2012年7月4日水曜日

ピアノマニア

(Pianomania)

 ピアニストではなく、ピアノの調律師に密着取材したと云う、一風変わったドキュメンタリ映画です。
 二〇〇九年のオーストリア、ドイツ合作映画で、監督はロベルト・シビスとリリアン・フランク。夫婦で共同監督を務めています。ロベルト監督はドキュメンタリ専門の製作会社を設立されているそうな。
 本作は二〇〇九年の、ロカルノ映画祭批評家週間部門グランプリ受賞作であり、同年のヨーロッパ各地の映画祭で様々な賞を受賞しております。大体は「最優秀ナントカ賞」というのが多いですね。
 また、二〇一一年にもドイツ映画賞最優秀音響賞を受賞しております。

 出演しているのは、ピアノの老舗スタインウェイ社の専属ピアノ調律師シュテファン・クニュップファー技術主任。一年間の密着取材の過程で、ピアノの音にこだわり、音の響きをマニアックに追求していく音職人の姿が描かれます。シュテファンさんは、世界の名だたるピアニスト達から絶大な信頼を寄せられているのだとか。
 世界的に有名なピアニストの為の調律なのだから、当然のことに調律士と一緒に世界的に有名なピアニストが何人も登場します(とは云うものの、実はクラシック音楽には疎いので、よく存じませんのですが)。

 ピエール=ロラン・エマール、アルフレート・ブレンデル、ラン・ランといった人達も登場し、調律士に無理難題──としか思えないようなリクエスト──をぶつけてきます。
 ピアニストと調律士。僅かな音の差異をも聴き分けるピアノマニア同士のやり取りが面白い。
 でもぶっちゃけ、素人の耳にはよく判んないデス(汗)。

 「このホールでは広がる音がいいですか。それとも密にこもる音がお望みですか」
 「両方だね」

 この理屈に合わないアーティストの無茶な要求に全力で応えようとするシュテファンさんの努力が涙ぐましい。誠実な人柄が偲ばれます。
 宙を見据えて弦をはじき「響きが不完全だ」とつぶやく姿は、「技術主任」と呼ぶよりもまさに「職人」と呼ぶに相応しい。
 何人ものピアニストから信任厚いシュテファンさんですが、本作では主にピエール=ロラン・エマールとの仕事を主軸に、その仕事ぶりが紹介されていきます。

 さてここに、バッハの〈フーガの技法〉と云う曲集がありまして、巨匠晩年の傑作と云われております。でも実は未完成な曲集(バッハが視力低下による作曲中断のまま他界した為)。譜面も未完成で、楽器編成も判らない。したがってその演奏には様々な解釈があり、アーティストがどう演奏するかが注目されるのだとか。
 この〈フーガの技法〉を、ピエール=ロラン・エマールが弾くことになり、その演奏は録音され、CDに収録されると云う。世界的な名ピアニストの独自解釈による演奏。音楽会社のスタッフも気合い入れまくり。
 さて、その演奏に使われるピアノをどう調律するか。
 「バッハの意図したとおりの音を伝えたい」と意気込むエマールと、それに応えようとするシュテファンさん。博物館にも足を運び、四〇〇年前の楽器──パープシコード(またはチェンバロ)と云うやつか──の音色を聴かせてもらって参考にするなど、研究にも余念がありません。
 誠にピアノ愛にあふれる献身的な仕事ぶりです。

 研究熱心な姿勢は、独自にピアノの反響板を開発してしまうところにも見受けられます。
 コンサートホールの天井には元から反響板が取り付けられていて、ステージからの演奏の音を客席の隅々にまで行き渡らせるように設計されているワケですが、使用するピアノの特性によっては、高音域の周波数が減衰してしまい、天井にまで届かないことがある。特に大きなコンサートホールであるなら、尚のこと。
 そこで天井の反響板に届かないなら、ピアノの上に独自の反響板を設置して、直に客席にまで音を響かせようという次第。
 実際にカメラの前で、反響板の有無で音がどんな風に聞こえるか実演してくれます。確かに高い音の鍵盤を叩いた際のホール内に響く音に、はっきりと違いが出ています。
 これは理科の実験のようでなかなか興味深かったデス。

