日本での公開時期がほぼ同時ですが、本作の方が先に製作されております。
原作は韓国の漫画家カン・プルのコミックスで、ベストセラーになったそうな。コミックス原作と云うと『痛み』(2011年)もそうでしたが、恋愛モノは受けるんですねえ。
結構、泣けるストーリーではありました。ウェットなストーリーは韓国映画の得意分野ですね。
本作の主演は四人の高齢者男女です。つまり二組のカップル。
妻に先立たれたマンソク(イ・スンジェ)と夫のDVから逃げ出し独身生活を送るイップン(ユン・ソジョン)。そして駐車場管理人のグンボン(ソン・ジェホ)と認知症を患うその妻(キム・スミ)。
老境に達してからの出会い、互いの過去を乗り越えての恋愛、それらと平行して夫婦愛と、「老い」に伴う介護の問題までもが描かれます。
ソウル郊外の住宅地。冬の早朝、定年後に牛乳配達のアルバイトを始めたマンソクは、古紙回収のリアカーを曳く老女と出会います。バイクの所為で転倒しかけると云う出会いのシチュエーションが少女漫画のようです(或いはギャルゲーのような)。
割と印象悪い出会い方ですが、悪印象もあとで好印象に転換されるのが、ギャルゲーの法則通りデス。
いつも同じ時間に同じ坂の途中ですれ違う二人。不器用で偏屈な老人マンソクはいつしか、この坂での逢瀬を楽しみにするようになる。定番とは云え、なかなか赤面ものの展開です。
いい歳した爺さんがやっているので、なおのこと可笑しいです。家族には秘密にしながら、毎朝の逢瀬を楽しみにしている。
小ネタですが、マンソク老人の苗字はキムです。市役所に勤務する孫娘がいて、その名前がヨナ。
「まぁ、あの美しいお嬢さんと同じ名前なのね」なんて台詞もあって、ちょっと笑いました。有名人と同姓同名であるのは苦労もあるようで、浮かべる笑みもビミョーです(本筋には一切、関係なしデスが)。
余談ついでにもうひとつ。
韓国では公式にはハングル文字ばかりになったと思っておりましたが、家庭の表札は漢字表記のものも、まだ残っているみたいですね。漢字表記の古い表札を掲げている家庭が見受けられたのが興味深かったデス。
それにしても夜明け前の時間帯に、六〇過ぎの老人がキツい労働に従事していると云うのがシビアです。
マンソクの方は引退後の小遣い稼ぎですが──何故、牛乳配達なのかについては、ちゃんと理由があったりします──、相手の婆さんはそうではない。生計を立てる為に老骨にむち打ち働いています。
高齢の女性が古紙を満載したリアカーを曳いて歩いて行く姿は痛々しいです。
一方、婆さんのリアカーを停めている駐車場管理人がグンソク。こちらもシルバー人材として雇用されているように見受けられます。子供達は独立して家庭を持ち、妻と二人暮らしですが、その妻も認知症。
老老介護な上に自分が働いている昼間は、徘徊を怖れて妻を監禁状態。子供達は成人するまでは「一緒に暮らそう」だの「面倒は見る」だの云っておりましたが、結婚した途端に実家には寄りつかなくなった。
なにげに悲惨な境遇の老人達が多いです。
次第に惹かれていく二人ですが、両者共に色々事情があって進展にも紆余曲折です。
実はマンソクは亭主関白の末に、妻の体調悪化に気付いてやれず、亡くしてしまったと云う負い目があって、いまいち恋に踏み切れないでいたりします。このあたりの人物の描写はなかなか細かくて巧いです。
その一方でマンソクがグンボンを三角関係のライバルであると勘違いするラブコメ展開も外しません。
爺さん婆さんでもやっていることは若い連中と変わりない描写が微笑ましいです。人は幾つになっても恋をすることが出来るものなのですね。
しかし韓国映画を観ていると時々、時代考証に奇妙な感覚を憶えることがありまして、本作でもソレを感じました。これは現代劇に顕著です(逆に時代劇にはほとんど違和感を感じません)。いや、時代考証がマズいわけではなく、日本とビミョーに異なる背景が興味深い。
これは経済の成長期がズレている所為でしょう。
ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003年)などでも感じるのですが、松本清張の昭和前期のような背景のミステリのようでいて、登場人物が携帯電話を使ったりするので、ちょっと面食らったりします。
古いものと新しいものの混在の具合が日本とは異なるというか。
本作に於いても「イマドキそんなことあり得るのだろうか」と思ってしまうような設定があり、しかもシリアスに語られます。
それがユン・ソジョン演じる婆さんの過去設定。
実はこの婆さんには名前が無い(苗字のソンだけ)。田舎の出身であり、生まれて間もなく父が出征し(朝鮮戦争でしょうねえ)、母子家庭となった。帰ってこない夫を待ちながら、「子供の名前は父親が付けるもの」と信じる母は生涯、生まれた娘に名前を付けなかった。
えー。そんなことあり得るのか。
名前が無いから、当然、出生届もない。したがって戸籍もない。住民票の登録もない
そして若い頃に郷里を捨てて駆け落ちし、都会に出てきたのは良いけれど、貧困の為に夫は荒れ、DVに悩むようになる。赤ん坊を産むが、これも早くに亡くしてしまい、男とは別れて天涯孤独のまま今日に至る。
劇中では、貧困生活を続ける婆さんの窮状を見かねたマンソクが、無理矢理に市役所に連れて行き、生活保護受給の手続きを受けさせるくだりがあります。
そこで初めて彼女には名前が無いので、住民票がなく、生活保護申請が出来ないことが明かされる。マンソクは、その場の思いつきで婆さんにイップン(あなただけ=愛しい人)と名前を付けてやる。
