2013年8月7日水曜日

終戦のエンペラー

(Emperor)

 天皇には戦争責任があるのか、と云う日本人としては見過ごしに出来ないテーマの映画です。洋画ですが、原作となったのは岡本嗣郎のノンフィクション小説『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』であるそうな(未読です)。
 しかしこういうのは先に邦画で製作しておくべきでは無かったのかなぁ(原作も日本の小説なのに)。日本の映画会社では製作が難しいか。

 米国人俳優と日本人俳優が多数出演(そりゃそうだ)しておりますが、監督は英国人のピーター・ウェーバーです。『ハンニバル・ライジング』(2007年)や『真珠の耳飾りの少女』(2003年)なんかの監督さんですね。
 『ハンニバル~』では劇中に「奇妙な日本」が描かれて、日本人の目からすると奇異な感じがいたしましたが、本作では驚くほど正確に日本が描写されておりました(少なくともトンデモな日本観はありません)。やはり製作チームに日米双方から人が出ていたり、日本人の俳優が多数、出演しているからでしょうか。

 冒頭の、原爆投下の記録映像が生々しいです。モノクロのフィルム映像に、タイプライターの音が重なり、終戦を迎えてマッカーサー元帥率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が厚木に降り立つまでの事情が報告書風に説明されます。
 その任務の一つは、天皇の扱いをどうすべきか決めるという極めて難しい問題であった。そして昭和二〇年(1945年)の八月三〇日、ダグラス・マッカーサーが厚木にやって来る。

 マッカーサー元帥を演じているのは、名優トミー・リー・ジョーンズです。頼れるオヤジを演じさせたらピカイチですね。でも当初、宇宙人ジョーンズがマッカーサー役ではあまり似て無さそうなどと感じておりましたが、まったくそんなことは無いデス。
 「どれ。日本人にアメリカ人の男っぷりを見せてやるか」と云って、パイロット・サングラスにコーンパイプを咥えて飛行機から降りてきた瞬間に、もうマッカーサー以外の何者にも見えませんです(大体、誰がやっても記号が揃えばそれなりに見えてしまうものですけど)。
 昔、マッカーサー元帥の伝記映画が作られたことがありました。タイトルも文字通り『マッカーサー』(1977年)。元帥を演じていたのは、あのグレゴリー・ペックだったりしますが、本作のように期間限定のドラマでは無く、後半生のダイジェスト風ドラマだったので、本作とはそれほど重なりませんね。
 記憶もかなり薄れておりますので、本作のジョーンズ=マッカーサーの方がいい感じに思えてしまいます。

 さて、マッカーサーから「一〇日間で天皇の戦争責任の有無を調べろ」と無茶な命令を受けるのが、知日派の将校ボナー・フェラーズ准将。実在の将校だったそうで、これを演じているのは マシュー・フォックスです。
 マシュー・フォックスは、あのウォシャウスキー兄弟(この頃はまだ「兄弟」でした)監督の『スピード・レーサー』(2008年)で、レーサーXの役でした。個人的には「覆面レーサー」と呼びたいですが。

 本作はフェラーズ准将を主役にして進行していきます。マッカーサー元帥は要所要所に出てきますが、ラスト近くまではあまり出番はありません。しかしその存在感でドラマが引き締まります。
 「我々は日本を解放しに来たのだ。支配しに来たのでは無い」とか、「天皇の処刑は米国の総意だが、我々の任務は日本の再建なのだ」とか云う台詞も印象深い。
 暗に、任務遂行の為なら総意に反することも辞さない反骨の人であると示されます。ラスト近くでは「やってはいけない」と注意されたことを片端からやってしまう場面もありました。単なる天邪鬼なのか。

 また、本作で特筆すべきは背景美術の見事さでしょうか。
 特にマッカーサー到着後から、何度も映る「空襲後の東京」の有様が凄いデス。見事に焼け野原。
 遠方の方はCG合成だとしても、近景部分はリアルなセットです。この再現度は一見の価値ありと申せましょう。
 他にも何カ所かの、瓦礫の山の場面が登場し、台詞の無いエキストラさん達が難民と化した国民を演じておりましたが、実にリアルです。ロケ地はニュージーランドだったそうで、この「何も無い感」溢れる空虚な背景は、もう日本のどこにも無いデスねえ。
 但し、一場面だけ、皇居の敷地内で撮影された場面があります(皇居敷地内でのロケは初めてだそうな)。フェラーズ准将と近衛兵が対峙する場面ですね。

 本作はノンフィクション小説が原作ですが、映画化に当たってはフィクションも混ぜられております。
 それが「フェラーズ准将には日本人の恋人がいた」と云う設定。ストーリーも、天皇の戦争責任追及だけでなく、戦争によって引き裂かれた恋人の所在を探し求めるエピソードが絡まって進行していきます。このサイドストーリーのお陰で、物語が重層的になりました。
 回想シーンが随所に散りばめられており、フェラーズ准将と日本人女性アヤの学生時代の出会いから、戦争で引き裂かれてしまうまでが、何回かに分けて描かれています。
 アヤを演じているのは、これがハリウッド・デビューとなる初音映莉子。TVドラマの出演が多いみたいですが、存じませんでした。映画でも『ノルウェイの森』(2011年)とかに出演していたそうですが、これも未見です(でも次回作の実写版『ガッチャマン』は観に行きますよ)。