 それにしても、収録の一年前から戦いは始まっているというのが凄いです。来年演奏する予定のピアノの調律を今から始めるのか。
 それも結構、大きなピアノですよ。グランドピアノですもの。
 使用するホールのステージに据えて、シュテファンさんが調律に着手する。それはいいが、作業中はこのホールは他の目的では使用できないと云うことか。微妙な調律を行うピアノを倉庫に出したり入れたり出来るワケがないし、当のピアニストと調律師以外は手を触れることも許されないのでありましょう。
 つまり、このホールは一年後の録音が行われる日まで、誰も使用できないのか。なんか勿体ない気がするのですが、世紀の演奏ともなれば、それくらいの準備期間は必要なのか。
 「ウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ホール」と云う、音楽に疎い私でもなんだか凄い場所であるらしいことが察せられます(いや、本当に凄い場所なんでしょ)。

 そして一年前から、ピエール=ロラン・エマールとシュテファンさんの綿密な打ち合わせが行われる。世界的に有名なピアニストともなれば、スケジュールは過密を極めるらしく、一度打ち合わせを行ったら、次回の打ち合わせまで数ヶ月は間が開いてしまう。それまでの間に、ピアニスト側から出されたリクエストをクリアしておかねばならないようです。
 シュテファンさんの方も、この調律だけに専念するわけでは無く──そりゃ引く手数多の凄腕調律師ですから──、別のピアニストのコンサートの為の調律や、他所で行われる音楽祭の為の調律に出張もしなければなりません。ここで出張するのは、「グラフェネック音楽祭」と云うイベントですが、メジャーな音楽祭なのかな──なんて訊くと愛好家から叱られますか。

 ピアニストは皆、頭の中で自分の音色を思い描いている。しかし実際には、演奏する状況によっては、同じ楽器を使っても音色は異なってしまう。だから調律師は、ピアニストが条件の異なる状況で演奏しても、同じ音が出るようにしてあげねばならない。
 さらりとシュテファンさんは仰いますが、それは滅茶苦茶に難しいことなのでは。

 調律の過程で演奏される数々のクラシックの名曲を流しながら、ウィーンの街の映像がところどころで挿入されます。
 路面電車や、ホーフブルグ宮殿(オーストリア連邦大統領公邸)、ライトアップされたウィーンの街の様子が美しいです。NHKの『名曲アルバム』みたいですねえ。
 ドイツの風力発電所らしい風景も映されますが、観光映画では無いので地名は表示されません。なかなか印象的な風景でしたが、どこなんでしょうね。

 ピアノは工場で製造される製品ではありますが、楽器ですから一台ごとに個性を持っている。僅かに音色や共鳴の具合が異なる。楽器を選ばないピアニストは稀であるので、演奏者に最適なピアノを調達するのも大事な仕事です。
 そしてスタンウェイ社を訪れ、何台ものピアノを並べて、音を聞き比べていきます。
 「このピアノの音は薄くて丸くない」とか「これは予備にキープしよう」とか云いつつ、選定していきます。もはや素人には、ナニがナニやらの世界です。こっちのピアノとあっちのピアノのどこが違うのか判りません(汗)。

 スタンウェイ社では製造されたピアノには、シリアルナンバーを振って管理している。
 実は演奏するホールには、〈一〇九番〉のピアノが既に設置されており、このピアノの音がホールには最適らしい(既に最適化されているのか)。シュテファンさんも気に入っているようですが、このピアノは老朽化し、収録期日の前に売却されることになっている。代わりに搬入されるのが、シュテファンさんが選んだ〈二四五番〉。
 「果たして兄貴の音色を超えられるかな」とシュテファンさん。CDに録音される演奏は後世まで残ることになるので、調律師としてもプレッシャーを感じています。

 しかし演奏の期日が迫ってくる中で、〈二四五番〉の鍵盤のハンマーに幾つかの不具合が発見される。
 「幅が〇.七ミリほど不揃いだ。これではエマールが要求する音が出ない」
 メーカーに連絡して、特注で部品を交換しようと奔走するシュテファンさん。
 傍目にはどこが異常なのかよく判りません。確かに他のハンマーと並べて比べると、多少寸法が違っているようにも見受けられますが、それは誤差の範囲のようにも思えます。
 でも、シュテファンさんは妥協しません。
 予備にキープした〈七八〇番〉を使うべきか。録音前日になってもまだ迷っています。
 シュテファンさんのリクエストによってグランドピアノを二台並べて弾き比べたりしますが、どこがどう違うのか。ほとんど徹夜で最後の調律を行っています。
 果たして収録は無事に行われるのだろうか……いや、ちゃんと行われますケドね。

 このときエマールの演奏した〈フーガの技法〉は、CD発売後に各方面で絶賛され、色々と賞も受賞したそうです。本作は半分以上、このCDのメイキング映画であるとも云えるでしょう。
 「この音を夢見ていたんだ」というエマールの言葉は、最高の褒め言葉ですね。




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