わお。『装甲騎兵ボトムズ』のキリコ・キュービィみたい、などと云う年寄りのアニメ者の戯言はさておき。
年金受給できる年齢になるまで、よく戸籍もなしに生きてこられたものだと感心するより他ありません。どんなに社会の底辺でどん底な貧困生活を送っていたとしても、そんなゴーストのような人間は不自然なのでは。しかも山奥の一人暮らしではなく、歴とした都市生活者ですし(ソウルって……首都だよなぁ)。
逆に都会だからこそ、そんな記録の無い人間が生きてこられたのか。でもちゃんと、それなりに住むところはあります。ホームレスにならず、どうやってアパートを借りられたのかは謎です。
本作を日本でリメイクしたら、時代をうんと遡らないと出来ないのでは。
それを現代劇でシレッと臆面なく語ってしまう。どうやら不自然ではないらしいと云う点に目眩がしました(韓流すげー)。
いや、ひょっとして現代劇だとこちらが思い込んでいるだけで、ドラマの時代背景はずっと昔なのでは……とも思いましたが、朝鮮戦争当時に生まれて、現在は老人(見た目六〇代)と云う計算は正しいように思われます。
何より劇中で作られた真新しい住民票がアップになるカットが入ります。ちゃんと「2010」と云う日付が見て取れました。やはり二一世紀の物語なのだ。
イップンは生活保護を受給できるようになり、マンソクとの仲も更に深まるのですが……。
どうにも釈然としないものを感じます。
その場で名前を付けたからと云って、住民票が作れるものでしょうか。市役所の窓口担当が自分の孫娘であるだけでは、納得できません。そもそもの戸籍からしてないのに。それとも韓国では名前が無いまま、戸籍が作れるのか。
それとも戸籍なしに住民票は作れるのか。あるいは住民票と一緒に戸籍も作ったのか。
戸籍がないなら、税金も今まで納めたことがないワケで、生活保護が受給できるようになった途端に、今まで滞納していた税金の未納分と差し引いてゼロになる……なんてことにはならないのだろうか。
ラブロマンスな感動のストーリーに、そんな世知辛いことを考えてはイカンですか。
そのあたりの背景に、あまりリアルでないものを感じたりするのですが、本作を鑑賞後に韓国の社会問題について書かれた記事を目にして、また少し考えを改めました。
それによると、韓国の高齢化問題は日本より深刻で「高齢者の四五%が貧困層(日本の約二倍)である」そうな。併せて「自殺率も大幅に高い」のだとか。また、出生率は日本より低いと云うから深刻さ度合いも相当なものでしょう。
なるほど本作で描かれるイップンの貧困生活の状況はその通りです。
そして本作では「高齢者の自殺」についても描かれます。ただでさえグンボンの妻は認知症で、もはや幼児同然であるのに、更に健康を害しており余命宣告を受ける。
もはやこれまでとグンボンは妻と共に練炭自殺を図る。子供達には一切、面倒を掛けるまいとする態度は見上げたものです。後の始末をマンソクに託す手紙が切ない。
逆に葬儀の席で「いいときに死んでくれた」とか「子供孝行だ」などと心ない言葉を口にする遺族。マンソクが怒りを爆発させるのも無理からぬ事です。それでもグンボンとの約束を守って、自殺であることを秘密にするマンソク。
それなりにリアルな社会的背景が描かれていたようです。それにしても子供達の対応が非情すぎる。何となく脚本に恣意的なものを感じます。
グンボン夫妻の葬儀を機に、イップンはマンソクとの別れを決意する。いずれ遠からず自分達にも死は訪れる。愛する人との別離は耐えられない。
だから今のうちに、楽しい思い出だけ心に留めて別れようという気持ちも判らないではありませんが……。
マンソクはイップンの意を汲み、彼女の故郷までイップンを送り届ける。
しかし、せっかくの泣ける展開ではありますが、何十年も帰らなかった故郷に帰ってみると、実家の家屋が当時のままに残っていたなんて、アリエナイでしょう──なんてツッコミは野暮でしょうか。ここは二人の別離に涙するところでしょうか。
フツーは廃墟と化しているか、きれいサッパリ無くなっているのでは。
土地も家もそのまま残っていたなんて、信じられません。
リアルな社会問題を背景にしたラブストーリーでありながら、ツッコミ処が多々散見されるとはどうしたことか。
劇中でイップンの郷里は「スラリ峠」であると語られます。
ちょいと検索してみると、これは江原道寧越郡にある実在の地名でした。でもそんな秘境のようには思えないのですが……。
数年が経ち、やがてマンソクにも臨終の時が訪れる。家族に看取られての大往生。
その魂は解き放たれ、愛しいイップンと共にかつてのオンボロバイクで星空ツーリングしながら昇天していくのだった……。
死は終わりではなく、新たな始まりなのであると暗示するエンディングは実にファンタスティクでありました。
ここで「マンソクの前の奥さんは?」 ──などと云うツッコミは野暮ですね。
本作は人物のエモーショナルな描写は実に細やかですが、泣かせる設定を導入する為には多少の不都合も頓着せずに押し切ろうとする演出姿勢に見受けられ、どうにも違和感を感じてしまいました。
まぁ、恋愛モノは私の守備範囲とは云い難いし、広い心でスルーできる人には、沁みじみとハートウォーミングで泣かせるハナシなんですけどね。私は恋愛展開よりも、韓国の老人のおかれた境遇に同情してしまいました。
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