2014年2月11日火曜日

ネオ・ウルトラQ Part.4

(NEO ULTRA Q)

 イベント上映もとりあえずコンプリートです。文句を云いながらも完全制覇してしまいました。うーむ。途中で止めてしまっても良かったと思うのデスが、何となく「次はもうちょっと面白いかも」と考えてしまうのがイカンかったか。
 各イベント上映の初日には関係者のトークショーとかもあったのですが、遂に一度もそれを見ることなく終わってしまいました。
 更に毎回、そのときに上映される『総天然色ウルトラQ』に登場する怪獣の着ぐるみが劇場前でお出迎えもしてくれたそうで、今回はカネゴンがいたようですが、それもスルー。だから上映にはラゴンとかケムール人のエピソードがチョイスされていたのでしょうか。ゴーガやナメゴンやバルンガがお出迎えはしてくれないのか。ボスタングやスダールでも良かったのに(見た目に面白いかどうかはともかく)。

 初日を除くと来場者の数も激減するのか、今回もまた非常に観客が少なかったです。あまりに人が少なくて、すぐ隣に迷惑かける人がいないとなると、ちょっとフリーになってしまうのは人間の性でしょうか。
 前回のように「眠りこけていびきをかく」人はさすがにおりませんでしたが、今度は赤ちゃん同伴で観に来ていた御夫婦が前の方に座っておられました。奥さんか旦那さんが特撮ファンだったのかしら(まぁ、旦那の方だろう)。
 上映前から赤ちゃんがむずがって声を出しそうになるのを御両親が懸命にあやしておられました。そのまま上映が始まってから赤ちゃんが泣き始めたらどうするんだろうなぁと、関係ないところでヒヤヒヤいたしましたが、どういうわけだか赤ちゃんは上映が始まるとすごく静かになってくれました。賢いお子さんです。それとも『ネオ・ウルトラQ』が気に入ったのかしら。

 最終回のラインナップは次のとおりです。

第2話 「洗濯の日」           脚本・いながききよたか/監督・田口清隆
第11話 「アルゴス・デモクラシー」   脚本・いながききよたか/監督・入江悠
第12話 「ホミニス・ディグニターティ」 脚本・いながききよたか/監督・中井庸友
総天然色ウルトラQ 第15話 「カネゴンの繭」 脚本・山田正弘/監督・中川晴之助

 以前から、どうして放送順にまとめていかないのか不思議でした。出来るだけエピソードがバラエティに富むように配慮されているのかとも思いました。まぁ、それもあるのでしょうが、今回の三話を観て、何となく判った(ような)気がします。
 今回は、前三回のイベントに比べても、残念なエピソードばかりだった気がします。この組み合わせを最初のイベント上映に持ってこられていたら……きっと、全話制覇する気力は失せてしまっていたことでしょう。
 その意味では、企画された方は巧いこと組み合わせたものですが……。

第2話 「洗濯の日」
 とある下町の商店街でクリーニング店を営む怪獣ブレザリン。どんな汚れものでも驚きの白さに洗濯してしまうと評判……なのはいいけれど、このエピソードだけ『ネオ・ウルトラQ』の中で別世界のように浮いております。
 他のエピソードはで、怪獣は怖れられたり、排斥運動が行われたりしているのに、まったく頓着せずに「下町で営業している怪獣」が登場する時点で、シリーズの背景から乖離しております。しかも人間のパートナーとか、共同経営者はおらず、怪獣自身が起業しているらしい。どうやってとか、何故とか、数々の疑問は見事にスルーされております。
 ほとんどメルヘンな設定です。旧作の『カネゴンの繭』を彷彿いたします。今回のイベント上映で『カネゴンの繭』がチョイスされているのも、その所為でしょうか。

