2014年4月30日水曜日

ワールズ・エンド/酔っぱらいが世界を救う!

(The World's End)

 エドガー・ライト監督作品で、サイモン・ペグとニック・フロストの主演とくれば、『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)と『ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!』(2007年)がありますね。どちらもお薦めの安定したマニア向けコメディ映画でありますが、本作もまた然り。
 予備知識はあまり仕入れず観に行きましたが、期待に違わぬ楽しいバカ映画でありました。なにより英国製SFコメディ映画あるのが嬉しい。米国製よりちょっとヒネった作風なのも期待通りデス。

 最近のサイモン・ペグは、トム・クルーズ主演の『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)や、J・J・エイブラムス監督の『スター・トレック』シリーズといった大作に出演されていますが、やはりニック・フロストと一緒に『宇宙人ポール』(2011年)なんかに出ている方が似合っておりますね。
 今回はいつものコンビに加えて、パディ・コンシダイン、マーティン・フリーマン、エディ・マーサンといった面々が、学生時代からの腐れ縁の五人組として共演しております。

 パディ・コンシダインは『思秋期』(2011年)で監督もされていますが、個人的には『ブリッツ』(同年)でジェイソン・ステイサムの相棒だったゲイの刑事の方を覚えております。
 マーティン・フリーマンはもう近年では『ホビット』三部作のビルボ・バギンズ役が代表作か。
 五人組の中では、エディ・サーマンだけがチト印象薄いですが、『スノーホワイト』(2012年)とか『ジャックと天空の巨人』(2013年)にも出ておりますから、ちゃんと見ている筈なのに(汗)。
 野郎ばかりの中に、ロザムンド・パイクも混じってきますが、基本的にこれは五人のバカ共の物語です。ゲスト的に、ピアース・ブロスナンやビル・ナイも出演しております。

 イギリスのとある田舎町ニュートン・ヘイヴン。小さな街の中に十二軒のパブがある。
 この十二軒のパブを友人達と共に一晩の内にハシゴして制覇する偉業を打ち立てようとして、果たせなかった男がサイモン・ペグ。
 このパブ巡りにはルールがあって、一軒につき必ず一パイントのビールを飲まねばならない。イギリスの「パイント」はヤード・ポンド法における容積の単位で、約五六八ミリリットル。
 夕方から飲み始めても制覇する頃には夜が明けている(一軒平均三〇分としても六時間)。その上、終わる頃には十二パイントのアルコールを摂取していることになり、そりゃ身体が保ちません(七リットル近いビールかぁ)。
 街の通りを一筆書きのようになぞりながらパブを廻っていくことを、「ゴールデン・マイル」と称し、これに挑戦したものの、十二軒目に辿り着く前に酔いつぶれて、目論見は潰えた。

 学生時代にやらかしたバカが人生最高の夜だった、と云うのは判りますが、どうもサイモン・ペグの場合は本当にそれが人生の頂点だったようで、その後は下り坂を転げ落ちる負け犬人生。気がつけばアルコール中毒患者のグループセラピーで、当時の思い出話を語っている冴えないオヤジと化している。
 冒頭からサイモン・ペグのハイテンションなモノローグで開幕する演出がいい感じです。素晴らしい名調子。

 そこで一念発起したサイモン・ペグは、己の人生にケジメをつけるために、もう一度「ゴールデン・マイル」に挑もうと決意する(アル中の治療の方はいいのか?)。しかし他の仲間達は既に社会人としてそれなりの地位を築き、家庭も持っていたりするので、まったく乗り気ではない。
 ニック・フロストは、サイモンとは対照的にお堅いビジネスマンで、禁酒断行中と云う設定。
 ノリノリなのは発起人だけ。そこを「友情の再確認」だとか、「やりかけたことを終わらせよう」とか、調子の良い言葉で仲間達を集めていくサイモン。あの手この手で説得し、泣き落とし、どう聞いても嘘八百並べ立てているだろう的な言動です。調子の良さだけは天下一品やね。
 かくして旧友達は久しぶりに再会し、故郷ニュートン・ヘイヴンへの珍道中と相成るわけですが、数十年ぶりに帰ってきた故郷の街ではとんでもない事態が進行していた……。

 基本はSFですが、劇中で描かれる英国パブの描写がなかなか面白いデス。
 英国のパブには、手描きの看板が掲げられているのが伝統的だそうで、本作でも様々なパブの看板を目にすることが出来ます。そしてどのパブにも、個性的な名前が付けられている。
 英国のパブには変わった名前が多いと云うのは、マーサ・グライムズのミステリ小説の題名からも伺えますね。「警部リチャード・ジュリー」シリーズでしたっけ。
 文藝春秋から翻訳が出ていた筈ですが、最近は新作をとんとお見かけしませんですねえ。
 『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』とか、『「化かされた古狐」亭の憂鬱』なんて題名があったと記憶しております。
 まぁ、SF者にとって一番馴染み深いパブは「白鹿亭」ですがね(アーサー・C・クラークの『白鹿亭綺譚』な)。

 本作に登場するパブは、一軒目の「ファースト・ポスト(出発点)」に始まり、「オールド・ファミリア(昔なじみ)」とか、「グッド・コンパニオン(忠実な召使い)」といった名前です。如何なる由来によるものなのか、ちょっと知りたいところですが、それは本筋ではありません。
 しかしパブの名前には「~亭」を付けてくれないと落ち着きませんデス。ちゃんと字幕には「出発点」亭とか「昔なじみ」亭とか表記して戴きたかった。
 そしてゴールデン・マイルのラスト、十二軒目のパブの名前が「ワールズ・エンド」亭。本作のタイトルでもあり、ストーリーの内容にも掛かっています。