 フェラーズ准将は専属の通訳官タカハシ(羽田昌義)にアヤの消息を調査させる一方で、自分は日本軍上層部の一斉検挙に出動します。「今更、どこにも逃げられやしないさ」と高を括る部下に、「逃亡が怖いのではない。自決が怖いのだ」と説明する准将。
 名誉の概念が欧米とは異なるのだと云う描写は、邦画の『太平洋の奇跡/フォックスと呼ばれた男』(2011年)でも、ショーン・マクゴーウァン演じる米軍将校が説明しておりましたね。
 案の定、東条英機は逮捕寸前に拳銃自殺を図ります(一命は取り留めますが)。

 ここで東条英機を演じているのが火野正平です。驚くほどソックリなので笑ってしまいます。
 スキンヘッドに丸眼鏡と、これもかなり記号の多いキャラクターですが、火野正平のナリキリ演技も素晴らしい。台詞らしい台詞はないものの、ドキュメンタリ映画『東京裁判』(1983年)で観た実物そのままと云う感じです。
 御自身で「歴史上の人物を演じるなら東条英機か、ガンジー」と仰るだけのことはあります。

 東条英機に限らず、当時の日本の首脳部として、木戸幸一(伊武雅刀)、関屋貞三郎(夏八木勲)、近衛文磨(中村雅俊)といった人々が登場し、皆さん重厚な演技を見せてくれます。
 特に関屋貞三郎役の夏八木勲が実に印象的でした。本作の公開前にお亡くなりになってしまったとは残念極まりない(2013年5月11日逝去)。本作が遺作かと思いましたが、まだ公開されていない『そして父になる』と『永遠の0』が控えておりましたか。
 それから、近衛文磨役の中村雅俊もいいですねえ。フェラーズ准将に向かって、「武力で領土を奪うのは、あなた方が手本なのだ」と云い放つ場面が好きデス。もっと云ってやれッ。
 欧米の方は本作を観てどんな感想を抱くのか、ちょっと知りたいです。

 フィクションとしての人物で扱いが大きいのが西田敏行です。恋人アヤとの回想シーンに登場し、また戦後に生き残ってフェラーズ准将と対面する場面もあります。
 フェラーズ准将が、かつて日本兵の心理を研究する目的でお世話になったと云う設定ですが、西田敏行が色々と日本人について説明する場面は、日本人から観ても興味深いです。特に国民が抱く天皇陛下への忠誠心は欧米人には判り辛いでしょうし(現代の日本人からしてもか)。
 二千年に及ぶ忠誠と服従の心理は簡単には説明できないと云われますが、そういうものか。
 また「日本人を表す二つの言葉がある。ホンネとタテマエだ」と云う場面も面白いデス。しかし外国人だって、本音と建前を使い分けることはあるのでは……。

 印象的なのは、回想シーンで描かれる反米教育の場面。かつては日本もこんなことしていたんですねえ。子供達が外人と見るや石を投げてくる。
 昨今の中韓が行っている「反日」の愚かしさも感じさせてくれます。
 そしてフェラーズ准将とアヤのロマンスについては、哀しい結末を迎えるわけですが、本作はサイドストーリー的ロマンスよりも、史実に基づく歴史ミステリな部分の方が興味深いデス。

 紆余曲折ありますが、天皇の戦争責任については明確になりません。誰に訊いても明快な答えが返ってこない。白か黒かハッキリさせたいフェラーズ准将にとっては、実にもどかしい。異文化の中で煙に巻かれているような感覚がよく描かれておりました。
 しかし調査の過程で、木戸幸一役の伊武雅刀が語る「玉音放送とクーデター未遂事件」の顛末まで飛び出し、天皇が終戦に為に尽力したことは明快に語られます(相変わらず物的証拠は何も無いままですが)。
 本作では、天皇の戦争責任については「千年調べても、もう判らないでしょう」と語られます。もはや当時の関係者も戦死したり、文書も焼失したりしているわけですし。ただ、間接的に「命を賭けて戦争終結に尽力した天皇が、開戦を指示した筈が無い」とは匂わせるように演出されています。
 まぁ、開戦の意思がなかったとしても、国家元首としての責任を免れ得るのかは疑問ですが。

 そしてフェラーズ准将の報告を受けたマッカーサー元帥は、最後に直接の面会を決意します。証拠が無いなら、直接会って確かめようと云う、実にストレートな方法です。
 クライマックスはやはり、この昭和天皇とマッカーサー元帥の会見シーンでしょう。
 ここで登場する昭和天皇役は、歌舞伎役者の片岡孝太郎。本作の白眉と云える忘れ難い場面です。
 昭和天皇は、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』(2005年)ではイッセー尾形が演じておりましたが、本作の片岡孝太郎もまたナリキリ演技が素晴らしいデス。もはや立ち居振る舞いが只者では無い。静かな佇まいに、物凄い緊張感を漂わせてくれます。
 歌舞伎役者が皇族を演じると印象深いのでしょうか。エドワード・ズウィック監督の『ラストサムライ』(2003年)では、明治天皇役を中村七之助が演じておりましたが、あちらもなかなかでした。

 圧巻の会見シーンの詳細はフェラーズ准将には伺い知れず、会見後にマッカーサー元帥が決断を下すのみです。
 天皇を処刑したら日本人が叛乱を起こすとか、共産主義が日本に入り込むとか、色々云われますが、元帥も陛下の人柄に惚れてしまったのか。ここにもホンネとタテマエを使い分けている人がいるような……。
 エンディングでは、歴史映画にありがちな「その後の経緯」が字幕で淡々と表示されます。ちょっと淡泊すぎる幕切れでしたでしょうか。
 そして元帥と陛下が二人並んで背立つ、あの写真(本物)も映されます。
 明快な結論を下すことは避け、判断は観た者に委ねられますが、どう考えても陛下が悪者であると云う描写ではなかったですねえ。




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