2014年7月28日月曜日

GODZILLA ゴジラ

(Godzilla)

 ゴジラのハリウッド・リメイクと云うと、あのローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』(1998年)がありますが、元の姿からかけ離れたあまりにも斬新すぎるデザインと「巨大化したイグアナ」の域を出ない描写に特撮ファンから総スカンを食らい、北村龍平監督の『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)では「あれはゴジラではなかった」とか「マグロ喰ってる奴はダメだな!」とか、散々な云われようでした。
 個人的にはアッチのゴジラはパトリック・タトプロスのデザインだし、古典的な怪獣映画のフォーマットに則った展開で、マシュー・ブロデリックやジャン・レノといった好みの俳優も出演しておりますので、決してキライではないです(アレが「ゴジラ」と云う名前でさえなければ良かったのに)。だからその延長上にあるTVアニメ『ゴジラ ザ・シリーズ』も割と好きデス。

 そして『ゴジラ FINAL WARS』のあと、東宝からは今後十年間はゴジラ映画を制作しない旨が発表されたのですが、遂にその十年が経過したからか、新作ゴジラ映画が制作される運びとなりました。
 今度の監督は『モンスターズ/地球外生命体』(2010年)のギャレス・エドワーズ監督。本作が二作目の監督作品となるバリバリの新人監督ですが、全編に溢れる怪獣愛と云うかゴジラ愛が炸裂しまくる本作は大変素晴らしく、日本人が観てもちゃんとしたゴジラになってます。
 エドワーズ監督は「日本人に受け入れられなければ本物のゴジラではない」と語っておられたそうですが、その意図は見事に成功したと申せましょう。

 なにより怪獣が「倒すべき敵」ではなく、「大自然の驚異」として描かれているのがいいですね。「人間は決して母なる自然には勝てない」と劇中でも語られているとおりです。このあたりに「欧米の怪獣映画」ではなく「日本の怪獣映画」がリスペクトされているのが感じられます。
 まぁ、ちょっとゴジラのフォルムが重量感ありすぎというか、下半身がどっしりしすぎている印象は否めませぬが、これはこれでアリでしょう。そもそもゴジラの名前は「ゴリラとクジラを掛け合わせたもの」と云う由来がありますので、そこもまたリスペクトされてしまい、妙にクジラっぽい胴体になってしまったような気がします。
 その分、泳いでいるときの姿がなかなかサマになっていて、水中から背ビレだけを現して進んでくる描写は大変素晴らしいです。

 本作の主演はアーロン・テイラー=ジョンソン。『キック・アス』(2010年)の頃は「アーロン・ジョンソン」でしたが、結婚してからは奥さんの旧姓と合わせて「アーロン・テイラー=ジョンソン」に改名したのだそうな。『アンナ・カレーニナ』(2012年)以降は「テイラー」が付いているそうですが、気がつきませんでした。
 アーロンは米軍の爆弾処理部隊の兵士と云う役ですが、少年時代から怪獣と縁が深いというか、怪獣に家族の運命を狂わされた人として登場しております。

 アーロンの父親がブライアン・クランストン。アーロンの奥さんがエリザベス・オルセン。
 ブライアン・クランストンは名バイプレーヤーですね。近年だけでも『ジョン・カーター』(2012年)、『アルゴ』(同年)、『トータル・リコール』(同年)と出演している作品は観ておるのですが、『トータル・リコール』のコーヘイゲン役くらいしか思い出せません。『ワールド・ウォー Z』(2013年)にも出ているのに。
 エリザベス・オルセンは『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(2011年)のマーサ役で映画デビューしていたので存じております。あの「オルセン姉妹」の妹だというので覚えておりました。お姉ちゃんが有名すぎる双子ですが、三女が俳優としては一番頑張っているような。

 そして日本からも渡辺謙が出演しております。エメリッヒ版には日本人は主要な役としては一切、登場しなかったのに(せいぜい襲われた漁船の生存者くらい)、今度は日本人科学者が大きく関わってくるストーリーなのが嬉しいデス。
 その名も、芹沢猪四郎博士。スゴい名前ですね(笑)。
 オリジナル版『ゴジラ』(1954年)で平田昭彦が演じた芹沢大助博士と、オリジナル版の監督である本多猪四郎を足して二で割っております。但し、本作における渡辺謙は、超兵器〈オキシジェン・デストロイヤー〉を発明したりはいたしません。
 ゴジラを追跡する研究機関〈モナーク〉の科学者という役で、オリジナル版で云うところの志村喬の山根博士ぽい感じです。まぁ、色々と混ざっているようデス。

