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2016年7月29日金曜日

シン・ゴジラ

(GODZILLA Resurgence)

 庵野秀明監督による「ゴジラ」映画の最新作です。北村龍平監督の『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)以来の十二年ぶりの、日本製のゴジラです。
 実際には、ギャレス・エドワーズ監督によるハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』(2014年)が間にありましたので、二年ぶりの新作か。新しい監督が各々、独自カラーを打ち出したゴジラを製作して、それをあまり間をおかずに鑑賞出来るようになったとは嬉しいデスね。
 その分、ストーリーもリセットされて、今回もまた新たなストーリーが展開します。

 本作の監督はもう一人いて、樋口真嗣が監督及び特技監督となっています。庵野秀明は総監督及び脚本。
 でも誰も「樋口真嗣のゴジラ」とは呼びませんね。まぁ、誰がどう見てもあれは「庵野ゴジラ」でしょう。クリエイターのカラーがここまで色濃く反映されたゴジラというのも珍しいですね。

 実際、本作のゴジラは、新手の使徒か巨神兵かといった趣でありました。造形も『巨神兵東京に現わる』と同じく竹谷隆之ですし。
 また、ビジュアルだけでなく、劇伴による印象も強く作用しておりまして、本作の音楽が鷺巣詩郎であるところも庵野秀明ぽく感じる理由ですね。あからさまに『新世紀エヴァンゲリオン』のBGMを耳にしたときは笑ってしまいました。あきらさますぎて、いっそ清々しいくらいです。
 しかし鷺巣サウンドだけではなく、随所に昔懐かしい伊福部サウンドも挿入してくれております。やはり日本のゴジラですから、伊福部昭のテーマが入らないとイカンのか。
 そのあたりはビミョーなところもありまして、個人的には「ここまで新しいゴジラにするなら、伊福部サウンドも封印してしまった方が良かったのではないか」とも思えます。いやまぁ、劇中であのマーチが鳴ると血が騒ぎますけどね。

 出演は長谷川博己、竹野内豊、石原さとみの三人でしょうか(いや、他にもっと沢山いるだろとか異論があるのは判りますけど)。
 長谷川博己は、樋口真嗣監督の実写版『進撃の巨人』(2015年)に登場したシキシマ隊長が記憶に新しいところですが(他にはよく存じませんのですが)、今回は生真面目な官僚役となってイメージがガラリと変わりました。
 実写版『進撃の巨人』には石原さとみも出演しておりましたね。ハンジ役で。
 竹野内豊もあまりよく知らない俳優さんです。TVドラマの方はサッパリ観ないし、『謝罪の王様』(2013年)も『人生の約束』(2016年)も観てないし。唯一、『太平洋の奇跡/フォックスと呼ばれた男』(2011年)のみ観ております(どこかで観た人だと思ったら大場大尉の役か)。

 既に本作は日本特撮映画史上の最高傑作であるなどと云われておりますね。確かに面白かったし、凄かったし、色々と重層的な鑑賞が出来たり、作品の解釈にもまた様々なものがあったりしますね。優れた作品には共通する特徴です。
 一方で、最高傑作と断言しちゃうのもどうかなーと思うところもありまして、ぶっちゃけドコカデミタ感が至るところに見受けられるので、素直に称賛できない部分もあります。
 この辺はもう、語り始めるとキリが無いというか、私の知ってる人は皆、本作を観た後は「色々と語りたいことが出てきて困る」と申しております(笑)。

 『シン・ゴジラ』をネタに飲み会を設けると、かなりヒートアップしかけるのですが、意見が相違するところもあって、また強く主張すると角が立つし、そもそもそこまで専門的なことに踏み込んで断言できるのかという躊躇いもあったりして、なかなか議論が長続きしませんです。
 結果として「シン・ゴジラはいいぞ」などと、まるで『ガールズ&パンツァー』(2015年)のときと同じようなコメントしか出てこなくなります。なんだそりゃ。

 個人的には──
 『新世紀エヴァンゲリオン』のようなゴジラだった。『巨神兵東京に現わる』のようなゴジラだった。『機動警察パトレイバー』のようなゴジラだった。「平成ガメラ」シリーズのようなゴジラだった。『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)のようなゴジラだった(主にヘドラの方ね)。『ゴジラvsデストロイア』(1995年)のようなゴジラだった。
 ──等々と、キリがないです。いちいちその理由を挙げなくても判りますね(判って下さい)。
 なかんずく、初代『ゴジラ』(1954年)のようなゴジラだった──と云うのは賛辞になりますか。
 また、『妖星ゴラス』(1962年)のようなゴジラだった、と云う意見も聞きました。これは「困難な目標に立ち向かうプロジェクト・チーム」を描いているところがそうであるそうな。しかしそれを云い始めると『日本沈没』のようなゴジラだったとか、NHKの『プロジェクトX』のようなゴジラだったとも云えそうです。

