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2013年7月2日火曜日

真夏の方程式

 

 東野圭吾の原作小説の方はさっぱり読んでおらず、TVの「ガリレオ」シリーズもスルーしまくりで、唯一、劇場版第一作である『容疑者Xの献身』(2008年)だけは観たという、あまりにも頼りない状態ですが、少なくとも劇場版としては前作よりも良く出来ていると申せましょう。
 ひょっとして、西谷弘監督作品の中では一番かも。少なくとも『アマルフィ/女神の報酬』(2009年)とか、『アンダルシア/女神の報復』(2011年)なんかよりは……。

 主役の湯川准教授役は前作と同じく福山雅治です。この方が居なければ始まりませんね。
 本作のメインテーマ「vs.2013 ~知覚と快楽の螺旋~」も福山雅治です。予告編で散々、流されて耳タコ状態。夏らしくてノリのいい曲ではありますが、劇中ではもっぱら菅野祐悟のメロディアスな劇伴が使用されております。

 レギュラー陣の中では、個人的には北村一輝にもっと活躍してもらいたいのですが、本作ではほとんど出番が無いのが残念デス。
 また、前作では教授の相棒役だった柴咲コウが、諸般の事情からか吉高由里子になっておりますが、担当替えと云う設定でもそれほどコダワリありませんので気にはなりませんです。
 あとは事件毎にゲストが入れ替わるようなもので、本作では事件の渦中にあるヒロイン役の杏を始め、前田吟、風吹ジュン、塩見三省、白竜、西田尚美といった面々が出演しております。
 しかし一番印象的なのは、子役の山﨑光くんでしょう。

 今回は都会を離れて、青い空と紺碧の海が美しい田舎の町を舞台に起きる殺人事件にガリレオ先生が挑む──と云うか、巻き込まれて協力を依頼される──わけで、長く続くシリーズの中では、主人公が旅先で事件に遭遇するエピソードがあるのは定番でありますね。
 本作で舞台となる玻璃ヶ浦は架空の街ですが、ロケ地は伊豆だそうで、背景の海が実に美しいです。ヒロインの杏がダイビングで海中に潜る場面もしっかり挿入され、日焼けした肌と水着姿も健康的です(事件にはこれっぽっちも関係ないですけど)。

 そもそもガリレオ先生は、とある企業が行う海底鉱物資源の調査と、地元への説明会への出席の為に呼ばれて玻璃ヶ浦を訪れているのですが、発生する殺人事件がこれと直接関係ないので、ちょっと肩透かしを食らいました。
 ガリレオ先生が投宿している宿屋に泊まっていた客が海岸で死体となって発見され、これに関わってしまった先生が駆り出されると云う流れですが、事件は鉱物資源調査とも環境保護とも無関係です。

 殺される被害者は十五年前に都内で起きた事件の真相を究明したいと願った老刑事(塩見三省)であり、宿屋を経営する家族(これが前田吟、風吹ジュン、杏)の過去が殺人事件に関係していると云う設定です。
 したがいまして重要なのは、十五年前に解決したとされる事件の真相であり、それを究明したときに何が起きるかと云うことの方であるので、特に玻璃ヶ浦の環境は捜査とは無関係です。そこが惜しい。

 一応、杏が環境保護運動に参加しており、説明会の場でもガリレオ先生と対面していたりするので、ストーリー上は「資源開発か環境保護か」というテーマがチラチラと見え隠れはしております。
 でも、「ガリレオ」シリーズというのは、天才物理学者湯川准教授が、物理学者ならではの視点と科学的思考で犯罪捜査に関わっていくというものであると聞いておりますので、本当は「科学知識を駆使した実験を行い、事件の謎を解明する」場面が見せ場であってもらいたい。
 どうやらTVシリーズの方はそうであるらしいのに、劇場版では何故かそこが外されてしまっているような気がします。劇場版では尺が長くなる所為でしょうか。
 真相究明の為の科学実験が行われないのが残念デス。

 一応、シリーズの売り物である(らしい)科学実験は本作でも行われます。
 宿屋の家族の親戚である少年(山崎光)と一緒に、海岸の埠頭でペットボトル・ロケットの発射実験を繰り返す場面が印象的です。実はここが本作一番の見どころと云っても過言ではない。確かに実験をメインに持ってくる演出は間違いではないのでしょうが……。
 設定上では、ガリレオ先生は「子供と一緒だと蕁麻疹が出る」ほどの子供嫌いであるそうですが、何故か本作では蕁麻疹は発症しません。劇中でも「何故か平気だ」と語られますが、その理由までは説明されないので、特に蕁麻疹の設定は余計だったのではないかと思いマス。

