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2014年6月19日木曜日

ホドロフスキーのDUNE

(Jodorowsky's DUNE)

 SF者として、フランク・ハーバートの『デューン/砂の惑星』を読んでいない奴はモグリである、と云いたいところですが、最近の若い読者は多分、読んでいる人の方が少ないような気がします(翻訳された小説は今や入手困難ですしね)。
 小説は長大なシリーズとなり、作者ハーバートは六冊まで書いたところでお亡くなりになって未完のままになっておりました(1986年逝去)。その後、息子のブライアン・ハーバートがSF作家ケヴィン・J・アンダーソンと共著で、シリーズの補完を目指して書き続けておるのですが、日本語訳が途中で止まってしまい、どうなったのか判りません。結構、未訳分が溜まっている筈ですが……。

 それはさておき、シリーズの記念すべき第一作目は映画化の要望も高く、かつてはアレハンドロ・ホドロフスキー監督の下で映画化に着手されたと云われながら(1975年)、製作中止に。残念無念。
 その後、プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスの手で、デヴィッド・リンチを監督に起用して映画化されはしましたが……。まぁ、あの『砂の惑星』(1984年)につきましては、ビミョーな評価ですよね。原作小説の映画化としては、お世辞にも成功しているとは云い難い代物ですが、デヴィッド・リンチ監督作品としてはそれなりに気に入っている方も多いようです。
 私もカイル・マクラクランとか、ショーン・ヤングとかが出演しているし、嫌いじゃないデス。

 その後もTVのミニ・シリーズとして、映像化されたりもしておりますが、やっぱりイマイチだったような。その頃になるとCG特撮も進歩して、砂虫もそれなりに迫力あったのですが。
 一時期、ピーター・バーグ監督がリメイクする企画もあったのに、これまた流れてしまいました。代わりにピーター・バーグ監督は『バトルシップ』(2012年)なんてのを撮っちゃいましたね。
 もはや『デューン/砂の惑星』を完全な形で映画化するのは無理なのでしょうか。ピーター・ジャクソン監督が『指輪物語』を完璧に映画化したりもしているので、不可能ではない筈なのですが。

 さて、そうなってくると、最初のホドロフスキー監督版『デューン』とは如何なる代物だったのか。伝え聞くところでは、相当に凄かったそうです。その後のSF映画でメジャーになった人達が最初に結集して作ろうとしていた映画ですから、それも当然か。
 キャラクター・デザインがメビウス。メカ・デザインがクリス・フォス。特撮がダン・オバノン。かのH・R・ギーガーもアーティストとして参加し、音楽はピンク・フロイド。
 配役もデビッド・キャラダインを筆頭に、引退したオーソン・ウェルズを引っ張り出してきたり、自分の息子ブロンティス・ホドロフスキーを起用したり、果ては芸術家サルバドール・ダリや、ロック歌手ミック・ジャガーまでも配役したりと、物凄い面子です。
 本当に実現できていたら凄かったでしょう。

 それを考えると、リンチ版『砂の惑星』では、ピンク・フロイドの代わりにTOTOが音楽を担当したり、ミック・ジャガーの代わりにスティングが起用されていたりしていて、ホドロフスキー版であげられた企画の残滓のようなものが感じられますね。
 SF映画の音楽にロックバンドを起用するというのも、『フラッシュ・ゴードン』(1980年)より早いし、色々なアイデアが『デューン』をもって嚆矢とするわけですね。
 その後、ミック・ジャガーも『フリージャック』(1992年)でSF映画に出演しておりましたが(まぁ……あれもB級ですわな)。

 本作は、そのホドロフスキー監督自身が語る、「あの当時、何があったのか。どのようなことが行われていたのか」と云う証言ドキュメンタリー映画です。SF者ならば必見でありましょう。
 本作の監督は、これがデビュー作となるフランク・パヴィッチ。新人監督にしては、非常に判り易い構成で面白いドキュメンタリーでした。
 特にクリス・フォスやギーガー自身がインタビューに応じてくれていた映像が興味深いです。特にH・R・ギーガーはつい先日お亡くなりになりましたし(2014年5月12日逝去)、本作は貴重な記録と申せましょう。