 だからと云って、本作がつまらないと云うワケでは決してありませんデス。むしろこれほどまでに色々とネタを詰め込んで破綻することなくまとめている庵野秀明の手腕を高く評価したい。大変、面白かったです。
 しかし、最初に公開初日に劇場に足を運んだときには、上映前の客の入りがあまりにも悪く──ガラガラでした──、これはもうアカンのではないかと危惧したりもしました。
 でも尻上がりに調子が良くなっていき興行成績は今やダントツであるそうな。これはクチコミによる効果なんですかね。リピーターも多いそうな。
 確かに、本作は異様に情報量が多くて、一回観ただけでは判り辛いところもあります。私も二回観ました。公開終了前にもう一度、観ておきたいし、今度は4DX上映にしてもいいかしらとも考えております(でも4DX上映って、いつも満席なんですよね)。

 本作は日本製ゴジラ映画にしては初の「フルCGによるゴジラ」でもあります。おお、遂に着ぐるみとは決別するのか。やっとハリウッド製ゴジラに追いついてくれましたね。
 しかし動きません。普通、CGにするとダイナミックかつアグレッシブに走り回ったりも出来るのに──その最たるものはローランド・エメリッヒ監督版の『GODZILLA』(1998年)ですが──、本作のゴジラは着ぐるみだったときよりも動きません。実に頑なです。
 これは本作のゴジラの「中の人」が野村萬斎であるからだそうです。最初はエンドクレジット時に野村萬斎の名前が表示されたのを見て、一体どこに登場していたのだろうかと首を捻ったりもしたのですが、モーションキャプチャを使ったゴジラの歩みが、野村萬斎でしたか。
 あれは狂言師の抑えたすり足歩行か。妙なところで日本の伝統芸能が顔を出しますね。

 ローランド・エメリッヒ監督版はともかく、ギャレス・エドワーズ監督版でも「泳ぐゴジラ」が描かれておりましたが、本作のゴジラはほとんど身じろぎもせずに歩行していくのみです。まぁ、直立するまでの初期の形態は別にして。
 しかも堅い。自衛隊の攻撃程度ではビクともしない、岩のような表皮です。ギャレス・エドワーズ監督版のゴジラが、ときどき腹の皮を波打たせていたような描写はありません(あれはあれでクジラっぽい感じがして面白いのですが)。
 ただユラユラと尻尾を高く掲げて揺らしながら、静かに、ゆっくり、しかし断固として進んでくる様子に、ストイックなまでに様式美に拘る演出を感じました。なかなか吠えないところもストイック。
 その上、生物を超越してもいるし──元より怪獣とは災害の隠喩でしょうが──、小さな眼で逃げ惑う人間共を黙って睥睨しているところが怖い。「荒ぶる神」としての貫禄充分。でも、本当に荒ぶったらどうなるかを知ると更に怖い。

 ゴジラが静かである分、それに対応する人間側のドラマが充実しております。序盤から何度も会議の場面が続きますし、人物のアップも多い。
 小さなお友達の鑑賞にはツラいところがあるのは否めませぬが、「大人の鑑賞に耐える」為にはこれも必要か。匙加減が難しいところですね。
 子供が本作を観たらどのような反応を示すのか、ちょっと知りたかったのですが、残念ながらうちのムスメらは予告編の段階から怖がって、絶対に観ないと断言しました。昔の着ぐるみ特撮映画から段階的に教育しないとイカンのかなぁ。もう、ポスターのビジュアルだけで──直立しているゴジラの絵だけなのに──怖いのですと(パパとしては残念デス)。

 大人としては、政府の対応を描いている部分だけでも興味深いところ──法律の解釈から、自衛隊の出動、火器の使用に至るまで──が多々あるのですが。
 ただ、「対策を立てる人々」や「困難に立ち向かう人々」を詳細に描いてはいますが、悲惨な場面からは目を背けているのではないかと思うところ無きにしも非ずです。つまり「人が死ぬ」場面が少ないように感じられました。
 序盤で「倒壊するマンションの中にいた人」とか、「ゴジラ通過後の瓦礫の下敷きになっていた人(脚だけが見えている)」も描かれてはいましたが、もっと沢山、亡くなっているでしょう。
 個人的には、ゴジラが丸の内あたりで盛大に火を吹いて一帯を火の海にしたとき、地下鉄構内等に避難していた人達は全滅したのではないかと思うのですが、そこまでは映さないし、語らない。
 その後のビル街の様子も、焦げたり溶けたりしていないように見受けられたのが残念でした。あれほどの熱量で、それはないと思うのですが……。
 あまりに深刻な場面を入れるとドラマのテンションが下がるからでしょうか(ますます子供の視聴には適さなくなりそうですし)。

