2014年7月14日月曜日

ダイバージェント

(Divergent)

 ベロニカ・ロスのヤングアダルト向けSF小説『ダイバージェント 異端者』が映画化されました。ラノベの映画化と云うのは、近年よく見るパターンですが、どれもSFやホラー色が強いのが映画向きの素材でありますね。
 〈ハンガー・ゲーム〉シリーズもヒットしてますし、トム・クルーズ主演の『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014年)なんてSF大作もラノベ原作ですし、ラノベと云えども侮れんデス。
 とは云え、古参のSF者には、本作の基本設定がどうにも古臭く感じられてしまいます。イマドキは一周回って逆に新鮮なのかしら。

 最終戦争後の地球。文明崩壊後、荒野の中にポツンと存在する都市国家と化したシカゴの街は独特の社会システムを採用して命脈を保ち、そのまま一〇〇年が経過した。
 周囲を厳重なフェンスに囲まれ、住民は外界からは隔絶した生活を送っている。
 そして人々は一六歳になると適性審査を受け、五つの共同体のいずれかに所属することで調和を保っていた。

 第一に〈高潔〉(キャンダー)  司法を司る、裁判と調停の専門家集団。
 第二が〈博学〉(エリュダイト) 学問を司る、科学者集団。
 第三が〈勇敢〉(ドーントレス) 軍事・警察を司る、体育会系集団。
 第四が〈無欲〉(アブネゲーション) 行政を司る、禁欲主義集団。
 第五が〈平和〉(アミティ)   食料生産を司る、穏健派集団。

 この五つのグループだけで調和の取れた社会が営まれているという前提からして、かなり寓話的なSFであるのが判ります。こんな古臭い(懐かしいと云うべきか)設定で臆面もなくストーリーが語られるところに軽く驚きました。イマドキでもアリなのか。

 そして主人公も一六歳となり、晴れて成人となるべく適性審査を受けるのだが、五つの共同体いずれにも適さない異端者(ダイバージェント)であると診断されてしまう。しかも異端者は社会の調和を乱すとして、抹殺対象になると知り、正体を隠して生活することを余儀なくされる。
 だがやがて正体は露見し、同時に共同体間の確執も発生し、主人公は社会システムそのものに変革をもたらすものになっていく。
 ──と云うのが大筋ですが、色々と〈ハンガー・ゲーム〉シリーズにも通じる設定と流れが見受けられます。非常にアリガチと云うか。

 でも監督がニール・バーガー。『幻影師アイゼンハイム』(2006年)や『リミットレス』(2011年)の監督さんですので、下手なものは作るまいと思っておりました。結果としては、まぁまぁと云うか、それなりの出来ではありました。
 最近、有名監督がラノベSFの映画化を請け負うことが多くなってきたように思われます。
 つい先日も、あのアンドリュー・ニコル監督が、シアーシャ・ローナン主演で『ザ・ホスト/美しき侵略者』(2013年)なんてのを撮っておりましたね。『ザ・ホスト』は〈トワイライト〉シリーズのステファニー・メイヤーが原作ですから、当然のようにヤングアダルト向けロマンス映画──SFの皮を被った──だったのですが、本作もそこにカテゴライズされるのでしょう。

 ニール・バーガー監督作品ですので、つまらなくはないデス。ただ終わっていないだけ。
 先に書いちゃいますけど、どう見ても続きがありそうなラストでした。書店で原作小説(角川書店)を手に取ると、三部作であると解説されていました。これもか。
 しかも早速に続編『インサージェント(“Insurgent”) 叛乱者』も制作が開始されたそうです。完結編『アリージェント(“allegiant”)』──こちらは「忠誠者」かしら──まで含めて、三部作の原作を四部作にして映画化するところも〈ハンガー・ゲーム〉シリーズと同じというか、あからさまに二匹目のドジョウを狙っております。
 予定調和的で先が読めそうなシリーズですが、そこそこ丁寧に作られておりますし──劇伴がハンス・ジマーとジャンキーXLであるのも大作ぽい──、巧くいけばよろしいのですが。

