2013年12月30日月曜日

利休にたずねよ

(Ask this of Rikyu)

 山本兼一による同名小説の映画化作品です。原作は直木賞(第140回・2008年下半期)を受賞しております(天童荒太の『悼む人』と同時受賞)。
 一種の歴史ミステリ的な展開で、「茶聖」とまで呼ばれた千利休が、黙して語らなかったことについて独自の解釈で解き明かしていこうという趣向。
 歴史上の人物の知られざる実像を描くと云うと、近年でもローランド・エメリッヒ監督の『もうひとりのシェイクスピア』(2011年)などが思い浮かびます。また、世界的な偉人と知られる人物には過去に秘めたロマンスがあったのでは──なんてストーリーの映画も多いですよね。
 本作もその流れに沿った展開で、実は利休には……と云う、歴史秘話的なドラマです。

 本作の監督は田中光敏。『化粧師』(2002年)とか『精霊流し』(2003年)の監督さんですが、私が観たことがあるのは『火天の城』(2009年)だけです。『火天の城』も山本兼一の原作でしたね。
 ただ、『火天の城』は……個人的にあの年のワーストに挙げてしまった残念な作品です(安土城はちゃんと燃やして欲しかった!)。
 『火天の城』と同じ監督だと事前に知っていたらスルーしていたでしょう。でも、どうやら『火天の城』は例外だったようです。本作は歴史ミステリとしてなかなか面白く鑑賞できました。

 実は監督よりも主演俳優の名前の方に興味を引かれて観に行った次第でして、本作で主役の千利休を演じているのは、市川海老蔵です。
 でも『出口のない海』(2006年)も、『一命』(2011年)もスルーしており、NHK大河ドラマ『武蔵』もあまり熱心には観ておりませんでした。専ら芸能ニュースで騒がれたことばかり憶えておりまして。

 その海老蔵が千利休。まぁ、確かに伊藤園のお茶のCMには出てたか。でも芸能ニュースで騒がれたイケメン歌舞伎役者が、侘び茶を極めた茶聖の役とは、ちょっとイメージにギャップがあり過ぎる。
 逆に興味が湧いて「つまらなかったら、それはそれでネタになるか」などとヨコシマな動機で劇場に足を運んだのでした。すんません。
 結果、市川海老蔵は大した役者であると感じ入りました。『武蔵』の頃より素晴らしいです。これは『一命』とかもちゃんと観ておかないとイカンでしょうかねえ。

 個人的に今まで観たドラマの中の千利休では、かなり上位に入る印象です。
 今まで千利休は、NHKの大河ドラマによく登場しておりましたですね。専ら脇役としてですが。映画の方なら、千利休が主役として登場する作品を二本、憶えております。同じ年に公開されて話題になっていました。

 松竹が勅使河原宏監督で『利休』(1989年)を、東宝が熊井啓監督で『千利休 本覺坊遺文』(同年)を制作して対決しておりました。
 松竹版の利休は三國連太郎、東宝版の利休は三船敏郎。どちらも名優ですし、大物でした。当時、私は劇場で鑑賞はしませんでしたが、後年にどこかで放送されたのを観た憶えがあります(かなりうろ覚え)。
 個人的には三國連太郎の利休の方が良かったかな。どうにも三船敏郎だと厳ついイメージがあって、茶人と云うよりも武将ぽい。『竹取物語』(1987年)でも「竹取の翁」は如何なものかと思っていたのに、千利休もちょっとなあ(三船敏郎ファンの皆さん、ごめんなさい)。

 あれから随分と経って、今度は東映による千利休の映画です。松竹も東宝も、千利休と豊臣秀吉の対立と、利休切腹にまつわるエピソードに焦点を当てていたように思いますが、本作ではそれよりもずっと過去が語られております(勿論、切腹についても描かれますが)。
 今までのドラマの中では、千利休は登場したときから、既に名のある茶人になっていて、かなり年配のイメージでしたが、本作の千利休には年齢的にかなりの幅があります。
 若かりし日の遊び人時代から切腹するときの老人まで、市川海老蔵が頑張って一人で演じております。印象的なのは、千利休となる前の「与四郎」と呼ばれていた青年時代でしょうか。

 ドラマの流れとしては、利休が豊臣秀吉から切腹を命じられて腹を切る当日(天正一九年)から始まり、過去の因縁が語られていくドラマになっております。
 まずは切腹の二一年前まで遡り、一二年前、一〇年前、九年前と少しずつ時を経ながら、秀吉と利休の関係を描いていきます。前半のこの流れで、利休がどうして秀吉と対立したのか、秀吉が利休の何にこだわっていたのかが語られていきます。

 本作で豊臣秀吉を演じているのは大森南朋です。
 市川海老蔵が利休を全編通して演じているのと同じく、大森南朋も日吉丸、木下藤吉郎、豊臣秀吉と出世していくまでをずっと演じております。
 最初は織田信長(伊勢谷友介)に仕える前の田舎者の姿で登場し、場面が変わって登場する度に出世していき、遂には成金趣味丸出しのド派手な太閤様になります。
 利休の質素な茶に対して、黄金の茶室を作って悦に入る秀吉の悪趣味さが強烈です。
 また、秀吉によって利休の弟子、山上宗二が処刑されてしまう場面があるのも、『利休』や『本覺坊遺文』と同じですね。二人の確執を描くには避けては通れぬエピソードでしょうか。

