2014年12月4日木曜日

インターステラー

(Interstellar)

 クリストファー・ノーラン監督による壮大なスケールのSF映画です。前評判からして、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)に匹敵するとかナントカ云われておりましたが、個人的にはちょっと懐疑的ではありました。
 過去、幾多のSF映画がかの金字塔に挑んでは敗れ去っていったことを思うと、『2001年~』を引き合いに出すのは止めた方がいいのにと云わざるを得ませんデス。近年だとリドリー・スコット監督の『プロメテウス』(2012年)の大惨敗とかありましたしね。
 時間と空間の壮大な流れの中で人類の行く末を哲学的かつ宗教的に描こうなんて、大それた試みです。SFにしか出来ないことですが。

 で、どうだったかと問われると、「割とイイ線いってるんじゃなイカ」と云うのが正直な感想であります。「越えたか?」と問われると、「それはない」と即座に否定できますが(そもそも越えられるものでは無かろう)。
 でも「直撃ではないがシールド出力が低下しました。もう一撃、喰らったら危ないです」程度には迫っていたと云えましょう。近年稀に見るくらいSF映画としては傑作であります。ノーラン監督のSF映画は、『インセプション』(2010年)も好きだし、『プレステージ』(2006年)も好きですが、本作もまたいいものデス。
 しかし『2001年~』が引き合いに出されるのは、ストーリーよりも映像としてのコンセプトが似ているのであって、内容的にはあまり比べるところは無いだろうと云わざるを得ません。
 劇中に登場する宇宙船の描写に、かなりの影響が見受けられました。特にドッキングした際のエアロックの描き方とかね。
 他にも、コールドスリープ装置や、人工知能の描写にも、並々ならぬ対抗意識が伺えます。

 でも、時空を越えた父と娘の感動的な絆の物語であったりするあたり、ロバート・ゼメキス監督の『コンタクト』(1997年)ぽいものを感じましたら、製作者の一人であるリンダ・オブストは『コンタクト』のプロデューサーでもありました。さもありなん。
 単純なSFネタよりも、サイドストーリーにエモーショナルなものを持ってくる方がエンターテインメントとしてはよろしいのでしょう。
 実はストーリー展開そのものには、あまり意外性を感じませんでした。古いSF者としては、どうしてもドコカデミタ感を感じてしまうのは、やむを得ないところではあります。これをパクリだとか剽窃だとかは云いたくないですが。

 ぶっちゃけ、原作または原案が星野之宣のコミックスであると云われたら、私は信じてしまったことでしょう。逆に、昔から星野之宣のコミックスを読んでいたので、オチが読めてしまったくらいであります(本作を日本でコミカライズするなら、是非とも星野之宣にお願いしたいデス)。
 多分、私と同じような古参のSF者は皆さんそうだったのではないか。それを考えると、本作はSFとしてはオーソドックスなつくりだと云えましょう。
 もうね、時空を越える際の説明にね、ペラ紙の上に二つの点を描いて「AからBへ至る最短の行程は、紙を丸めて重ねた点から点へ……」と云う下りで、失笑してしまったくらいです。やっぱりイマドキでも初心者への説明はコレが一番、判り易いのか。

 オーソドックスではありますが、泣けるSFとしての必要条件をきちんと満たしてストーリーを展開していく当たり、手堅いものを感じます。
 やはり「時空を越えて、約束が果たされる」と云うネタに、SF者はヨワいのであります。最近は時間ループするSF映画でよく見かけるようになりました。原因と結果の因果関係の逆転だとか、実は原因となる事象がどこまで遡っても出てこずに時間の中をグルグルと堂々巡りするだけ、なんてネタは、私がSFの駆け出しものだった頃からお馴染みの題材です。
 しかし手垢が付くネタだからつまらないと云う訳ではないです。演出がしっかりしていれば、判っていても引き込まれるのです。
 最初の「幽霊騒ぎ」のあたりからニヤニヤが止まりませんです。『ドラえもん』に親しんでいる日本人なら、かなりの観客が感付くのでは無かろうか。