 主演はシェイリーン・ウッドリー。個人的にジョージ・クルーニーの最高傑作であると信じる『ファミリー・ツリー』(2011年)において、ジョージの娘(お姉ちゃんの方ね)を演じていた方です。
 近年のラノベが原作の映画(SFだけでなく、ホラーやファンタジーも含めて)に出演している若手の女優さんの中では、日本での知名度が高い方ではありませんが──ジェニファー・ローレンスや、シアーシャ・ローナンや、リリー・コリンズに比べればね──、実力はありそうですし、アクションもしっかりしているし、将来が楽しみであります。

 シェイリーンの相手役になるのが、テオ・ジェームズ。ウディ・アレン監督の『恋のロンドン狂騒曲』(2010年)で、アンソニー・ホプキンスの後妻さんを口説こうとしていたイケメン野郎ですね。ケイト・ベッキンセールの〈アンダーワールド〉シリーズにも出演しているそうですが、こっちは二作目以降はスルーしておりまして、よく判りませんデス。
 イギリスの若手俳優で、眉の太い風貌がコリン・ファレルに似ていなくもない(それほどでもないデスカ)。本作では、ヒロインに最初は冷たく当たる、陰のある美形を演じております。なんかキャラの造形がアニメぽいです。

 脇を固めているのが、ケイト・ウィンスレット、マギー・Q、レイ・スティーブンソンといった面々。皆さん、ベテラン揃いですね。
 特にオスカー女優のケイト・ウィンスレットが本作に於ける最大の敵役になっております。配役が豪華なところも、〈ハンガー・ゲーム〉並みですねえ。
 しかし中には出番がそれ程ない人もおられて、なんか勿体ないなぁと思っておりましたが、最初からシリーズ化を視野に入れた配役だと考えれば納得です。

 冒頭から、主人公のナレーションでザックリと背景が語られます。各共同体の特徴を捉えた説明描写が判り易いです。その中でシャイリーンは、行政を司る〈無欲〉の家庭で育ちながら、街を護る〈勇敢〉の集団に憧れております。
 ここで描かれる〈無欲〉は、とにかく禁欲的で、虚飾を排した生活を送っております。まるでアーミッシュのようです。政治的な権力を握っている集団は、これくらいでなければイカンという原作者の理想が反映されているかのようです。全てを人々に奉仕するために人生を捧げた修道僧か求道者のように見受けられます。服装もグレー系で地味ですし。
 それと正反対なのが〈勇敢〉の人々。やたらと元気で威勢が良く、タトゥーも入れまくりで、飛び跳ねるようにして歩いております。ナニがそんなに楽しいのか理解しかねますが、とにかく体育関係の脳筋集団であることは判ります。トレードマークはレッド系。

 見た目の違いがいまひとつ判り辛いのが、〈博学〉と〈高潔〉でしょうか。〈博学〉は科学者とか研究者である一方、〈高潔〉は裁判官とか判事といった趣なのですが、どちらも理性的で論理を重んじる印象です。
 カラーリングからすると〈博学〉がブルー系で、〈高潔〉がホワイト系。どちらも落ち着いた雰囲気なので見分けが難しいです。〈無欲〉くらい地味であったり、〈勇敢〉のように飛び跳ねてくれれば判り易いのですが。
 〈博学〉と〈高潔〉の唯一の差異は虚偽に関することで、〈高潔〉は嘘がつけず、その上に思ったことを全部口にしてしまうそうです。逆に云うと、〈博学〉は思慮深いが、腹に一物あると云うことか。

 本作中、最も出番が無いのが〈平和〉の人達です。イエロー系の服で固めた農民といった風情ですが、素朴で穏和なだけに争いごとから遠く離れ、おかげでストーリーからも遠ざかっております。
 実は本作は、〈無欲〉と〈博学〉と〈勇敢〉の三つの共同体が主に関わってくるストーリーになっていて、〈高潔〉と〈平和〉は単なる背景設定な扱われ方です。シリーズの第一作目であるからいいようなものの、これだけではせっかくの設定が活かされておりません。
 今後の続編ではスポットが当たったりするのでしょうか。

