2013年3月12日火曜日

ジャンゴ 繋がれざる者

(Django Unchained)

 今年(2013年・第85回)のアカデミー賞で、作品賞、脚本賞、助演男優賞、撮影賞、音響編集賞と、五部門にノミネートされ、その内の脚本賞を受賞したクエンティン・タランティーノ監督(以下、タラ公)の痛快マカロニ・ウェスタンです。

 タラ公は前作『イングロリアス・バスターズ』(2009年)でもアカデミー賞脚本賞にノミネートされながら受賞を逸しておりましたので、本作でリベンジを果たしました(個人的には受賞するなら『イングロ~』でした方が良かったのにと思うのデスが)。
 また、クリストフ・ヴァルツは『イングロ~』に続いて、二度目の助演男優賞を受賞です。タラ公と組むといいことがあるようで。
 タラ公にはいつか必ずアカデミー監督賞と作品賞も受賞して戴きたいものです(ヤツにはこの先、もっといい作品が撮れるハズだ……と思う)。

 本作はジェイミー・フォックスとクリストフ・ヴァルツの賞金稼ぎコンビが悪党を退治しながら、奪われた妻を取り戻す為に復讐の旅に赴くという筋立てです。いかにもマカロニです。
 共演者も豪華です。主人公ジャンゴ(ジェイミーね)の妻ブルームヒルダ役がケリー・ワシントン。ジャンゴの妻を買った奴隷商人カルヴィン・キャンディ役がレオナルド・ディカプリオ(以下、デカプー)です。
 デカプーが悪役を演じると云うのが、なかなか新鮮でした。本作では後半にならないと登場しませんが、悪のカリスマを存分に発揮しておられました。俳優としてまた一皮むけたかしら。
 デカプーと一緒にサミュエル・L・ジャクソンも登場し、極悪人コンビを披露してくれます。
 他にもチョイ役で、ドン・ジョンソン、ジョナ・ヒル、ブルース・ダーンらが登場します。トム・サヴィーニもいたし、タラ公自身も顔を出しています。

 それにしてもイマドキ、マカロニ・ウェスタンの新作が製作されて、それを観ることが出来ると云うことが嬉しいデスね。正統派西部劇としては近年でも、『3時10分、決断のとき』(2007年)とか、『トゥルー・グリット』(2010年)などが思い浮かびますが、マカロニを観るのは久しぶりです。サム・ライミ監督の『クイック&デッド』(1995年)がマカロニだったでしょうか。
 撃たれたら血飛沫が過剰なまでに飛び散ったり、スローモーションになったりするのもペキンパー風バイオレンス演出も怠りなし。
 本作では過去のマカロニ・ウェスタンの名作へのオマージュが炸裂しまくりです。幾つネタを見つけられるか競ってみるのも一興でしょう。

 もう、開巻早々からセルジオ・コルブッチ監督の『続・荒野の用心棒』(1966年)の主題歌「ジャンゴ」をブチかましてくれます。ルイス・バカロフの名曲ですねえ。
 本作では劇中にルイス・バカロフやエンニオ・モリコーネの楽曲が随所に挿入されておりまして、マカロニ好きには本作のサントラCDは必聴でありましょう。
 当然のように、フランコ・ネロも本作にカメオ出演してくれております(オープニング・クレジットにデカデカと名前が出るからカメオではないか)。
 もうジェイミー・フォックスとフランコ・ネロが並んで──新旧ジャンゴのツーショットですねえ──言葉を交わす場面はニヤニヤと笑いがこぼれます。

 「君、名前は何と云う」
 「ジャンゴです。スペルは、D-J-A-N-G-O。 Dは発音しません」
 「判ってる」

 タラ公はセルジオ・コルブッチ監督のファンらしく、本作では『続・荒野の用心棒』の他に、『殺しが静かにやって来る』(1968年)へのオマージュが強烈なシーンが中盤に挿入されます。特に意味のある展開とも思えませんが、主人公コンビは目的を果たすまでに一冬を雪山で過ごす(ロッキー山脈かしら)。
 ここにはロバート・レッドフォード主演の『大いなる勇者』(1972年)に対するオマージュも含まれているようにも思われます。

 しかし、この物語のどこに「冬のあいだ雪山で過ごす」必然があるのか。銃の腕を磨く為には、それなりの期間が必要なのだと云う理屈は判りますが……。
 もう「好きだから、無理矢理に雪山でガンファイトする場面を入れましたが何か?」的に開き直ったノリが素晴らしいデス(もっとやれ)。
 マカロニ好きには堪らんですね。個人的には、クリストフとジェイミーのガンマン師弟コンビの描写の中に、『怒りの荒野』(1967年)よろしく、〈ガンマン十箇条〉を唱える場面も入れて戴きたかったデス(劇伴には『怒りの荒野』からも一曲入っているのに)。