 とは云え、時間ループはかなり市民権を得たネタではありましょうが、相対論的ウラシマ効果に付いてまではそれほどでは無いような気がします。勿論、SF者にとっては言わずもがな。
 光速に近くなるにつれて時間の経過が緩やかになっていく、と云うのは常識ですらあります。
 しかし一般観客にとってはそうでもないみたいで、鑑賞後に劇場内で女性客同士が「どうしてマシュー・マコノヒーが宇宙から帰ってきたら皆が年取っているの」と疑問を口にしているのを耳に挟みました。SF者として「え、そこから?」と目眩に襲われたりしたことは秘密です。
 やっぱり子供のうちから『怪獣ブースカ』とか観てないとイカンのかしら。

 本作の主役はマシュー・マコノヒー。いつものクリストファー・ノーラン監督作品なら、クリスチャン・ベールだろうと思われるのですが、今回はクリスチャン・ベールの出番はありません(その所為か、時々マシュー・マコノヒーの顔がクリスチャン・ベールに見えてしまいそうでした)。
 いつものノーラン組からは、マイケル・ケインが顔を出しております。脇役にマイケル・ケインがいるだけで安定しておりますねえ。
 他には、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マット・デイモン、ケイシー・アフレックと云った面々です。アン・ハサウェイとジェシカ・チャステインを一緒に観られて私は嬉しいデス。同じ場面には登場しませぬが、俺得映画。

 冒頭から、エレン・バースティン演じる老婦人がドキュメンタリ風に語っております。語っているのは、自分の父のことで、そこから過去に遡って自分がまだ少女だった時代、地球環境が悪化の一途を辿って危機的状況であったことなどが語られていきます。
 そこで登場するのが、父であるマシュー・マコノヒー。腕の立つアストロノーツであったのに、ワケありで引退し、実家でトウモロコシ農家を手伝っております。
 農場主である祖父がジョン・リスゴーでした。『猿の惑星 : 創世記』(2011年)でもお見かけしましたが、まだまだお元気そうです(まぁ、マイケル・ケインより若いですし)。

 序盤の異常気象の描写がなかなかリアルでした。砂漠化していく気候に農作物がやられて凶作が続き、慢性的な食料不足に悩まされている世界。日常的に砂嵐が頻発し、市民もそれに慣れっこになっていると云うのが怖い。
 アメリカはまだ大丈夫なようですが、既に崩壊した国家もあるようで、全世界的に「どこの国にも空軍などもうない」と云われているあたり、気象状況の悪化は相当なものらしいです。
 ひどい状況なのは判りますが、特に原因については語られておりません。
 環境悪化もひどいが、最悪なのは子供に偽りの歴史を教えている設定でした。もはや産業も後退し、科学技術も廃れかけ、壊れた機械を修理することもままならず、食料生産が最優先となって科学的研究などに税金を回す余裕も無い(NASAは既に解体されている)。
 そこで子供には「アポロ計画は冷戦時代の政府の嘘だった」などと教えて、子供の興味を科学から逸らさせようと教育している。これはひどい。
 せめて我が子にだけは科学的な素養を身につけさせたいと考えるマシューです。

 この序盤から、娘の部屋に幽霊が出るだの、床の上に積もった砂塵が二進コードで座標を表すだの、奇怪な現象が生じております。
 この座標を辿っていくと、元NASAの科学者達の秘密研究所に行き着き、そこでは地球を救う研究が続けられていたと明かされ、マシュー・マコノヒーがその計画に巻き込まれていくと云う流れです。
 研究の先頭に立つ老科学者がマイケル・ケイン。その娘がアン・ハサウェイ。
 実は地球はもう長くは保たないだろうと語られ、人類生存のためには他惑星への移住しかないと語るマイケル・ケイン。