 更に、共同体は五つしかないと云われながら、実は他に二つ登場します。
 それが〈無派閥〉と〈異端者〉。どちらも五つの共同体のいずれにも属することが出来ない人々ですが、〈無派閥〉は社会のお荷物的なホームレスであると描かれています。非常に貧しく、覇気がなく、〈無欲〉の人達から施しを受けながら生活しているらしい。
 最後が〈異端者〉で、こちらは正体を隠して社会に潜伏しています。共同体を構成することがなく、個人で行動するが、社会の調和を乱す者であると云われている。
 しかし、もっぱらそう主張しているのは〈博学〉のグループだけのようですが。

 本作に於ける敵役は〈博学〉であり、その筆頭がケイト・ウィンスレット。冒頭から〈無欲〉による政権運営に疑義を唱え、〈博学〉によるクーデターを画策しているようです。
 〈異端者〉はその〈博学〉の計画の支障になるらしいので、排除の対象とされているらしい。各々の共同体は、その特質から行動を予測しやすいが、〈異端者〉は規格外であるので、予測不能なところが忌み嫌われている……と云うのが実に判り易い説明です。
 しかし余りにも単純な図式にされてしまった背景が、ツッコミ処満載でして、如何なものかと思われます。

 そんな五つの共同体だけで人類の存続が図れるのか、人間の多様性を否定しまくって大丈夫なのか。設定があまりにも恣意的に感じられてしまいます。寓話だからと無理に納得してもキツいデス。
 第一、そんな社会システムが一〇〇年も続くものなのか。すぐに破綻してしまうのでは。
 逆に、一〇〇年間安定した盤石のシステムであるなら、ケイト・ウィンスレット如きが画策するお手軽な方法で(すごく判り易い)、簡単にひっくり返すことが出来るとも思えないのですが。
 ナニもかも御都合主義的なところを、ナマ温かい目で見守ることが出来ないと本作の鑑賞は難しいように思われます。「ラノベだからラノベだからラノベだから」と唱えてから鑑賞することをお奨めします(こんなこと書くから「ラノベ差別主義者」と云われるのだ)。

 とりあえず主人公は自分の共同体を選択する際に、前々から憧れていた〈勇敢〉を選択する。兄は〈博学〉を選択し、二人の子供は親元を離れて行ってしまう。
 劇中では「九割以上が生まれ育った共同体を選ぶ」と云われておりましたので、この兄妹の選択が特異なものなのかと思われましたが、ストーリーが進行していくと、やたらと例外が現れてくるので笑ってしまいました。
 同じ〈勇敢〉を選択した同期の中にも、他の共同体からの移籍組がいるし、最初はクールな奴として登場したテオ・ジェームズと恋仲になったら、実はテオも過去を隠した移籍組だったり、終盤のクライマックスでは自分の母親(アシュレイ・ジャレッド)さえもが実は……って、何故そんなに例外が多いのか。
 逆に〈無欲〉に生まれ育ち、行政の長を勤め上げた主人公の父親(トニー・ゴールドウィン)の「筋金入りの無欲」っぷり──仲間のためには自らの安全をまったく考慮しない潔さ──が、物凄く印象的でした。おかしいな。フツーはそういうのが標準だと語られていたはずなのに。

 穴のあるところにツッコミ入れていけばキリがないし、まだ第一作目ですから、色々と仕掛けがあるのかも知れません。原作小説は未読なもので。
 文明崩壊後一〇〇年経つのにシカゴの高層ビル街が荒れ果てながらも、ほぼそのまま建っていたり(無人のようですけど)、高架鉄道が動き続けていたりします(車両は未来ぽいデザインでしたが)。これは監督が背景の「シカゴらしさ」を強調したくて残したもののようです。
 ところどころ印象的なビジュアルがあったりしますが、基本的には若者達の色恋沙汰がメインですので、あまり本筋には絡んできそうにありません(それが伏線だったら凄いデスが)。

 一番、気になるのはシカゴの街を取り囲む厳重なフェンスの存在です。一体、何故シカゴは孤立しているのか(実は隔離されているのか)。街の外には何があるのか、本作だけではまったく語られません。
 ケイト・ウィンスレットの野望を挫き、間一髪でクーデター計画を阻止した主人公達ですが、〈異端者〉であることが露見し、シカゴにいられなくなる。
 ラストで愛する者と共にシカゴを去るシェイリーン達はいずこへ向かうのか。本作だけでは「壮大なストーリーは始まったばかり」的なプロローグなので、続きを待ちたいと思います(でも過度な期待は禁物かな)。




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