 次世代ジャンゴが黒人奴隷出身であると云う点が、新しいところですね。
 本作の時代背景は西暦一八五八年。「南北戦争の二年前」と丁寧に教えてくれるのは、歴史に疎い若年層のためでしょうか(笑)。
 「西部劇」と云いつつ、物語の後半はミシシッピと云う南部で進行していきます。
 黒人奴隷の扱いが、かつての海外ドラマ『ルーツ』(1977年)を彷彿といたしますが、本作でオマージュを捧げられるのは『ルーツ』ではなくて、リチャード・フライシャー監督の『マンディンゴ』(1975年)です。黒人奴隷を使った殺し合いの格闘ゲームなんてパイオレンス描写があったりします。

 また、南北戦争後にならないとKKK団は誕生しませんが、本作では多少の史実を曲げても「覆面を被った一団」を登場させたりもします。
 しかしそこでどうでもいいようなグダグダな会話──「マスクの穴が小さくて前がよく見えないよ」──を繰り広げて笑いを取ることも忘れないのがタラ公らしいです。これはセルフパロディと云うか、作風なんでしょうか(笑)。

 しかし本作に於けるクリストフ・ヴァルツのアカデミー助演男優賞受賞には、いささか首を捻るところもあります。これは役者の演技ではなく、脚本に問題があるような気がします。
 クライマックス前に、堪忍袋を緒が切れてデカプーを撃ち殺してしまうクリストフ・ヴァルツの態度が、どうにも不自然に思われてしまうのです。
 だって冒頭から、クリストフは賞金稼ぎとして、結構クールに振る舞っておりましたですよ。慇懃な態度を崩さないまま、いきなり銃を抜いて撃つ。手配中の悪党には申し開きの余地を与えない。悪党でなくても、自分に銃口を向けている相手には容赦なし。
 たとえ過去の悪事から足を洗って、息子と一緒に畑仕事に精を出しているような奴でも見逃さず射殺する。クールなプロフェッショナルではなかったのか。
 クリストフ・ヴァルツにかかっては、『許されざる者』(1992年)のクリント・イーストウッドも見逃してもらえないくらい厳しい態度デス。

 なのに何故か、虐待を受ける黒人奴隷を庇おうとしたりするし、遂には赤の他人である黒人が無残に殺される場面が頭から離れず、後先考えることなく、つい撃ってしまう。
 「すまん。我慢できなくて」って、そんな。
 途中から性格が変わっているように見受けられるのに、それの理由が明示されていないと思いマス。黒人奴隷には同情的なのかとも考えられますが、最初にデカプーと対面した際の奴隷同士のデスマッチは眉一つ動かさずに眺めていられたのに、どこで変節してしまったのか。

 それにデカプーは非情な奴隷商人であり、殺されても文句を云えないような奴ではありますが、賞金首ではない。クールなプロフェッショナルが、衝動的に撃ち殺したくなるほどの悪党でもない。むしろ、当時の南部にはよくいる人種差別な農場主のように見受けられました(悪党は悪党でしょうが)。
 本作に於けるデカプーは、カルヴィン・キャンディを陽気でお茶目な「どことなく憎めない悪党」のように演じてもいますし……。
 やはり責めるべきは、脚本の整合性の方でしょうかねえ。
 タラ公には申し訳ないが、これでアカデミー賞脚本賞を受賞するのは如何なものか。

 そこに目を瞑りさえすれば、本作は痛快娯楽西部劇なんですけどね。
 主人公が一旦は敵の手に落ち、凄惨な拷問を受けた後に反撃に転じるという展開もお約束ですし。
 でも「ジャンゴ」なんだから、手の骨を砕かれた後に、必殺の十字架撃ちを見せてくれるのかとも期待しましたが、それはなし。やはり十字架撃ちをやっちゃったら、またキリスト教会からクレーム付きそうですしね。
 代わってクライマックスにはダイナマイトを持ってきました。『リオ・ブラボー』(1959年)か。

 多少、不満に思うのはサミュエル・L・ジャクソンとの最終対決でしょうか。デカプーを倒した後のラスボスであり、それまでは足の不自由な老人と思わせておきながら、最後に杖を捨ててしっかりと歩いて見せてくれたときには、ここから壮絶なガンファイトを見せてくれるのかと期待してしまいました。
 あっさり撃たれるなら、あの「足が不自由な演技」は何だったのかなぁ。
 とは云え、まだ息のあるサミュエルを屋敷ごとダイナマイトで吹き飛ばすエンディングは実に痛快で、爆発炎上する屋敷をバックにニヤリと振り向くジェイミーの不敵な面構えが忘れ難いデス。
 アカデミー賞云々は抜きにして、単純な痛快娯楽ウェスタンとして観る分には、申し分なしと申せましょう。特にマカロニ・ファンならば。




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