 劇中では、特に秀吉の出世については説明無し。日本人には解説不要ですから。
 しかし外国の人にはどうなんでしょ。本作はモントリオール世界映画祭でも上映されて最優秀芸術貢献賞を受賞しておりますが、「最初に出てきた田舎者がどうして信長に仕えるようになったのか」とか、「何故、どんどん出世していくのか」とかに説明がないので判り辛かったのではと思われます(そもそも名前が変わっていくのに同一人物だと判ってもらえたのかな)。
 それを云うなら、本能寺の変やら、その後の後継者争いについても本作ではサラリと流すだけなので、あまり日本史のお勉強にはなりませんですね。

 まぁ、人物関係よりも劇中に登場する国宝級の名刹、古刹の背景が見事なので、そちらに目が奪われてしまうでしょうか。
 本作は三井寺、大徳寺、神護寺、彦根城などでロケが行われたそうで、歴史的な建築物が登場する背景は見事です。大徳寺の門にある利休像も登場します。
 更に茶道の名門、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家の協力も得て描かれる茶の湯の描写が実に見事で厳かでした。外国の人にはこれだけでも興味深いのか。
 名のある茶碗も実物が多数使用されたそうですが、名器と云われても判りませんデス(汗)。

 そしてまた切腹の日まで時間が戻ってくる。
 覚悟を決めた様子の利休に向かって、秀吉の部下が何とか思いとどまらせようとします。
 「アレを差し出せば、太閤殿下もすべてお許しになる」とまで云われても、しかし利休は頑として応じない。利休が命よりも大切にするアレとは何なのか。

 と、云うところで再び、今度は青年時代まで逆行し、利休が茶の湯の道に進み始める前の出来事が描かれるという趣向。
 そのときになって初めて、利休が秀吉の朝鮮出兵を批判していた理由だとか、後年になって考案した侘び茶の草庵に隠された意味だとか、大事に懐中に握っていた「あるアイテム」の由来が明かされる。
 後半の謎解きに当たる部分が時系列的には一番最初であり、ここに千利休の原点があったという描かれ方です。なかなかミステリとしても興味深い展開でした。

 特に中盤過ぎるまで、やたらストイックで落ち着いた雰囲気の市川海老蔵が(ちょっと老けメイクも入れつつ)、青年時代の与四郎にまで戻った途端に、滅茶苦茶に明るくハジケていたと云う落差を、見事に演じておりました。と云うか、この青年時代をイメージして配役されたのではと思えます。
 ここで登場する利休の思い人がクララです。韓国の女優さんだそうですが、特に今まで出演作を観たことはありませんでした。TVドラマの方はサッパリでして。

 千利休の妻、宗恩役は中谷美紀ですが、これはまだ利休の独身時代。
 クララは「高麗の王族の娘」と云われておりますが、劇中では特に名前を呼ばれはしません。そもそも言葉も通じないし。
 切腹の前に、妻である宗恩から、「ずっと思い人がいたのでは」と問われても答えなかった利休でしたが、確かにいたわけですね。
 朝鮮から掠われてきて、人身売買される身の上の高貴な姫を、ひょんなことから数日間だけ世話することになる与四郎。一目惚れから、言葉が通じなくても何とか心を通わせ、遂に駆け落ちしてしまう(恋は盲目だ)。

 そんなことをしても逃げ切れるわけが無く、悲恋に終わるのが判っているのですが、この恋の逃避行の最中に、後の千利休の美学となる様々なものが登場します。特に台詞にして説明することなく、背景の描写だけで判らせる演出がお見事でした。
 そうかー。草庵のルーツがあんなところにあったのかあ。云われてみればそっくりですねえ。

 また、高麗の姫と恋をしたからこそ、秀吉の朝鮮出兵には否定的だったわけで、劇中では「茶の起源は高麗にある」と明確に語られます。
 おお、本当に日本の茶道は朝鮮由来なのか。「高麗茶道」と云うそうですが、ウリジナルなファンタジーではないのか。韓国の人は邦画でここまで明確に語られて、きっと大喜びでしょう。
 おまけに日本が高麗から女性を掠ってきて売買するとか、なかなかアブない香りのする展開でした。
 まぁ、中世ですからそういうこともあったのでしょうし、フィクションに難癖付けても始まらないとは云え、中韓の皆さんが絶賛反日運動中の今の御時世に、このストーリーでは興行的にもマズいんじゃないのかなあと要らぬ心配してしまいます。

 逃避行が悲恋に終わり、人が変わったように落ち込む海老蔵の姿が哀れでした。この時からあまり感情を表に出さなくなっていったのですね。
 ここで登場する利休の師匠、武野紹鴎の役が市川團十郎です。本作は團十郎の遺作のようです(2013年2月3日逝去)。海老蔵と團十郎の、親子共演の図は短いながらも感慨深い場面でした。
 ちなみに利休の父親、千与兵衛は伊武雅刀が演じております。

 そして最後にまた冒頭に戻ってきて、いよいよ切腹。
 狭い茶室の中では介錯できないと云われても動じない利休。「ならばご覧じろ」と介錯なしにそのまま自刃します。茶室に血溜まりが広がり、白装束のまま突っ伏す利休。
 『47 RONIN』(2013年)でもこれくらいの切腹シーンにして戴きたかった、などと妙なところで感心しました。
 結局、利休が生涯をかけて追い求めたもの、妻の宗恩が知りたかったことは、遂に語られぬまま幕を閉じるという、なかなか侘び寂び漂う幕切れでした。
 高麗云々と云う部分に引っかかりを感じますが、ストーリー上の破綻もないし、思ったよりも良い出来だったので満足です。




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