 また、ゴジラが放射線を吐くとか、放射能を帯びているといった設定──これは昔からそうでした──から、帰宅困難地域が増えるとか、事後の除染作業が大変だといった会話が入るのが、イマドキのゴジラ映画らしいところです。線量計でゴジラの活動を計測するといった場面もあります。
 やはり日本でフクシマ後にゴジラを描こうとすると、そこは避けては通れぬところでしょうか。
 クライマックスの作戦を前にして、出動する防護服姿の自衛隊員達に、長谷川博己が「放射線に被曝する可能性があるが出動して欲しい」旨の発言をします。それはそれでリアルで怖いです。
 しかしそこまで描いたら、作戦行動中に防護服の隊員がバタバタ倒れるシーンも欲しかったと思うのは欲張りでしょうか。ヤリスギかしら。

 結果的に日本の特撮怪獣映画にしては珍しく、自衛隊が最後まで踏ん張り、ほぼ通常兵器のみでゴジラに対処して、遂に打ち勝つところまでが描かれるというストーリーになりました。このあたりは海外の怪獣映画とよく似ております。「自国の軍隊に誇りと自信がある国は、超兵器に頼ったりしないのだ」と聞いた憶えがありますが、日本もやっとそうなってきたと云うことなのでしょうか。
 反面、超兵器が出てこないのでチト寂しく感じるところもありますデス。いや別に「オキシジェン・デストロイヤー」だとか、「スーパーX」的なナニカが見たかったワケではないのですが。
 リアルすぎて、あまりにも地味で華の無い怪獣退治の場面になったのが、ちょっと拍子抜けでした。ポンプ車で化学薬剤を大量に注入して倒す、と云うのはどうなんでしょ。薬殺か。
 斬新は斬新ですが、いまだかつてあそこまで地味な怪獣退治は観たこと無かったデスよ。

 と、知人に漏らしたら「何を云うか。無人在来線爆弾があるじゃないか」とツッ込まれました。あれは超兵器だったのか。JRすげえ。
 リアルな演出で進行してきたドラマですが、リアル過ぎるとゴジラは退治できないのか。多分、そうなんでしょう。
 新幹線やら山手線やらが突っ込んでくる場面は、それまでのリアル路線から打って変わって「従来の怪獣映画」ぽい演出でしたね。架線の復旧が完璧すぎるのも御愛敬。
 また、怪獣映画としては今までに無くリアルなシミュレーションである本作です──平成ガメラ以上でした──が、結末では「ゴジラの放射線は体内で変換された新元素によるもので、その半減期は極端に短い」なんて、ちょっと御都合主義かとツッ込みたくなる部分もありました。
 やはり深刻な印象は出来るだけ軽減したいと云う配慮が働いているような。

 怪獣映画としては、名所旧跡めぐりも無かったか。スカイツリーを華々しく破壊してくれる怪獣はなかなか現れないですねえ。これは大人の事情かしら。
 逆に、本作で武蔵小杉が聖地になったりして。

 そして最後の尻尾のアップ。ラストシーンの解釈を巡って、色々と想像を巡らせる仕掛けが施されているのも庵野秀明らしいですね。
 ゴジラには人間の遺伝子が取り込まれているのだとか、あの博士のなれの果てがゴジラだったのだとか(ゴジラが東京を目指す理由もそれかしら)、ゴジラの分裂増殖はあのようにして始まるのだと云う人もおりました。
 そうなると劇中で言及だけされて映像化されなかった「ゴジラの飛翔形態」も観てみたかったですね。『ゴジラ対ヘドラ』のイメージを払拭してくれるインパクトでお願いしたいデス。

 とは云いながら、庵野秀明監督には、早いところ劇場版『ヱヴァンゲリヲン』に戻ってきて戴きたいデス。あっちを早く完結させて下さい。これ以上、ゴジラに関わっている場合じゃないデスよ。シン・モスラとか、シン・ラドンなんてのも嫌よ(それは無いか)。
 単発の怪獣映画としては出色の出来映えですが、シリーズ化されずに徒花で終わってくれる方を希望したいデス。


● 余談
 しかし次はアニメ映画としての『ゴジラ』になるそうな。
 庵野ゴジラの次は、虚淵ゴジラですと(うーむ)。




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