 〈モナーク〉は怪獣──劇中では「未確認巨大陸生生命体(“Massive Unidentified Terrestrial Organism”)」と呼ばれる──の研究機関ですが、かなり秘密結社めいていて、世間には存在が公表されていないようですが、米軍と密接に連携し合っていると描かれております。
 本作の公開と同時に、コミックスによる前日譚なんかも翻訳されておりましたが、そこでは第二次大戦末期のヒロシマへの原爆投下により、怪獣が出現するようになったとか、芹澤博士の父上(この人も芹澤博士か)が、マッカーサー元帥肝煎りで結成された〈モナーク〉のメンバーとなる経緯が描かれておりました。
 本作の劇中で、渡辺謙が自信満々に「我々はアレをゴジラと呼びます」と断言するのは、父親からの研究を引き継いでいるからですね。アーロン・ジョンソンの場合と同じく、ここにも親子二代にわたって怪獣を追い続けた家系があるようです。
 でも時代的には親子三代くらいにした方が自然だと思うのですが。

 本作ではゴジラ以外に、新作の怪獣が登場するのも意表を突いております。
 その名も「ムートー」。先の「未確認巨大陸生生命体」の略称ですが、本作では新怪獣ムートーを追って、ゴジラが出現する流れになっております。
 厳密に云うと、ゴジラもムートーの一種と云うことになると思うのですが、別に「ムートー一号」、「ムートー二号」などとは呼ばれません。ゴジラは最初から「ゴジラ」。新参の怪獣と一緒にするな。

 このムートー、ナニやら手脚の長い昆虫タイプの怪獣です。近年の米国製怪獣映画を色々と思い起こさせる姿をしております。ぶっちゃけ、マット・リーヴス監督の『クローバーフィールド』(2008年)とか、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』(2013年)がすぐに思い浮かぶところです。
 いっそのことに「ムートー」ではなく「カイジュー」と呼んだ方がいいくらい。
 その上、ギャレス・エドワーズ監督自身の『モンスターズ/地球外生命体』に登場した生物の面影も伺えます。劇中で妙に詳細にムートーの生態が描かれ、雄と雌の二体が出現して、求愛行動を取ったり産卵したりするのも、前作と同じです。エドワーズ監督は割と怪獣の背景設定を考えるのがお好きなようで、巨大でも生物として納得できるものにしたいようです。
 そりゃね、あのゴジラが、公式に「ぼくのかんがえたかいじゅう」と戦ってくれるのですから、設定にも気合いが入ろうというものでしょう。

 本作では、怪獣は放射能の影響で生物が突然変異したり巨大化するのではなく、最初から「そういう生物でなのだ」と描かれております。古代ペルム紀の生物で(恐竜より古いわ)、地上に放射性物質が豊富にあったので、放射能への耐性があり、また核物質をエサにして繁殖するといった生態を有しているのだそうな。大自然の驚異です。
 逆に、六〇年代の太平洋上での一連の水爆実験は、ゴジラの出自とは関係なく、米軍が秘密裏にゴジラを殲滅しようと戦っていたのだと明かされる。でも倒せなかったのね。
 もはや登場したときから、核兵器では倒せないと判っているので、渡辺謙がひとりで悟ったような諦め顔でいるのも宜なるかな。

 また、本作は日本の特撮怪獣映画にもオマージュを捧げているように見受けられます。
 多分、多くの方が金子修介監督の『ガメラ2/レギオン襲来』(1996年)との類似点を指摘されることでしょう。昆虫タイプの怪獣が敵であったり、電磁パルスを発したり、ゴジラがムートーに戦いを挑む理由が、ガメラがレギオンに戦いを挑む理由と似ていたり──地球環境のバランスを維持する為──しますからね。
 だから本作ではゴジラは徹頭徹尾、ムートーに狙いを定めています。人間など歯牙にも掛けない。
 悠々と上陸し、町を破壊してのし歩いていきますが、別に破壊が目的なのでは無く、あれだけの図体のものは、ただ通過していくだけでこうなるのだと描写されています。まさに怪獣とは、災害と同義であり、人間がどうこうできる代物では無いのです。「荒ぶる神」といった風情のゴジラです。