 しかし幾ら未来のストーリーだからと云って、せいぜい太陽系内を行き来する惑星間航行程度の科学力で、恒星間航行の果てに生存可能な惑星を探しに行くと云うのが、かなり無理な設定であるように思われましたが、そこには救済策が用意されていました。
 土星軌道上に何者かが設置したワームホールが発見され、それを使用して宇宙の彼方へ探索に出ようという次第。既に第一次調査隊が出発しており、マシュー達は第二次調査隊として、先発したチームを追いかけることになります。
 土星軌道上と云うあたりに『2001年~』(原作の方ね)へのオマージュを感じます。ワームホールと云う超科学の産物も、人類以外の何者かが用意してくれていると云うちょっと御都合的な設定ですが、人類に好意的な存在が何者なのかも劇中でちゃんと明かされます。
 果たして人類救済を目指す〈ラザロ計画〉は成功するのか。

 ワームホールや相対性理論に則った描写には、理論物理学者のキップ・ソーン博士が科学考証に付いているそうなので、きっと正確なものになっているのでしょう。
 このあたりから時空の歪みで時間の流れがズレ始めます。マシュー・マコノヒーやアン・ハサウェイにとっては数時間の出来事も、地球では数年単位で過ぎていきます。
 だからマシューの息子や娘も、瞬く間にケイシー・アフレックとジェシカ・チャステインへと成長してしまいます。特にジェシカは地球に残ったマイケル・ケインに師事して科学者への道を歩み始めております。同時に地球の環境も更に悪化していく。

 この宇宙船の描写がかなり『2001年~』ぽいです。ただ、リアルなようでいて、惑星への離着陸を軽々とこなす(燃料補給もなしに)のが解せないですね。最初に地球を出発するときには、かなり重厚なロケットの打ち上げシーンがあったのですが、ワームホールを抜けた後は、重力が地球よりも大きな惑星に着陸しても、そこからまた簡単に離陸したりしております。だったら地球を出発するときもそれで良かったのでは……。
 ストーリーを簡略化する為に、先発隊がめぼしい惑星の候補を三つ挙げてくれておりまして、あまり悩まずに済むように配慮されております。それでも本作は二時間半越えの長尺なのですが(169分)。
 この先発隊の科学者の一人がマット・デイモン。実は〈ラザロ計画〉の真意を知っている怪しげな科学者です。

 地球外惑星のロケ地としては、アイスランドの荒野が選ばれていて、荒涼とした風景が実に効果的でありました。
 また、マシューやアンを補佐する人工知能搭載のロボットがなかなか面白いデザインでした。四本の角柱を並べたカマボコ板かマナ板のようなフラットな外観ですが、必要に応じてボディを分割して足にしたり、回転しながら高速移動までやってのけます。
 このロボットはSF映画史上に残る秀逸なデザインであると思います。また、ジョークを解し、パラメータの値で真実を話す度合いが設定できる仕様なのが笑えます。イマドキのHAL9000といった趣です。

 出来するトラブルの連続に、時空の歪みが容赦なく押し寄せ、地球では数十年の時が経過しようとしている。もはや生きて娘に再会することは適わないのか。
 と云うところで、SF的な飛躍が訪れ、ワームホールを設置した謎の存在とのファーストコンタクトと相成るわけですが、五次元を超越した存在と直接会話するなどと云う荒唐無稽にならないのが巧いですね。
 その為に人工知能に橋渡しをさせるという描写になり、姿を一切見せないまま、コンタクトが成立する。そして序盤の「幽霊騒ぎ」の真相が明かされる。伏線の回収も怠りなし。
 リアルな科学描写を積み重ねたあとに、時空がねじ曲がった破天荒かつシュールな描写に雪崩れ込むのも『2001年~』へのオマージュですね。
 ただ本作では、そこに家族の愛と絆が絡んできて、泣かせる仕組みになっております。一組の父娘の間に交わされた約束が人類を救うと云うギャップの大きさを味わえるのもSFならではでしょう。

 そして序盤の暗さを吹き飛ばすくらい明るいビジョンに、人類の未来は安泰であるとなるわけですが、果たして全人類が助かったのかまでは語られておりませんですねえ。
 何となく、ごく一握りの集団だけが助かったようにも思えるのですが、どうなんでしょ。できれば人類全体が地球を脱出した壮大な移民船団とかも画にしてもらいたかったと思うのは欲張りすぎですかね(クラークの『太陽系最後の日』ばりにお願いしたかった)。




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