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2013年7月6日土曜日

汚れなき祈り

(După dealuri)

 ルーマニアの映画を観るのはひょっとしたら初めてかもしれません。本作のクリスティアン・ムンジウ監督は以前に『4ヶ月、3週と2日』(2007年)で、カンヌ国際映画祭(2007年・第60回)のパルム・ドールを受賞しておりますが、そちらは観る機会を逸しておりましたので(ちょっと観たかったのですが)、本作が私の初ルーマニア映画&初ムンジウ監督作品となりました。
 本作もカンヌでパルムドールこそ逸しておりますが、脚本賞と女優賞を受賞しております。この時(2012年・第65回)のパルムドールはミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』でした。

 本作は実話に基づくドラマです。二〇〇五年にルーマニアのとある修道院で発生した実際の事件を題材にした二冊のノンフィクション小説が元になっているそうな。
 似たような事件は日本にもありましたねえ。時として宗教が絡むと、人間の正常な判断力は失われてしまうのか。二一世紀になっても人間は変わりません。
 これはある人物に悪魔が憑いているとして、修道院で悪魔祓いの儀式を行ったら、儀式のあまりの厳しさにその人物が亡くなってしまったという傷害致死事件を描いた作品です。

 悪魔祓いと云うと、よくオカルト&ホラー映画に出てきますね。有名なのは、ウィリアム・フリードキン監督のその名もズバリな『エクソシスト』(1973年)ですが、それ以降も続々と製作されております。近年でもミカエル・ハフストローム監督の『ザ・ライト/エクソシストの真実』(2011年)なんてのがありましたし(アンソニー・ホプキンスの演技が忘れ難い)、オーレ・ボールネダル監督の『ポゼッション』(2012年)も、悪霊に憑かれた少女を救おうとするストーリーでした。
 しかしそれをリアルにやっちゃうのは如何なものか。いや、悪魔祓いするならバチカンの専門家に任せましょうよ。でもルーマニアだから宗派が違うのか(ルーマニアは正教ですね)。

 まずは冒頭、駅の雑踏の中で二人の若い娘が再会する場面から幕開けです。
 同じ孤児院で育った幼なじみの二人、ヴォイキツァ(コスミナ・ストラタン)とアリーナ(クリスティーナ・フルトゥル)は数年ぶりに再会し、旧交を温め合う。孤児院を「卒業」したのち、ヴォイキツァは修道院に引き取られてシスター(見習い)となり、アリーナは里親から離れてドイツで働き、久々に帰省したのだった。
 この主役となる二人は、どちらも映画初出演であるそうですが、とてもそうとは思えません。しかも素人なのに、二人揃ってカンヌで女優賞を受賞したのか。ルーマニアも侮れませぬ。

 さて数年ぶりに再会し、お互いに変わらない友人同士もいれば、劇的に変貌を遂げている人も中にはいるわけで、ヴォイキツァはどうやら後者に属していたようです。
 ガスなし、電気なし、水道は井戸水と云うシンプルな修道院生活に馴染んでいます。信仰に目覚めてしまうと人が変わったようになるという例ですね。
 一方、アリーナの方は世俗にドップリなので、友人の変化に戸惑いを覚えております。

 観ている内に判ってきますが、どうもアリーナはヴォイキツァに友情を越えた愛を感じているらしい。どう見てもレズビアンでしょう。はっきりと告白したりはしませんが、言動の端々にそこはかとなく百合の香りが漂っております。
 しかし修道院で生活している人に、面と向かって同性愛を打ち明けるのも憚られる。このあたりのアリーナのビミョーな乙女心が、観ていてなかなかもどかしいですね。いやもう、はっきり云ってしまえば早いと思うのデスが、「当たったら砕けるのが絶対確実」に思える場合はどうするべきか。

 そもそもヴォイキツァは最初からそこまで宗教にハマってはいなかったと云う思いがアリーナにはある。親友を変えてしまったのは、この修道院の所為だと考えるのは、あながち見当外れではありません。
 何しろ、この修道院の院長である司祭(ヴァレリウ・アンドリウツァ)が実に厳格な人です。
 修道院の入口に「異教徒立入禁止」とか「神を疑うことなかれ」なんて看板を立てるほどの、ガチガチの東方正教信者です。まず西欧のキリスト教を信じておりません。カトリックも、プロテスタントも等しく異教徒扱い。
 アリーナがドイツから帰国した友人だと聞いた途端、「ドイツは正教でないな」と一言で切って捨ててしまう。こんな人に同性愛なんぞ理解できる筈もない。

 実はアリーナには、ヴォイキツァを修道院から連れ出して二人でドイツに戻ろうという目的があったようです。何度か「ここを出よう」と誘いますが、静かな修道院生活に馴染んでしまったヴォイキツァが首を縦に振るはずもない。
 アリーナからして見れば、修道院は「親友を洗脳してしまった憎い仇」のような存在なので、シスターや司祭に対して反抗的な態度になるのも無理からぬ話です。そしてそこから次第にハナシが拗れていきます。

 劇中、あまりにもヴォイキツァが司祭に対して従順であり、もはや還俗するなど考えられないようになっている様子から、もしかしてこれは本当に洗脳なのかしらと疑いたくなりましたが、本作では特にそのような方向には進みません。
 個人的には、「敬虔な信者」と「カルトに洗脳された人」の見分けが難しいです(失礼な)。
 しかし司祭は厳格ですが、特に無理強いしているようではないし、それは他のシスター達に対しても同じようです。ミサを取り仕切り、地元の人達もよく通って来る、それなりに地域住民に愛された修道院であると描写されています。