 設定は面白いのですが、ストーリーの方は如何なものか。色々と二転三転していくのはいいとしても、ほとんどその場の思いつきで進展しているようで、まったく統一性も必然性も感じられないものでした。これは『ネオ・ウルトラQ』でワーストと云えるエピソードでしょう。
 ブレザリンの造形はそれなりに見事ですし、あの「眠そうな目」のデザインが旧作の怪獣に通じるものを感じたりもする──特に、洗濯するときだけカッと見開く演出もイイ感じ──のですが。

 下町で営業するブレザリンと、連れ合いを亡くした頑固爺さんとの交流が描かれるのかと思われたのに、そこから洗濯のみならず銭湯の清掃まで請け負うエピソードになり、更に「衣類だけでなく人間も洗えるのでは」と、銭湯で老人達の身体まで洗い始める展開は、かなりまとまりがないデス。
 ひょっとしてブレザリンの能力は「汚れ物を綺麗にする」のではなくて、「対象物を汚れる前の時間まで遡らせる」ことなのかと深読みしてしまいましたが、そのようなことは全くありませんでした。
 老人達をまとめて洗濯しても、彼らが若返るようなことはなく、ただ単に汚れが落ちてサッパリするだけ。なんだかなあ。
 そこから更に、国連事務総長が「汚れきった地球環境の浄化」を依頼してくるのですが、ここまで来ると、最初の展開が意味なしに感じられてしまいます。

 しかもそれを承知するブレザリン。街を見下ろす丘の上から、かつてないほどのパワーを発揮し、地球の浄化を開始するのですが……。
 人間の都合で怪獣を酷使するとか、献身的な怪獣のお陰で地球が救われるとか、それまでの人情話に少しは関連するオチになるのか、と云う期待も裏切るシュールな結末に目がテンになりました。
 ここまで投げっぱなしのオチには怒りを禁じ得ません。旧作の『ウルトラQ』にも、オチが無いに等しいエピソードもありますけどね。これはあんまりです。

第11話 「アルゴス・デモクラシー」
 怪獣対策特措法なる、一方的に怪獣を悪者と決めつけて排斥しようとする法律の制定を目指す議員の講演会に、特措法制定に反対する武装集団が乱入して、人質立て籠もり事件へと発展する。取材中の絵美子(高梨臨)も人質となり、警官隊がビルを包囲し、膠着状態になったとき、突如としてアルゴスと名乗る謎めいた怪獣が現れ、ビル全体を突破不能なバリアで囲ってしまう。

 怪獣の生存権を認めるか否かと云うのは第一話でも語られておりましたので、共通した背景が伺えるエピソードではあります。
 今回登場する怪獣アルゴスは、怪獣というか宇宙人というか、知的な存在ではありますが、かなり謎めいております。ビジュアルはなかなか見事で、ビル上空に浮かぶ球体として表現され、表面が鏡のようになって下の街が逆さまに映り込んでいます。しかも映り込んだ映像がクローズアップされたり、記号のような紋様が重なったりと、刻々と変化していく。このデザインは面白いです。『新世紀エヴァンゲリオン』の使徒のようですが。

 人類に興味を持って見守り続けていたアルゴスは、ビル内の人間の命と総理大臣の命を天秤にかける要求を突きつける。国民投票を強要し、結果によってどちらかの命を助けようと、民主主義を試すかのような要求です。
 一対多の選択。人質と一緒にテロリストまで助けるのか、その逆か。そもそも殺人に繋がる投票を認めるべきなのか。非常に風刺的なテーマを感じます。

 一方で、警官隊の封鎖をかいくぐり絵美子だけでも救出しようと必死になる正平(尾上寛之)の奮闘も描かれ、「身近な人さえ助かれば、残りは知らん」と云う態度は正しいのか、あるいは利己的でも人間的であると認めるべきなのか。
 結構、直球勝負のエピソードであり、どう決着を付けるのか興味深いところではありましたが、問題提起だけして、なし崩しに終わってしまったので、フラストレーションを感じます。

