2013年1月14日月曜日

イラン式料理本

(Iranian Cook Book)

  イランのドキュメンタリー映画という一風変わった作品です。カメラはただひたすらキッチンで働く女性達と、その後の食卓の様子を映すのみ。屋内から一歩も出ることなく屋外の様子は判りません。
 今までイラン映画にはあまり馴染みがありませんので──昨年、アスガル・ファルハーディー監督の『別離』(2011年)とアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012年)を観たくらい(しかも後者は監督がイラン人ですが日仏合作)──なので、監督の名がモハマド・シルワーニであると云われても、さっぱり存じませんでした(汗)。
 これからはもう少しイラン映画も観ていかねば。

 出演する女性達はほぼすべて監督の縁故関係者ばかり。〈監督の嫁〉、〈監督の妹〉〈監督の母〉、〈監督の義母〉、〈監督の伯母〉。たまに〈友人の母〉や〈母の友人〉。
 主婦歴の短い人から長い人まで様々です。中には〈友人の母〉のように、一〇〇歳近くになっていて、とうに主婦業から引退している人もおられる。
 これらの人々に、料理を作ってもらいながら、ちょっとしたインタビューに答えてもらおうと云う趣向。さすがに〈友人の母〉だけはインタビューのみでしたが。
 上映時間も七二分と短めでしたが、台所から世相を眺めているようで、なかなか興味深い内容でした(キッチンの様子が、ほとんど現在の日本と変わらない点も)。

 撮影期間中にラマダン(断食月)があったらしく、〈伯母〉の料理シーンだけは親戚達が集まって賑やかに料理したりしますが、基本的には撮影の為の料理の課題を提示し、それを各人に作ってもらおうとしています。
 どうやら「十二人分の料理を作って」とお願いしているらしい。これは撮影スタッフの人数なのか。
 ちょっと大人数過ぎるのではとも思われますが、どの家庭にもかなり大きな鍋が常備されているところを見ると、それほど非常識な分量ではないのでしょうか。
 料理の後で「スタッフが美味しく戴きました」的な場面も収録されています。
 どういう経緯でそれぞれの女性達が料理とインタビューを承知したのかは説明されませんが、皆さん快く料理をしてくれております。例外的なのは〈監督の嫁〉だけ。

 どうやら〈監督の嫁〉だけはアポなし突撃取材だったらしく、共働きの妻に対して帰宅後に依頼したようです。
 作っている間中、「いきなり作れだなんて」とか「十二人分なんて無理よ。十人分しか作れないわ」とか云ってボヤいておられる。このときの収録だけは深夜にまで及び、奥さんがあまりご機嫌麗しくない様子であるのは理解できます。
 自分のヨメだからと云って無茶ぶりしたようです(よく承知してくれたもんだ)。

 編集や構成についてはあまり深く考えていないのか、とにかく各人の料理の経過を適当に切ってシャッフルして並べているようでした。
 詳しい説明は一切せず、ナレーションもなし。ただひたすら淡々と料理する場面が続きます。
 たまにカメラの後ろから、監督の声がして「只今、時刻は何時何分。料理を作り始めてから何時間経過しています」と解説が入ります。皆さん、結構、手間を掛けて料理している。

 中でも〈監督の妹〉は手間取っているようで、一品料理するだけでも数時間かけています。
 やはり幼い男の子(しかも双子)を抱える家庭で、しかも自分もまだ大学生だからなのか、ちょっと要領が悪そうでした。
 こういうのはやはり年季がものを云うようで、年配の主婦になるほど要領よく、短い時間で三品くらい(しかもそれぞれ十二人前)作ってしまわれます。
 また、世代によってキッチンのシステム化が進んでいる様子なのも興味深い。一番、システム化されている──と云うか、実に殺風景な──キッチンなのは〈監督の嫁〉です。元からあまり料理をしないキャリアウーマンのようですし。
 イランの主婦と云っても色々です。

 登場する主婦達の中で〈義母〉が一番、親切かつ丁寧でした。話し好きな人らしく、たびたびカメラに向かって食材の解説や、調味料の種類、分量などを説明しながら作ってくれます。ほとんど料理教室の先生のようです。
 しかし喋りすぎて調味料を計り損ない、「ああもう。話しかけるから間違えちゃったじゃない!」と監督が叱られます。え? それは監督の所為ではナイノデハ……。

 本作で披露されるイランの家庭料理も色々ありまして──「豆のピラフ」や「茄子の炒め物」など──、なかなかに美味しそうでありますが、気になった点がひとつ。
 どうやらターメリックが基本調味料であるらしい。
 どの家庭の、どの料理にも、クミンやタイムといったスパイスが使われています。その中でも必ずと云って良いほどターメリックがふんだんに投入されている。日本人が何にでも醤油を使うようなものなんですかね。興味深い食文化です。
 ターメリックをブチ込めば何でもイラン風になるのかしら(いや違うと思うが)。