 そして五人のオヤジ達はまだ明るいうちから飲み始めるわけですが(ニックだけは水を飲んでいる)、時代の流れか、どのパブもあまり変わらない内装になっているのが世知辛い。近代化の弊害ですね(実は伏線)。
 学生時代の乱行がまだ忘れられておらず、「一生入店禁止」を喰らっているパブもありますが──マスターの方もよく覚えていますねえ──、何とかして一パイント分は飲もうとするサイモンです。涙ぐましいというか、意地汚い。
 昔の恋人と再会したり、かつて自分をイジメた奴とも再会したりしながら、ゴールデン・マイルは進行していきます。しかし昔のイジメっ子が、自分のことなど完全に忘れており、自分だけがずっとそれを引きずっていたと云う下りは哀しい。
 変わったのは街では無く俺たちの方だ、と感慨に耽っているうちは良かったが……。

 アルコールが入ってくると、だんだんとお行儀良くしていられないのは当たり前。おまけに再会した元カノと縒りが戻るかと期待したらぬか喜びだったりして、実に気まずい。
 トイレで赤の他人に絡んでしまうのも、酔っぱらいならではの行状でしょう。ところが絡んだ相手に無視されて逆上し、狭いトイレの中でつかみ合いの大乱闘。
 挙げ句、サイモンは相手の首を引っこ抜いてしまう。うわぁ。
 吹き出す青い血液。相手は人間では無かったのだあッ。

 唐突にSF描写が到来したので、やっと「これはSFだったのだ」と思い出しました。中盤まではオヤジ達の青春追想ストーリーで、それはそれでイイ感じだったので、別にSFにしなくても良かったようにも思われました。まぁ、エドガー・ライト監督作品でそれはあるまいが。
 バラバラにした相手の身体が、あからさまに作り物で、接合部がマネキン人形さながらのチープな描写なのが、低予算SFらしくて好ましいです。ハリウッド製SF映画だと、きっとリアルにグチャグチャしてくれるのでしょうが、本作ではそのような描写はありません。

 久しぶりに帰省した故郷の街は、得体の知れない「人間そっくりなナニカ」に乗っ取られつつあったのだ。酔っぱらいがイキナリ遭遇するジャック・フィニイの『盗まれた街』ネタの事件。
 五人は街から逃げだそうとするが、改めて店内を見回すと、どいつもこいつも怪しすぎる。ひょっとして、パブの中にいる客は全員、ニセモノなのか。
 逃げだそうにも酒が入った状態なので、「飲酒運転になるから逃げられない」と云う理屈に笑ってしまいました。本気なのか冗談なのか判らないデス。
 それまで一人だけシラフだったニック・フロストが、遂に禁酒を破って飲んでしまい(飲まずにおられないのも判りますが)、とうとう全員が酔っぱらいに。

 とりあえず今すぐに襲われる気配も無いし、慌てて騒げば却ってマズい。ここは怪しまれないように当初の計画通り、飲みきろうと云う判断は正しいのか。もはや全員、アルコールが入っているので正常な判断が出来ないようデス。
 このあたりでまだ四軒目。そこからはおっかなびっくり、楽しむフリをしながらハシゴを続けていく五人ですが、次第に追い詰められていく。
 気がつくと、仲間達の中にもニセモノに取って代わられている奴がいる。

 一人減り、二人減り、とうとうサイモンとニックの二人だけになりますが、それでもサイモンはハシゴを止めようとしない。遂にニックの怒りが爆発しますが、サイモンには止めるに止められない理由があったのだ。
 地球が侵略されるよりも、自分の負け犬人生の方が我慢ならないと云うのは切ないですが、他人の人生も傍から見るほど羨むものでも無いらしい。皆、隣の芝生の方が青く見えるもののようです。
 お堅いビジネスマン人生も、それほど良いものでは無いと云うニックの告白もまた切ない。
 そして紆余曲折の末、遂に辿り着いた十二軒目の「ワールズ・エンド」亭が、侵略エイリアンの拠点であったと云うのは、もはやお約束ですね。

 ニセモノ達のリーダーとして現れるのが、ピアース・ブロスナン。サイモン達の学生時代の恩師であり、既にニセモノに取って代わられ、怪しげな「宇宙共同体」の代弁者になっている。
 侵略者が敵対的ではなく、親切な連中だったと云うのは、SF小説の中にも時々見かけるパターンですね。古いSF者としては、キース・ローマーのユーモアSF小説なんかを思い出したりするのですが、もはや入手困難だし、若い人に云っても通じませんね(汗)。
 しかし「殺しに来たのではない。君たちを改善してあげるために来たのだ」なんて云われても、大きなお世話です。しかもかなり独善的で、親切そうに見えてやっぱり信用できん。

 そしてピアース・ブロスナンの背後にいるエイリアンの親玉がビル・ナイ。
 宇宙人達による「ネットワークの声」として、姿を現さず声だけの出演です。
 どうやらネットワークは行く先々の星で文明を標準化してから宇宙共同体に吸収しているようですが、サイモンに云わせると、それは「地球のスタバ化」であり、断じて容認できない。
 「人類はバカだが、それが誇りだ」とエイリアンに楯突く二人です。

 結局、酔っぱらいのこね回す屁理屈にウンザリしたビル・ナイが、「もう勝手にしろ」と地球を去って行くわけで、そんなことで地球が救われてしまうのかとビックリです。さすがイギリスSFはひと味違いますな。
 しかもその後に、もうひとつオチがありまして、本当にソレで地球は救われたんですかと疑問に思わざるを得ませんです。いや、酔っぱらいのお陰で大変なことになってしまうのですが、サイモンはそれで幸せのようです。
 実に生き生きとして楽しそうなサイモンの啖呵で、すべて許して……しまっていいのかしら(男子の夢ではありますね)。




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