 南風原先生(田辺誠一)の説得で、結果を出すことなく去って行くアルゴス。しかも人間への試し自体が、遊びであったと語られます。人間を弄ぶことは構わないのですが、中途半端に終わられては観ている側がスッキリしませんです。
 重厚なテーマを持ち出したのはいいが、扱いあぐねてお茶を濁した脚本であるとの誹りは免れないのではと思います。

第12話 「ホミニス・ディグニターティ」
 太古の地層から発見され、クローニング技術で復活した古代生物ソーマには、人間の寿命を延ばす能力があった。人間の背中に貼り付き、組織と融合することで寄生するわけですが、その代わりに宿主の老化を防いでくれる。
 但し、政府はソーマを国民一人一人に供給することは出来ず、限られた量のソーマを「選抜された優秀な人間」にだけ、優先的に供給することを決定した。
 政府の決定により、ソーマを与えられるのは将来有望な少年少女だけになり、政府の貴重な投資に対してそれなりのリターンを期待されるようになる。結果として、少年少女達は厳重な管理体制下に置かれ、プライバシーも制限された収容所並みの施設の中で、人権も個性も認められない集団生活を強いられる。

 これもまた非常に寓話的なエピソードです。
 管理社会におけるディストピア的な近未来の図が、往年のSF映画を幾つか思い出させてくれます。この手のネタは七〇年代に多く見受けられたような気がします。なかなか懐かしい設定でした。
 怪獣のエピソードではなく、それをネタにしたディストピア描写をメインにしたエピソードです。
 没個性の集団の中で、個性を発揮して異端視される少女の戦いを描いていこうという趣向であるのは判るのですが。
 怪獣描写は最小限で、無機質な施設の中での少年少女達のストーリーは、かなり制作費を抑えていることが伺えます。ほとんど特撮要らずです。

 これも単独のエピソードのように思わせて、実はシリーズに通底した設定があったことが驚きでした。なんと南風原先生もソーマ着用者だったのだ。
 劇中ではソーマ制度は三〇年続いており、着用する優性人も五世代を数えるまでになったと云われておりますが、特にそれらしい伏線は……無かったデスね。
 南風原先生が屋島教授(島田雅彦)の研究室に戻る、戻らないと云う台詞に、微かに伏線らしきものを感じるのですが、屋島教授もそのスタッフも、皆さんソーマ着用者だったと云うのは如何なものか(オマケのショートアニメで明かされる設定ですが)。
 優性人も社会に出てしまうと、個性を発揮しても許されるようですが、それならば学生時代だけ我慢すればいいだけのハナシであり、完全管理の収容所紛いの施設を、あそこまで絶望的に描かなくても良さげに思われました。
 オチが付いているようで、色々と矛盾を感じます。夢オチのようなラストにも疑問を感じます。

 そして『総天然色ウルトラQ』から「カネゴンの繭」。
 もはや日本から失われてしまった昭和な風景が実に懐かしい。高度成長期の造成地に郷愁を感じてしまいます。
 土管が山積みされた空き地で子供達が遊んでいる図なんて、イマドキはありませんねえ。

 カネゴンの設定自体はメルヘンチックですが、「お金を食べ続けないと死ぬ」カネゴンを助ける為に、友達がひねり出したアイデアが「カネゴンをサーカス団に売り飛ばす」であることが笑えます。こんな毒のある解決策は、イマドキなら確実にNGでしょう。しかも友達をムチでしばいちゃイカンじゃろー。
 また、「あばら屋に住んでいる祈祷師」が日常にいたと云う描写の方がカネゴンより凄いように感じられます。
 一緒に上映されたので、どうしても「洗濯の日」と比較してしまうのですが、ブレザリンの造形はともかく、「投げっぱなしの寓話的なオチ」としても、こちらの方はまだ許せるのですがねえ。これは判官びいきなのでしょうか。

 全四回制覇して上で云うのもナンですが、『ネオ・ウルトラQ』のイベント上映よりも『総天然色ウルトラQ』を全話イベント上映する方が、興行的には成功したのではないかと思えますデス。




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