2014年2月1日土曜日

ゲノムハザード/ある天才科学者の5日間

(Genome Hazard 無名人)

 ある日、帰宅すると愛する妻が殺害されていた。しかし直後に妻本人から電話がかかってくる。殺された女は本当に妻なのか、電話の相手は本当に妻なのか。訳が判らず、その上、奇妙な記憶障害に見舞われる主人公。一体、自分の身に何が起こっているのか。何故、警察を騙る男達に追われているのか。
 偶然、知り合った女性記者を伴って、男の五日間にわたる壮絶な逃避行の幕が開く──と云う、司城志朗の同名小説を、日韓合作で映画化したSF風サスペンス・ミステリ映画です。

 司城志朗はこの原作小説で、一九九八年の第15回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞しております(大賞受賞は結城五郎『心室細動』でしたが)。
 矢作俊彦との共著である『暗闇にノーサイド』でデビューして以来、順調に作家として活躍している司城志朗ですが、実はさっぱり読んでおりません。割と冒険小説とか、ベストセラー小説風の作品が多いですし、SFじゃないからなあ……と思っていたら、本作には結構SF的なネタが描かれておりました。
 タイトルに「ゲノム」とか「ハザード」とか付いておりますからね。遺伝子操作絡みの生物災害ネタであろうとは、容易く想像のつくところです。しかしSF作家でない小説家がSFを書いても、如何なものかと思うところではあります。結局、設定上の無理を通すための方便に過ぎない場合が多いですから。

 本作もまた然りでして、主人公の奇妙な記憶障害の原因、得体の知れない男達に追跡される原因などに「SF的な事情」が関係してくるだけでして、「それを使って何かをする」ことにまでは至りません。
 SF的なネタを使って、追われるシチュエーションとミステリアスな雰囲気に信憑性を与えられさえすれば、あとはもう主人公が追いつ追われつ、命がけの逃避行を続ける場面は現実的で、リアルなアクションとサスペンスの連続ということになります。
 それはそれで面白かったので、特に問題あるわけではないです。ただ邦題の「ゲノムハザード」はちょっとネタバレ的なところがありますし、副題の「ある天才科学者の5日間」に至っては、付けない方がいいのにと云わざるを得ないほどネタバレしております。火サス土ワイ的な副題は止めて戴きたかった。
 そこへ行くと韓国題名の『無名人』は実にすっきりとシンプルで、よく出来たタイトルです。これをそのまま邦題でも採用して戴きたかった。

 監督と脚本はキム・ソンス。『美しき野獣』(2005年)の監督さんですが、観ておりません。『MUSA ─武士─』(2001年)も観てないしなあ……と思ったら、『MUSA ─武士─』のキム・ソンス監督は同姓同名の別人だとか。おまけにネットで検索すると妙にイケメンの若い男性の画像までヒットします。これはモデル出身の俳優キム・ソンス。「エラい男前の監督やね」と勘違いしそうになったのは秘密です。同姓同名が多すぎるぁッ。
 サスペンス演出やアクション描写はなかなか手慣れたもので、これに川井憲次の劇伴が流れますので、本作はサスペンス・アクション映画としては手堅くまとまっております。SF的設定の是非はさておき。

 主演は西島秀俊。出演したTVドラマの方はほとんど観ておらず、映画の方も近年の出演作──『セイジ ─陸の魚─』(2012年)とか、『ストロベリーナイト』(2013年)とか──もスルーしておりまして、『ゼロの焦点』(2009年)まで遡れば何とか思い出せます。
 あるいは、声だけなら宮崎駿監督の『風立ちぬ』(2013年)で、堀越二郎の同僚技師の本庄役だったので憶えがあるか(あまり印象には残っていませんが)。
 一番、思い出せるのは、NHKが制作した『怪奇大作戦 セカンドファイル』(2007年)。これはTVドラマでしたが、SF者としては捨て置けないので観ております。西島秀俊は牧史郎役でした。あの頃は、岸田森をソフトにしすぎているような印象でしたが、本作ではもうちょっと渋くなってます。

 サスペンス映画としては定番の、訳も判らず追われる巻き込まれ型の主人公ですが、屋根に登ったり、パルクールもどきの逃走を演じたり、カーチェイスも自分でこなしたりして、頑張ってます。
 西島秀俊は次第に記憶があいまいになって、アイデンティティの危機に直面する男を巧く演じておりました。だんだんと煮詰まっていく過程で、日本語の台詞の中に、部分的に韓国語を混じらせながら口走る場面はお見事でした。
 突然、日本人である筈の自分が韓国語で喋り始め、ハングルも難なく読めてしまうシチュエーションがなかなか面白かったです。

 共演の女性記者役はキム・ヒョジン。韓流ドラマもさっぱり観てないのですが、イ・ビョンホン主演の『誰にでも秘密がある』(2004年)にも出演しているそうな(三女の役)。
 韓国人記者として日本に滞在中に、ひょんなことから追われる西島秀俊と行動を共にしてしまうという役。日本語のセリフもなかなかお上手でした。むしろ、ちょっとカタコトぽい喋り方が、却ってリアルな韓国人記者らしかったです。
 韓国語での台詞もあって、韓国人同士が会話する場面では、日本語字幕が表示されます。

 他の共演は日本側からは真木よう子、中村ゆり、浜田学、韓国側からはパク・トンハ、イ・ギョンヨンといった方々がおられますが、正直、真木よう子くらいしか馴染みがないデス(汗)。
 でも一番、印象的なのは伊武雅刀なんですけどね。ああ、またこんなところに出てるよ、この人は。