 料理の過程で主婦歴についてや、料理を誰から習ったかと云った質問が飛び出します。主婦歴の長い人は答えも同じ。「料理はお義母さんから習った」です。
 それらの質問の中に「嫁いだのは何歳の頃か」と云うのがあって、この答えについては日本と異なりました。伝統的なイランの女性はローティーンの頃に嫁ぐようです。しかも亭主は自分の倍ほど離れている。
 十三とか十四で三〇男に嫁いで、姑からしごきにも似た料理の手ほどき(特訓か!)を受ける。中には「九歳の時に十六歳の夫に嫁いだ」と云う人もいます。ここだけは日本じゃ考えられないですねえ。
 かつては妻は夜明け前に先に起床し、礼拝を一人で済ませてから(イスラム教だなあ)、家族の朝食を支度せねばならなかったと云う苦労話も飛び出します。

 イスラム文化圏の風習とは云え、ナニやら児童虐待のようでもあります。御本人たちがあっけらかんとしているのが、ちょっと救いデスが。
 でも欧米化の波はやはり進んでいるらしく、世代が後になるほど婚期は遅れ(欧米並みになるだけですが)、それに連れて料理の腕前も低下していくようです。やむを得ないことですね。
 そして同時にキッチンも機械化されていく。
 〈母〉、〈義母〉、〈伯母〉らの年配主婦チームと〈妹〉、〈妻〉の若い主婦チームが図らずも対照的に描かれているのが面白かったデス。
 年配主婦達から「最近の若い娘はダメね」とダメ出しされたりしておりますが。

 基本的に登場するのは主婦ばかりですが、撮影していると姑や旦那さんもキッチンを覗きにやって来ます。
 パワフルな〈義母〉は亭主と姑にも食材の皮むきを手伝わせる。うーむ。かつてのか弱い新妻が、こんなに逞しくなって……。
 旦那さんに「新婚の頃の奥さんの手料理はどうでしたか?」と尋ねると、容赦なく「あれはヒドかった」と答えますが、「残さず食べたよ」と付け加えるあたりに旦那さんの愛を感じます。
 やはり妻を大事にする家庭は夫婦円満のようです。姑も老いてからは「あなたの云うとおりに」と素直です(カメラの前だからかな)。
 〈伯母〉の家に集まった親族の男性達に訊いても、そろって奥さんへの感謝の言葉を忘れません。

 何だかんだ云いながら、女性達は家庭で手料理を作っています。外食はあまりしないのか。
 外食について訊くと「イラン国内の七割が飢えに苦しんでいるのに、都会の自分達だけ外食するなんて贅沢だ」と返される。年配主婦の中には「病気の人が増えているのは出来合いの料理で済ませる人が多くなったからよ」と持論を展開する人もいます。
 外食どころか、惣菜までも否定されている。イランでファーストフードが普及するのは当分は先のようです。

 調理し終わると食事です。
 やはりラマダン明けの〈伯母〉の食卓はにぎやかです。「食卓」と云ってもテーブルはなく、どこの家庭も居間の床に大きくマットを広げて、床の上に座って食べている。
 それにしてもレジャーシートのようなランチョンマットです。いや、そもそもランチョンマットとは云わんのか。
 〈監督の嫁〉だけはカウンタでの立食なのはやむを得んか。

 男性があまり手伝わないと云うのは何処の国も同じなのか。〈伯母〉の家でも男性達は奥さん達の手伝いよりも政治談義に花を咲かせている。それでも皿を並べるくらいは手伝ってはくれますし、その程度で良しとするべきなのか。
 しかし〈妹〉の家庭は酷い。夫は一切手伝わないし、感謝の言葉もありません。
 「今日の料理にどれくらいの時間がかかったと思うか」と訊かれ、「一時間くらいかな」と答える。実際は五時間かかったと知らされてもまったく動じない。
 「それは段取りが悪い所為だ」
 おい。少しは感謝しろよ。男の私の目から見てもコイツは許せませんな。
 それでも文句ひとつ云わずに食後の後片付けまで一人で行う監督の妹。

 食事の後片付けまで撮り終わったところで、おもむろにエンドです。
 ラストに、このドキュメンタリー映画撮影の数年後、監督夫婦も監督の妹夫婦も、離婚に至った旨が字幕で説明されます(作品の公開は二〇一〇年ですが、撮影自体はその数年前に行われたとか)。
 さもありなん。
 あの監督の義弟にあたる亭主の、妻への無理解ぶりを観たあとでは、離婚も無理からぬ事であると納得です。それどころか、よく数年後まで保ったものだと感心します。監督の妹さんは我慢強かったようです(大学を卒業できるまで待ったのか)。
 イランでも日本でも、奥さんを大事にしないとこうなるというのは変わらないようです。

 一方、監督夫婦の方も……。
 まぁ、あまり奥さんを大事にしているようには見受けられませんでしたねえ。
 あの深夜にまで及んだ無茶ぶりの撮影強行が離婚の遠因であったと思われてなりませんです。ホントにそれが原因だったとしても私は驚きませんね。
 結局、女性に敬意を持って接しない野郎は、どんな国でも結婚は長続きしないと云うことか。万国共通の真理をみる思いです。
 最後の字幕には監督の自責と自戒の念が込められているように感じられました。


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