2013年7月24日水曜日

SHORT PEACE

(SHORT PEACE)

 大友克洋を中心にした四人のアニメーション作家が各々一話ずつ監督した、五本の短編アニメ作品の集合作品です。各話は独立したストーリーですが、全体的に「日本」をテーマにしており、緩いオムニバス形式の長編とも云えます。
 とは云うものの、各エピソードの共通点は「ストーリーの舞台が日本である」──画面に必ず富士山が映る──くらいで、時代も異なり、時系列順にも並んでおらず、最小限の繋がりしか見受けられません。バラして観ても、まったく差し支えなしです。
 その代わり、各話毎に描写される日本の文化、風俗等の描き込みは実に緻密です。ビジュアル面では、本作は間違いなく現在のジャパニメーションのひとつの到達点とも云えるでしょう。

 もう全編、凝りに凝った技法で描写される日本の様々な様相がバラエティ豊かです。
 ある意味、ジャパネスクの見本市のようであります。本作は日本でより、外国で受けるのではないでしょうかね。元々、海外の短編アニメ作品の映画祭に出品するのが目的だったそうですから。
 でも、かつて大友克洋監修の『MEMORIES』(1995年)よりは、まとまりがあるように思われます。本作の方がオムニバス形式の長編アニメと云えるでしょう。『MEMORIES』はホントに各話バラバラで統一感なしでしたからね(面白かったけど)。
 それに比べればテーマが明確な分、本作はOVA『ロボットカーニバル』(1987年)の方に近いでしょうか(大友克洋もちょっと関係しておりましたし)。

 五本の短編は、順に列記すると次のとおりです。
 
オープニング        作画・監督 : 森本晃司
九十九           脚本・監督 : 森田修平
火要鎮(ひのようじん)   脚本・監督 : 大友克洋
GAMBO          監督 : 安藤裕章 / 脚本 : 石井克人、山本健介
武器よさらば        脚本・監督 : カトキハジメ

 最初のオープニングには、特にストーリーはなく、一人の少女が白ウサギを追って時空を超越していくと云う、『ふしぎの国のアリス』ぽいアニメです。
 懐かしの昭和の香りがする路地裏の風景に、突如として現れる超テクノロジーの産物らしき球体がイイ感じで異様です。『2001年宇宙の旅』(1968年)のモノリスのようでもあります。
 時空を越える度に、様々な異世界へとシフトしていく背景が美しいです。また、目まぐるしく変わっていく少女のコスチュームが、過去から未来まで様々な時代を表しておりますが、時々、どこかで観たようなアニメのコスプレになったりしておりました(製作がサンライズだからかしら)。
 ほぼ音楽と映像だけの一篇でした(オープニングですから)。

 そこからは、三つの過去のエピソードと、一つの未来のエピソード。
 過去エピソードは、中世の日本が描かれています。江戸時代の前(安土桃山時代かしら)から、江戸時代後期くらいの幅があるようです。
 最後の「武器よさらば」だけ、未来のエピソードなのがちょっと違和感ありますが、ギリギリ「富士山が映る」ところでリンクしています。でも、ちょっと苦しい。この最終エピソードだけ、大友克洋の原作コミックス付きです。あとは全てオリジナル。
 全部併せても六八分しかありませんので、どのエピソードもストーリーは単純です。本作はビジュアルの美しさと動きで魅せる作品です。

 まずは森田修平監督の『九十九』。
 「九十九」は「憑く裳」の「つくも」ですね。いや、逆か。「憑く裳」が「九十九」の当て字なのでした。
 とにかく冒頭に、「長い年月を経て古くなった道具などには魂が宿る」旨の解説が表示され、ストーリーが始まります。
 人里離れた山中で、大雨に祟られて難儀していた一人の旅人(山寺宏一)が、古い小社を見つけて雨宿りするが、そこは捨てられた道具達が化身した付喪神の巣窟だったのだ。
 一人の旅人が遭遇する、一夜の怪異と云った趣の怪談話で、『トワイライト・ゾーン』のようなエピソードです。

 まだ使えるのに捨てられた、流行りが廃れたので捨てられた、と云う付喪神達の恨み節を、旅人が次々に鎮めていきます。実は旅人は「修繕屋」だったのだ。
 厳つい面相からは想像できないほど、繊細で細やかな仕事をする旅人と、緻密に描き込まれた道具箱の描写が見事です。
 また、「破れた傘」や「捨てられた反物」といった登場する付喪神が、怖ろしいと云うよりもどことなくユーモラスで、旅人も全然怖がっていないのが、なかなか愉快でした。
 だが最後に現れた付喪神は、もはや修繕のしようもない程、使い古されたモノだった。そこで旅人が取った行動とは……。
 ものを大事にしようと云う、リサイクル精神の貴さは現代にも通じるものですね。後味爽やかな一篇でした(ちょっと教訓的すぎますか)。