 「玻璃ヶ浦」の名称の由来は、海底の鉱物が太陽光線を反射してキラキラと美しく輝くところから名付けられたが、少年は海底を見ることが出来ない。泳げず、船にも弱くてすぐに酔う。とても「二〇〇メートル先の海底を見る」ことなど出来ない。
 それを聞いたガリレオ先生が「方法はある」と少年を連れて実験を行うと云う場面。
 ペットボトルで作ったロケットを水圧で発射し、二〇〇メートル先の海上まで到達させる為に、何度も方向や角度や圧力を変えながら実験を行う。ペットボトルの中にはケータイが仕込まれており、ケータイのカメラ機能を探査機として使用しようというのが面白いです。
 テストは何度も繰り返され、遂に二〇〇メートル先の海底を埠頭に居ながらにして眺めることが出来た場面は感動的ですらあります。

 でも殺人事件の捜査とは、まるっきり無関係でしたね。
 実は本作に於ける科学実験は、十五年前の事件の調査を吉高由里子にやらせている間の暇つぶしのようなような扱いです。
 理科嫌いの少年を、科学の面白さに目覚めさようとするガリレオ先生の意図は成功しますが、本筋とは無関係。なのにそこが一番、印象に残る場面であるとは……。

 他にも、海底資源の調査そのものを闇雲に反対する杏に対して、ガリレオ先生が述べる意見が如何にも物理学者らしいです。
 人間は知るべきである。例え知りたくなくても、それに背を向ける姿勢は正しくない。すべての真実を知った上で、人は選択するべきなのだ。
 この考え方が、ストーリーの上で意味を持ってきます。
 十五年前の事件は、海岸で起きた殺人事件とどう関わっているのか。誰が、どんな意図の元に、殺人を行ったのか。その方法は。
 そして全てを知った上で、どう行動するべきなのか選択しなければならない。

 ガリレオ先生は物理学者らしく、非常に冷徹かつ論理的に事件を推理していきます。その姿勢は実に見事です。
 が、自分を厳しく律するあまり、他人にも科学的、論理的であれと強制しているように思えてきます。そのあたり、他人に対する思い遣りに欠けているようではあります。
 いや、ガリレオ先生なりに思い遣りが発露されてはいるのでしょうが、非常に厳しい選択を迫っているような感じもしました。
 まぁ、警察ではないので、謎を解いたからと云って真犯人を逮捕させようとか、正義を遂行しようとかは、一切考えていないのも学者先生らしい態度です。事象の謎が解明されたら、あとは関係者でどうするかを決めて下さいと云うスタンス。

 事件そのものは、あまり科学的ではなく、前作と同様に、人が人を愛し思いやるが故の殺人だったと云うのが泣けるところですが、前作のように演出が「お涙頂戴式」ではなかったのが、個人的に好感の持てるところです。
 真犯人が号泣する必要など無いし、関係者も感情的にならずに事態を受け止めようという姿勢であるのが好ましく思えました(登場人物が耐える姿勢を見せて、それで観客が泣く分には一向に差し支えありません)。
 また、劇中では何度も回想シーンが挿入され、それが少しずつ視点を変え、場面としては同じなのに、その意味づけが変わっていく演出が面白かったです。

 すべての謎は解明されたあとに、ガリレオ先生が少年に対して見せる態度も、非常に学者らしい。本作は、実はガリレオ先生と少年の物語だったのですね。ヒロインの杏の扱いも、少年に比べると小さいような。
 明らかに先生は杏よりも、少年の方を気にかけています。最後に少年に贈る言葉も忘れ難いものでした。

 この夏休みでキミは学んだ筈だ。疑問には必ず答えがあることを。しかしすぐに答えが出ないときもある。でも焦ることはない。成長していけば、いつか見つけられるだろう。それが見つかるまで、一緒に考え、悩み続けよう。忘れるな、君は独りじゃない。

 子供嫌いの先生にしては、破格のお言葉です。
 そしてペットボトル・ロケットの実験データ一式までも贈ってあげる。
 確かに、夏休みの自由研究としては立派なものです。いや、立派すぎるほどデス。
 ただ、あのデータは……小学生の夏休みの宿題としては、あまりにも高度かつ難解で、そのまま宿題として提出できない代物なのでは。
 そのあたりの配慮に欠けるというか、小学生にも容赦ないのがガリレオ先生ですねえ。




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