、自宅に隠れ潜んで様子を窺っている人もいます。
 ラスト近くでは、大統領官邸のシェルターに避難しようと、半ば難民と化したキャピトル市民が列をなして歩いて行く場面もあったりしますが、あの派手に着飾っていた人々が妙に落ちぶれた格好になっているのも巧い演出でした。

 そして避難民でごった返す官邸前で行われる大殺戮。前線で救命ボランティアに参加していたカットニスの妹(ウィロー・シールズ)もこれに巻き込まれて命を落とす。
 爆発の衝撃で意識を失い、目が覚めたときには戦闘が終結して革命が終わっていた、と云うのも主人公らしからぬ描写です。もはや大局から切り離されてしまい、何がどうなっているのかも判らない。
 一般市民を巻き込んだ戦闘は大統領側の陰謀に見えて、実は革命軍が仕掛けたのだと明かされる。戦闘は実況中継されており、市民を無慈悲に巻き込んだことで大統領は急速に支持を失い、失脚してしまったのだ。

 何とも後味の悪い結末ですが、これも全てジュリアン・ムーアの企みであったという辺りで、もはや革命が正義であるとは云えなくなってしまいます。オマケに政権を奪取した途端、「無期限の暫定大統領」になろうとするジュリアン・ムーアの姿は、ドナルド・サザーランドと変わりなし。
 革命に失望するジェニファーですが、リアムが予めこの作戦を承知していたと知り、決定的な破局が訪れる。
 そんなことで三角関係に決着が付くのか。もう少し恋愛要素を絡めた修羅場があるのかと思っていました。映画三本分も引っ張ってきて、このオチはヒドい。

 その後の事後処理で、大統領を公開処刑するとか、首相も勝利の絶頂で命を落とすとか紆余曲折がありますが、もはや革命政府に留まることも出来ず、失意の内に帰郷するジェニファーです。
 出番は短いながらも、エリザベス・バンクスとウディ・ハレルソンの関係が描かれたりするのが印象的でした。この二人は結構、美味しい役どころでしたね。
 逆にスタンリー・トゥッチの方は、どうなってしまったのかは判らないまま御退場になってしまいましたが、案外しぶとく生き延びているのかも知れません。

 故郷に戻って一人で生活を立て直すジェニファーですが、ジョシュと結ばれるというのも、取って付けた感が漂っているように思われます。一応、恋愛関係にも決着を付けないとイカンと云う義務感から描写しているような感じで、そこまで描く必要ないのではと思ってしまいます。
 そもそもこのストーリーに三角関係とか必要なかったのでは(読者の興味を惹くためには必要なのか)。

 その後、キャピトルでは選挙が行われ、民主制的な政府が立ち上がった旨が語られ、ちゃっかり新大統領の補佐に納まっているフィリップ・シーモア・ホフマンがチラリと映ります(ちょっと合成ぽいのはやむを得ないか)。この物語の真の勝者は彼ね。
 平凡な生活に戻り、家庭を築き、子供を産んで母となるジェニファー。まだ幼い娘に語りかける姿でエンドです。
 何となく物語が始まった頃とはちょっと変質してしまったような感が無きにしも非ずですが、とりあえずは目出度く完結いたしました。ハッピーエンドと呼ぶにはビターすぎるところも、ヤング・アダルト向けとは云い難い結末でした(ラノベじゃなかったのは確かね)。




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