 欲を云えば、メビウスがお亡くなりになる前にインタビューできていたら良かったのですが、それには間に合いませんでしたね(2012年3月10日逝去)。残念。
 しかしその他の関係者も──オーソン・ウェルズも、デビッド・キャラダインも、ダン・オバノンも──皆さん鬼籍に入られているので、これ以上、関係者が亡くなる前に完成して本当に良かったです。
 しかし亡くなったとは云え、ダン・オバノン自身の肉声を録音したテープが残っていて、ホドロフスキー監督について語っていた部分があり、これまた興味深かったです。

 本作は、アレクサンドロ・ホドロフスキー監督御自身が、非常にエネルギッシュで気さくに当時を回想しながら語ってくれており、その合間に他の関係者の証言が補完的に挿入される形式になっています。
 まず、ホドロフスキー監督が元気です。八〇歳を越えた御老体には見えません。とても『エル・トポ』(1969年)や『ホーリー・マウンテン』(1973年)のようなカルト映画の監督には見えませんでした(御自身でも出演しておられますが)。
 八〇を越えて尚、こんなであれば七〇年代当時の脂の乗り切った壮年時代は如何ばかりであったか。ダン・オバノンの肉声テープによると、初対面の際にオバノンは監督の放つオーラが肉眼で確認出来て、圧倒されたのだそうです。ホンマかいな。

 『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』を撮りあげて、カルトな人気を博した当時のホドロフスキー監督が手を付けたものが、フランク・ハーバートの『デューン/砂の惑星』。
 「好きなものを好きなように撮りたい」と云う想いは更に壮大になり、壮大な構想に相応しい器を探していて、当時SF界の聖書扱いされていた小説に手を出したわけですね。尤も、御本人は友人が誉めていたので手を出したと正直に仰っていたのが笑えました。
 ちなみにSF界の聖書扱いされていた作品と云うと『デューン』の他にも、ロバート・ハインラインの『異星の客』とか、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』とかありますが、いずれも映像化されておりませんです。いや、何を聖書とするかは、SF者によってそれぞれ持論がおありでしょうが。

 本作を観て感じるのは、つくづくホドロフスキー監督とはアーティストであるのだな、と云うことですね。「映画とはビジネスである前に芸術だ」と断じておられたのが印象深かったです。プロデューサーにとっては扱いづらい人でしょう。
 そういう人が「LSDのようなドラッグに頼ることなく、トリップできる映画」、「人生の見方を根底から変えてしまう映画」の制作に乗り出す。
 一緒に仕事をする仲間を「戦士」と呼び、「我が魂の戦士」を一人ずつ集めていく。

 なんか『七人の侍』とか『荒野の七人』を地で行く展開でした。監督自身が、自分の眼鏡に適う人材を一人ずつスカウトしていくわけで、まずはフランスの漫画家メビウスに始まり、ダン・オバノンを、クリス・フォスを見出しては仲間にしていく。
 例え、当代随一の特撮マンだと評判だったダグラス・トランブルでも、ソリが合わないと見るや一顧だにしない。実に強気であり、自分のビジョンに絶大な自信を持っているからこそ出来ることでしょう。
 既に引退していたオーソン・ウェルズを口説いたときには、ギャラよりも食い物で釣っていたと明かされておりました。まぁ、晩年のオーソン・ウェルズは『フォルスタッフ』(1966年)でも判りますが、まさにハルコンネン男爵を地で行く肉の塊でしたからね。

 実際、ホドロフスキー監督の眼力は大したものですが、常に「一本釣り」なので、スタッフに替えが効かないのが難点ですね。勿論、芸術家ですから、替えが効く人材なんぞ端から求めておりませんのですが。
 制作拠点はパリに置かれていたようで、ダン・オバノンも家財を処分して渡仏します。ホドロフスキー監督の「魂の戦士」になると云うことは、ほぼ一蓮托生というか、運命共同体になると云うことですね。
 このメンバー集めの過程が面白くて、将来誰かが『ヒッチコック』(2012年)とか、『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)のように、ホドロフスキー監督の映画制作過程を物語にしてくれないものかと思ってしまいました。