 反抗的なアリーナはミサの最中に騒ぎを起こす。修道院の秩序を乱す者として取り押さえられるが、それにも抵抗して暴れるものだから、そのまま病院の精神科に担ぎ込まれる羽目に。投薬で眠らされ、医者から事情を訊かれるがシスター達には訳が判らないので答えられない。
 ベットに固定され身動きできないようにされてしまう。
 修道院の側からすると、西欧に毒されたアリーナの方が罪深く見えるわけですが、「バーのウェイトレスをして働いていた」と云う経歴だけで、悪魔と同列に見なされるというのも如何なものか。修道院の常識もまた、世間一般とは懸け離れているようです。

 落ち着きを取り戻したアリーナをヴォイキツァは見舞うが、「神の愛」を説く幼なじみは以前とは別人です。「私と神様のどっちが好きなの」なんて尋ねても、「あなたへの愛と、神への愛を比べてはいけないわ」なんて諭される。既にかなり浮世離れしております。
 二人の会話が咬み合わず、言葉は通じているのに、話が通じない。コミュニケーションとはかくも難しいものでしたか。
 このあたりで諦めが付いたなら、まだ救いもあったのでしょうが、ヴォイキツァを諦めきれないアリーナは何とかして友人を取り戻そうと考え始める。退院して、そのまま修道院に転がり込むことに。

 勿論、司祭は渋りますが、ヴォイキツァの懇願でやむなく住込みを許可してしまう。
 とは云うものの、アリーナに厳しい戒律の下で生活するなんて不可能でしょう(そもそも下心あって居候しているわけですし)。
 案の定、修道院内では浮いてしまい、ちょっと暴言を吐いただけで大騒ぎされ、悪魔が憑いていると疑われる。次第にヴォイキツァだけでは庇いきれなくなってくる。
 余談ですが、正教が云うところの「己の罪の数を数える」場面で笑ってしまいました。四六四件の罪のリストって……なにそれ。

 ヴォイキツァにしてみると、アリーナの方がドイツに行った所為で悪い影響を受けてしまったのだと思える。何とかして助けてあげたいと考えるワケですが、このすれ違いは如何ともし難い。
 色々と問題を起こしながらも何とかヴォイキツァと一緒に居る為の悪戦苦闘が続きますが、遂にアリーナの態度に司祭の堪忍袋の緒が切れるときが来る。これは時間の問題でしたねえ。
 ところがヴォイキツァの方が親友を見捨てないでくれ、追い出すことなく正気に返らせてほしいと願うわけで、ここから「悪魔祓いを」などと云う突拍子もないアイデアが飛び出してしまう。

 親友が反抗的で冒涜的なのは、彼女が悪いんじゃありません、取り憑いている悪魔の所為なんです……って、庇う方向を間違えていますよ。
 ここから、色んなところでちょっとずつ手続きを間違えながら、あれよあれよととんでもない方向へ進展していきます。なんかか暴走しています。
 悪魔祓いなんて、オカルト映画の中だけにしておけばいいのに。
 まぁ、部屋に閉じ込めても家具を破壊するわ、放火するわと暴れまくりのアリーナですから、悪魔憑きと思われても仕方ない(いやいや。ちょっと冷静に考えて下さいよ)。

 暴れるので板に縛り付けて固定し、その上から鎖で巻いて、叫ばないように猿ぐつわを噛まし、祈祷する儀式を執り行うのですが、勿論そんなことで人格が変わるわけがない。
 しかも儀式は一度で終わらず、何度も繰り返される。間を置いて数日間続き、その間は絶食させ、悪魔から力を奪うのだ。当然ですがトイレにも行かせません。
 雪も降る季節に、暖房のない礼拝堂に放置します。これでは衰弱するのも当然か。

 しかも怖ろしいのはシスター達に悪意がないと云う描写です。
 儀式の間も「頑張るのよ」と口々に励ましの言葉をかけ、「本当に可哀想」と憐れんでくれております。トイレに行かせないので漏らしたところも、きちんと身体を拭いてくれる(縛ったままですが)。虐待しているのか、世話をしているのか判りません。
 司祭にしても、自分が救うことが出来ると心底信じているようです。どうしてそう思えるのか。
 しかし衰弱していくアリーナの姿にヴォイキツァが耐えられなくなる。最後の晩にこっそり縛めを解いて逃げるように促すものの……。

 判らないのは、その夜にヴォイキツァの部屋の前に何者かの足音がしたと云う描写です。雪を踏みしめる足音が近づいてきて、そしてまた遠ざかっていく。ヴォイキツァは怖ろしくてドアを明けることが出来ず、これが何者だったのかは判りません。
 翌朝、礼拝堂に縛めが解かれた状態でアリーナが倒れており、意識を回復するもすぐにまた昏睡状態に陥る。救急車が呼ばれ、病院に搬送されるも、既に手遅れ。

 医者から自己過信だと責められ、警官からは監禁致死だと責められ、何とも答えようのない司祭。善意から出た行為だと弁明したところで、人が死んでいるので放置も出来ず、司祭と数人のシスターは検事の元に連行されていく……と云うところで唐突にエンディングです。
 不思議なのは何故、アリーナは最後の夜に逃げ出さなかったのかです。その余力も無かったのか、あるいは愛の為に留まったのか。不審な点もあるのですが、解答が提示されることはありません。
 一体、誰が悪かったのか。過ぎたことを言い募っても後の祭りですが、誰も暴走を止められなかったのか。「自己過信」と云う言葉が重く忘れ難いです。
 何とも後味の悪いヘビーな作品でした(二時間半と云う上映時間もキツかった)。


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