 どうにも伊武雅刀の姿をあちこちの作品で見かけすぎます。私が観た近年の邦画には例外なく出演しているのではないか。それはオーバーか。でも、邦画と云えば伊武雅刀。
 ちょっと思い返すだけでも、伊武雅刀は『藁の楯』(2013年)にも、『終戦のエンペラー』(同年)にも、『利休にたずねよ』(同年)にも出演していましたよ(『終戦のエンペラー』は邦画ではないけど)。他にも、私はスルーしましたが『奇跡のリンゴ』(同年)や、『二流小説家 シリアリスト』(同年)にも出演されていたそうで、仕事しすぎデス。
 つい最近も『黒執事』(2014年)で伊武雅刀の怪演を観たばかりだと云うのに。
 しかも本作の役が、医学博士の役でして、怪しげな薬品を開発してしまうところなんかは、『黒執事』とかなりイメージがカブっているようにも思われました。

 目の前で妻が死んでいるのに、妻本人から電話がかかってくると云う奇怪なシチュエーションに始まり、自分のことを別人と間違えている男達に追われる主人公の、アイデンティティが次第に揺らいでくる展開はなかなか興味深かったです。
 しかも記憶もどんどんあいまいになり、勤め先や、過去の経歴までもが思い出せなくなる。何もかもが不確かになって、自分が誰なのかさえ判らなくなっていく恐怖。本当の自分は、今まで思っていたような自分ではないのかも知れない。
 サスペンス映画でもよく見かけるパターンです。サスペンス映画と記憶喪失は非常に相性がよろしいですね。

 類似の例では、マット・デイモン主演の〈ジェイソン・ボーン〉シリーズや、リーアム・ニーソン主演の『アンノウン』(2011年)なんてのが思い浮かびますが、本作における記憶のあいまいさには仕掛けがあります。
 それが一般的な「事故による記憶喪失」ではなく、SF的な設定──記憶を転写するウィルス薬──によっているのが、目新しいと云えば云えますが、SFとしては如何なものか。
 ある天才科学者が──もう副題でバレてますけど──開発した、アルツハイマー治療のウィルス薬。特殊なウィルスが被験者の記憶を転写し、別の脳にもその記憶を上書きしてしまう。

 アルツハイマー患者に対しては、事前に取り出した自分の記憶を、発症した後の自分に注入するので治療になり得るが、他人に対して使用した場合にはどうなるのか。
 他人の記憶を消去し、別人の記憶を脳に上書きしてしまう。これを悪用すれば、人間が不老不死になるのも不可能ではない。
 実にSF的な設定ですが、台詞で語られるだけで、これを使ってどうにかする展開にはなりません。あくまでも本作の見どころは、西島秀俊が現実的な方法で危機を脱するところにあります。手近な薬品をホイホイ調合して物騒な代物を作り出すあたりが興味深いです。

 だから国際的な製薬企業の陰謀とか、不老不死に言及されるものの、ドラマ上は単なるフレーバーです。西島秀俊のアイデンティティの危機が、人為的に引き起こされているのだという点にリアリティを与えるだけの道具に過ぎません。
 天才科学者、西島秀俊は薬品開発の過程でトラブルに遭遇し、伊武雅刀の陰謀により別人の記憶を与えられて、そう信じ込んでいただけだったのだ。本当の自分は、日本人ではなく韓国人だったのだ(これはちょっとショッキングかも)。

 目の前で死んでいる妻から電話がかかってくると云うのも、片方は偽りの記憶による妻だったと云う仕掛けで、脳内では妻Aと妻Bの識別が出来ない状態だったと云うのは、ミステリの謎解きとしてはどうなんでしょう。ちょっと苦しいように思われます。
 そして副題に「5日間」とある通り、冒頭から画面の隅には思わせぶりなカウンタが時折、表示されるようになっています。
 数十時間あるところからゼロに向かっていくカウントダウンにはどんな意味があるのか。

 記憶障害が生じ始めたことで、記憶転写ウィルス薬は完全ではないと判明し、その効果が切れるまでの時間が、あと五日。効果が切れたときに自分はどうなってしまうのか。
 SF者としては、すぐにダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を連想しました。
 失われていく記憶。すべてが忘却の淵に沈めば、復讐に何の意味があるのか。ジョニー・トー監督の『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009年)的な台詞も見受けられます。
 結局、不完全な薬品により製薬企業の思惑は外れ、不老不死も夢のまた夢。本当の妻を殺した犯人が誰なのかが判っても、それすら忘れてしまう自分。幸せだった頃の記念写真を手にしたまま、彷徨う西島秀俊の姿が哀れです。

 これがSFだったらなぁ。自分を酷い目に遭わせた伊武雅刀にウィルス薬でリベンジし、ラストで廃人と化した西島秀俊を哀しげに見つめるキム・ヒョジンの前に伊武雅刀が現れ、「僕だよ」などと告げる場面も想像できるのですが、それはナンカチガウ映画の見過ぎですか。
 薬の効果が切れる都度、犠牲者を新たに選んで身体から身体へ渡り歩く不死者になることもアリかと思われますが、主人公を悪人にするわけにはいきませんか。

 すべての記憶をリセットされた西島秀俊が改めてキム・ヒョジュンと出会い直すラストシーンに、心温まるものを感じなければならないのは判っておりますが、そのオチよりもっといいオチがあるのではなどとついつい考えてしまいます。
 あの設定を使えば、ああも出来よう、こうも出来よう……などと妄想するSF者の性が恨めしい。




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