 当時、ホドロフスキー監督は、召集した「魂の戦士」達を日々、鼓舞する毎日だったと語られております。なんか中小企業の社長が朝礼で社員に檄を飛ばしているようです。
 きっと『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)のレオナルド・ディカプリオのように、ハイテンションに士気を高めていたのでしょう。脳内麻薬物質を分泌しまくりだったに違いない。
 スタッフの中には原作を知らない人も多かったようですが問題なし。何故なら監督自身が日々、己のビジョンを熱く語ってくれるので、例え原作にはそんな場面なんか無くても、それに従っていれば自ずと形が出来てくるようになっている。
 これはある意味、正しい映画監督の姿であるように思われました。

 どのようなショットで映画が始まるのか、どのような演出で表現するのか、八〇を越えて尚パワフルに語るホドロフスキー監督の姿が素敵です。そしてそれをまた、メビウスが実に細かく絵コンテにして残してくれております。
 本作の見どころのひとつは、残されたメビウスやクリス・フォスのスケッチを使って、アニメ風に幾つかの場面を再現してくれるところです。ラフスケッチですが、非常に判り易いです。さすがメビウス。
 未完に終わった大作映画の一端を伺い知ることが出来ます。

 本作には、その絵コンテの全部と、デザイン画や設定書を集めて一冊にした本が登場します。かなり分厚い図鑑のような書籍です。世界に二冊しかない貴重な本で、『ホドロフスキーのDUNE』の全てが納められている。
 「ここに全てがある。ここに書かれたとおりにするだけで『デューン』は出来上がる。多分、アニメにするのが良いのだろうね。それは私の死後でも構わない」とホドロフスキー監督は語っておられました。
 今なら、総上映時間一二時間の超大作でも三部作にして公開する手が使えますから問題ないですね。

 その絵コンテを読むだけでなく、ホドロフスキー監督自身が最初から最後まで目の前で実況してくれたと云う幸運な人がいます。ニコラス・ウィンディング・レフン監督の証言は羨ましいの一言です。
 かくなる上は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督に『デューン/砂の惑星』を映像化してもらう他はないかな、と思うのですが……。レフン監督も独特の映像表現する人だから、またビミョーにカルトなものになりそうな気もします。
 現代ならば、3DCGでアニメ化する手もあるとは思うのですが、どうなんでしょうねえ。
 既に様々なアイデアが他の映画に流用されておりますので、忠実な映画化は却ってドコカデ観タような映画にしかならないような気もします。それでも一度は観てみたい……。

 結局、予算一五〇〇万ドルで始まった企画は、監督の芸術家気質が仇になり、追加でもう五〇〇万ドル必要になる。そして予算超過により、企画は頓挫という哀しい結末です。
 しかし七〇年代の二〇〇〇万ドルとは、いかほどの価値があったのでしょうか。
 その後の『フラッシュ・ゴードン』は制作費三五〇〇万ドルでしたし、リンチ版『砂の惑星』も四〇〇〇万ドルだったことを考えると、決して高い額ではなかったように思えます。逆に、ちょっと低予算なチープなSF映画になったのでしょうか。でもホドロフスキー監督の演出力であれば、それはそれで味わい深いものになったのかも知れません。
 あるいはSF者には生涯忘れ得ぬトラウマ映画になった可能性もありますが。

 製作中止になって失意の監督が、リンチ版『砂の惑星』を観に行ったときの感想が笑えました。その気は無いのに、息子から「観なければダメだ」とケジメを付けるつもりで劇場に。
 上映前は「監督はデヴィッド・リンチだぞ。俺より巧く撮ってるに決まってる」と腐っていたのに、「観ている内に元気になってきたよ。やった、これは失敗作だぞってね」と笑っておられました。正直な人だなあ。
 それでも、失敗した原因は監督ではなくプロデューサーだと指摘していたのも印象的でした。リンチ監督もきっと救われる思いでしょう。

 ホドロフスキー監督の『デューン』は原作にはないラストを迎えます。監督のビジョンに従い改変されたラストは、それはそれで興味深いエンディングでした。
 改変したことについては悪びれることなく、「私は原作をレイプしたんだ。しかし愛をもってね」と笑っておられましたが、フランク・ハーバート自身はどう考えておられたのでしょうか。
 本作に唯一、画竜点睛を欠く部分があるとすれば、原作者自身の視点が語られていなかったことですね。ハーバートは随分前に亡くなられていますが、息子はいまだに続編を書き続けているわけだし、ブライアン・ハーバートへのインタビューとかも聞いてみたかったですねえ。




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