 オリジナル版以降、長らくゴジラとは「体長五〇メートル」と設定されてきましたが、近年のゴジラ映画では現代建築物の高層化もあってちょっと迫力不足になった為、もう少し巨大になっておりますが、本作でも同様にゴジラもムートーも巨大に描かれております。
 詳しくは言及されませんが一〇〇メートル以上はありそうです。特に科学的な根拠があるわけで無く、「これくらいないと絵にならない」と云う理由で巨大に描かれているようです。それほど巨大な生物が自重で潰れたりしない理屈なんか知らんといった姿勢が清々しい。
 とにかく、本作では怪獣をカッコ良く描くことに専心しており、様々なアングルで、リアル且つ迫力たっぷりにゴジラとムートーを描いています。逆にそれだけの大きさのものが歩いたり、飛んだり、暴れたりするのだから、当然こうなるでしょうと逆算して街が破壊されていく場面が描かれているように見受けられます。

 そして古典的演出によって、ゴジラはすぐには現れないのもいいですね。
 昔から優れた怪獣映画では、怪獣はすぐに現れたりしないのです。まず痕跡、次いで声とか影、尻尾や背ビレの一部だけがチラ見せ登場し、本体がドーンと現れるのは終盤になってから。スピルバーグ監督の『ジョーズ』(1974年)も、このフォーマットに則っていましたし、エメリッヒ版『GODZILLA』もきちんとそれを踏襲しております。
 その上、本作では「ゴジラかと思ったら、ムートーだった」と云う演出もあるので、尚のこと真打ち登場まで観客を焦らせまくりです。

 エメリッヒ版との対比で云えば、本作の舞台となるのがニューヨークではなくサンフランシスコになるのも、考えた上のことですね(同じ場所には二度も行かない)。名所を破壊するのも、お約束。
 特に今回は巨大ですので、ゴールデンゲートブリッジの向こうからヌッとそびえ立つ姿が迫力たっぷりです。他にも、劇中ではハワイやラスベガスも蹂躙されております。
 ついでに云うと、エメリッヒ版では描かれなかったゴジラのゴジラたる特徴、放射熱線を吐くシーンがちゃんとあったのが素晴らしい。怪獣対決を描いていても、なかなかゴジラが火を吹かないので、これはないのかと諦めかけていたら、最終対決で見事にやってくれました。
 しかも発射前に背ビレが青く光る──尻尾から順に発光部が登ってくる独自設定の──演出であったのも嬉しいです。この点について、劇中では何の説明もありません。説明不要ですし。

 ただ、ゴジラに知能があるようにも見えたり、ムートーも昆虫タイプのくせに産み付けた卵を気にする素振りを見せたりと、ちょっと動物ぽい描写があったのが気になりましたが、まぁ些細なことか。
 それより気になるのは、冒頭の日本の描写がやたらと「富士山が強調された背景」であったり──どこの原発だよ──、クライマックスの核爆発が妙にお手軽に思えたことでしょうか。
 特にラストは、如何に沖合いで爆発したとしても、核爆発を軽く考えすぎなのではと思わざるを得ません。このあたりはやはり欧米人監督だからなのか、「爆発させる方が派手だから」と云う理由であるように思えてなりませんです。

 そして人間の営みには一切目もくれず、悠然と海に去って行くゴジラです。しかし既に続編制作決定であるそうなので、また近いうちにその勇姿を拝めることでしょう。
 ただ、次回はモスラやキングギドラといった古典怪獣も復活するそうで、どうなることか非常にスリリングです。まぁ、エドワーズ監督なら大丈夫か。
 エンドクレジットで流れるアレクサンドル・デスプラの劇伴が、妙に伊福部サウンドを踏襲しているのがちょっと笑えました。『クローバーフィールド』でもマイケル・ジアッキーノが伊福部昭にオマージュ捧げておりましたし、やはり伊福部昭は偉大ですね(いや、別にそこまで似た曲にしなくてもいいのに)。




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