 続いて、大友克洋監督の『火要鎮』。
 描かれている江戸時代の風俗が興味深いです。日本画の絵巻物が動き出したかのようなビジュアルも見事でした。人物の動き以外にも、炎や煙にもある種の様式美が感じられます。
 ストーリーの方は、歌舞伎の「八百屋お七」と落語の「火事息子」を足して二で割ったようなエピソードでしたね。
 火消しになりたくて勘当された商家の一人息子である松吉(森田成一)を恋い慕う幼馴染みのお若(早見沙織)の元に、意に沿わぬ縁談が持ち込まれる。このまま祝言を挙げるまで松吉には会えないのか。
 塞ぎ込むお若は、火消しになった松吉と会うには火事が起こればいいと、たまたま起きた小さな失火をそのまま放置してしまい……。

 恋する女性の昏い情念が引き起こす大惨事が凄まじいです。前半の静かな展開から一転して、火災発生後のダイナミックな展開のメリハリが利いております。火消し衆の破壊消防活動が迫力あります。
 そして火災の中で、松吉は逃げ遅れたお若の姿を認めるが……。
 悲恋を描いたエピソードでありますし、短編なのでインパクトある場面でぷつんと終わってしまうのが切れ味良すぎる感じです。思わず「え。そこで終わり?」と呆気にとられました。

 過去編の最後は、安藤裕章監督の『GAMBO』。
 東北地方の寒村を舞台に、山の主のような巨大な白い熊と、村の少女の交流を軸に、突如として村に現れた異形の鬼の襲来が描かれます。なんとも伝奇SFなエピソードです。
 山中に咲き誇る彼岸花と云うか、曼珠沙華の群生が実に美しく、東洋的な背景が強調されていました。
 熊と少女と鬼のエピソードですが、他にも熊に襲われて生き残った野武士(浪川大輔 )が、今度は村を悩ませる鬼退治を依頼されるというサイドストーリーも入っています。登場人物が全員、東北弁を喋っているのも興味深い。また、野武士がさりげなく十字架のロザリオを持っていたりして、東北地方に於けるキリスト教の布教について触れられております(でもストーリーに関係なし)。

 本筋は、鬼への生贄に捧げられようとした少女を守る為に戦う白い熊の物語でして、鬼と戦う熊のワイルドで壮絶なバトルが見物です。
 で、どこがSFかと云うと、鬼の設定でして。鬼はある日、天空から飛来したと説明され、劇中でも鬼の住処は「巨大なクレーターの中にある異形の物体」として描かれています。誰がどう見ても、不時着した宇宙船。鬼の正体は異星人だったと云うオチ。
 しかしかなり凶暴なエイリアンです。知性がある分、野生動物の熊はちょっと分が悪い。野武士達の協力を得て、何とか鬼は退治されるが……。
 特に教訓的なテーマもなく、美しい背景に、迫力のある熊vs鬼の対決が描かれるだけの潔いエピソードですが、東北地方である必然があまり感じられませんでした。なんか惜しい。

 そして本作のトリを飾るのが、カトキハジメ監督による『武器よさらば』。
 一番、大友克洋らしいエピソードですね(そりゃ原作がありますし)。
 近未来の砂漠化した日本。廃墟と化した新宿の高層ビル街が背景に描かれております。ここまで砂漠化した理由は語られませんが、世界的に文明が崩壊するほどの大戦が行われたらしいと察しがつきます。よくあるSFネタですね。
 そこかしこに大戦時の危険な兵器が放置されており、探索任務を帯びた小隊がそれを回収(又は処分)して回っている。だがあるとき、小隊は戦時中に使用されたまま自律稼働し続けている無人戦車と遭遇し、敵と認識された為に戦闘に巻き込まれる。

 大友克洋らしい、無骨でダサカッコいい自律戦車のデザインがいいですね。とてもそんなに強いようには見えないのに、五人の戦闘のプロを相手に獅子奮迅の戦いぶりを見せてくれます。
 プロフェッショナルが仕掛ける戦闘の描写が緊迫感溢れる演出です。登場するのも野郎ばかりで、女っ気皆無です。
 配役も、二又一成、檀臣幸、牛山茂、大塚明夫、置鮎龍太郎と、渋い声が揃っております。中でも主役の二又一成がいい(久しぶりですねえ)。二又一成が主役のアニメを観るのは『めぞん一刻』以来では無かろうか。

 しかし廃墟を舞台に、白熱の近未来戦闘を描く云うと、何やら流行りのオンラインゲームを観ているような気がします。
 このエピソードがもっと早く、二一世紀になるより前にアニメ化されていたら、もっと高く評価されたのではなかろうか。いや、丁寧な作画の密度や、スピーディでリアルな描写は素晴らしいのデスが、どうにも「ちょっと遅かった」感が否めませんです。
 エピソードのオチも原作どおりですし。随分昔に読んだコミックスのまんまなのが……やっぱり……。

 そして懐かしのヒット曲、坂本スミ子の「夢で逢いましょう」が流れ始めて、エンディングに雪崩れ込んでいきます。いや、懐かしい。昔のNHKのバラエティ番組でしたねえ。
 これはやはり、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(1964年)のエンディングで流れるヴェラ・リンの「また会いましょう」へオマージュが捧げられているような演出ですね。
 甘いメロディが流れる中、すべては夢か幻のようであったと云うイメージでしょうか。
 多少、各エピソードがまとまりに欠けるきらいはありますが、本作の緻密で美しいビジュアルの数々は、一見の価値ありと申せましょう。




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