2013年6月20日木曜日

ザ・マスター

(The Master)

 実は、ポール・トーマス・アンダーソン監督にはあまり馴染みがありません。馴染みがあるのは、ポール・W・S・アンダーソン監督の方でして、こちらは監督も、監督の嫁さんも、大変馴染み深い。『デス・レース』(2008年)も、『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』(2011年)も観ておりますし、早いところ〈バイオハザード〉シリーズも完結させて戴きたいところデス。
 一方、ポール・トーマス・アンダーソン監督の方は……『マグノリア』(1999年)も、『パンチドランク・ラブ』(2002年)もスルーしております(それ以前の作品も)。かろうじて『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)がアカデミー賞で話題になったので、後日DVDで……と云う為体。これではイカン。

 本作もまた、『ゼア・ウィル~』に続いて、アカデミー賞(2013年・第85回)の候補に挙げられておりましたので、今度こそはちゃんと観ようと決意しておりました。まぁ、それにしては公開から随分と間を開けてしまいましたが(汗)。
 本作は、ポール・トーマス・アンダーソン監督が、脚本も、製作も務めておりまして(大体、いつもそうですが)、出演したホアキン・フェニックスはアカデミー賞主演男優賞候補に、フィリップ・シーモア・ホフマンは助演男優賞候補に、エイミー・アダムスも助演女優賞候補になりました。いずれも受賞は逸してしまいましたが──特に今回はダニエル・デイ・ルイスが競争相手に回ってしまいましたからねえ──、各人の抑えた重厚な演技は実に見応えがありました。
 まぁ、ちょっと私には重厚すぎたところはありましたが。

 アカデミー賞の方は残念でしたが、本作でアンダーソン監督は、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞し、世界三大映画祭(ベルリン、カンヌ、ヴェネツィア)で監督賞のグランドスラムを達成しました。
 同時に、ホアキンとフィリップも最優秀男優賞を獲りましたし。本作はアメリカ映画ではありますが、ヨーロッパ向けの作品と申せましょう。文芸的な作品ですしね。

 本作は、第二次世界大戦後のアメリカ社会を背景に、元海軍兵士の男(ホアキン・フェニックス)の苦悩と、彼が救いを求めて新興宗教にハマっていく過程を描いております。この宗教団体の教祖と云うか、リーダー役がフィリップ・シーモア・ホフマンで、教祖の妻役がエイミー・アダムスです。
 他にも、ローラ・ダーンや、ジェシー・プレモンスなどが出演しております。ジェシーはバカSF映画『バトルシップ』(2012年)で、テイラー・キッチュの部下の水兵でしたが、シリアス作品だと別人ですわ(失礼な)。

 団体は〈ザ・コーズ〉と名乗っておりますが、日本人の目からするとあまり宗教団体ぽくは感じられませんでした。どちらかと云うと、自己啓発セミナーに近い感じです。
 個人的に、この手のセミナーにはあまりいい印象を持っておりませんので、劇中での描写が実に胡散臭く感じられました。多分、本当にそうなのでしょう。
 ある手法を信奉する男女が集団でひとつ屋根の下で共同生活しながら、効果があるのかないのかよく判らない講義を神妙に聴いている図と云うのが、怪しいです。
 劇中では「コーズ・メソッド」と呼ばれる、何だかよく判らないイメージ・トレーニングを、ホアキンが一生懸命になってやっている場面が何度も登場するのですが、観ていてサッパリ理解できませんでした。
 まぁ、架空の教団だし、架空の教義だし、理解する必要もないか。

 でも〈ザ・コーズ〉にはモデルがあるらしく、実在する宗教団体〈サイエントロジー〉であると云われております。あちらも、宗教と云うよりは自己啓発セミナーみたいなモノらしいですし。とすると、「コーズ・メソッド」と云うのは「ダイアネティックス」のことなのかしら。
 でもそれなら、本作はホアキン・フェニックスよりも、トム・クルーズとか、ジョン・トラボルタを主演にした方が良かったのでは。シャレになりませんか(まず出演してくれないでしょうが)。
 フィリップ・シーモア・ホフマンが教祖役であるのも、実はホフマンが〈サイエントロジー〉の創始者、L・ロン・ハバードに似ているからだと云われておりますが、どうなんでしょ。

 SF者にしてみれば、L・ロン・ハバードは新興宗教の教祖よりも、SF小説『バトルフィールド・アース』の作者として馴染み深いですね。信者であるトラボルタが私財を投じて前半部分を映画化し(2000年)、翌年のゴールデンラズベリー賞を総ナメにすると云う伝説を打ち立ててくれました。続編はないのかしら。〈サイエントロジー〉も〈幸福の科学〉のように定期的に映画を製作してくれればいいのに。
 まぁ、云われて見れば何となく、ハバードはフィリップ・シーモア・ホフマンに似ていなくも無いけれど、フィリップの方がちょっとでっぷりしているような気がします。
 劇中では、特にフィリップがSF小説を書いている場面はありません(ソレは本筋ではありませんッ)。本筋は、ホアキンの人生の方です。

 ホアキン・フェニックスは海軍兵士として登場しますが、最初から何だか不健康です。精神的に病んでいる。
 他の兵隊仲間とは打ち解けず、しかめ面で砂浜に女体の砂人形を作ったりしている。ダッチワイフ代わりに砂人形を相手にヒワイなことしております。
 終戦を迎えて除隊となるが、まともな職にありつけない。何をやっても上手くいかず、トラブルを起こしては職を失い、逃げ出す羽目になる。

 このホアキンの負け犬人生が実に暗い。いいとこなし。一体全体、そこまで不幸なのは、何か原因があるのかと不思議に思うのですが、劇中ではあまり詳細には語られません。
 少年時代が不幸だったとか、戦争が始まり出征前に恋人にフラレてしまったとか、色々と経緯はあるようですが、これといって特定できる出来事ではないように思えます。
 何となく上手くいかず、何となく転落していく人生。気がつくと、どん底。
 他者とのコミュニケーションが下手で、躓くとすぐに暴力に訴えるようでは上手くいきようもないか。
 途中で上向きかけることもあるのに、自分からそれを放棄しているようにも見受けられ、生き方そのものが間違っているようです。

 それを救おうとするのが、ひょんなことから知り合う新興宗教団体の教祖、フィリップ。
 団体と行動を共にしながら、セミナーの助手として働き始めるホアキンです。次第に教祖を信頼するようになりますが、粗野で下品で暴力的な性行は治らず、教祖の妻エイミーからは疎んじられる。
 劇中では、ホアキンが下品な妄想に耽る場面がありまして、それをまたアンダーソン監督が詳細に映像化してしまうものだから、アメリカではR指定を喰らったようです。いきなり女性のヘアヌードが堂々と映されるので、驚いてしまいました。文芸作品だと、女優さん達も脱ぎっぷりがよくなるのでしょうか。
 あまりエロい場面ではありませんけどね。ショッキングではありますが。

 また、団体は新興宗教なので、やはり外部からは批判されたりもします。批判されると防御の為に攻撃的になるのはよくあることです。カルト団体にはありがちですね。
 信奉する教祖の手法に懐疑的な意見を述べるものがいると、ホアキンはすぐに暴力に訴えて批判した奴をボコボコにしてしまう。結果として団体の益になるようなことではありませんねえ。

 しかしまぁ、「溺れる者は藁をもつかむ」と云いますが、負け犬人生をなんとかしようとして、すがる相手を間違えているような気もします。
 大体、教義に「前世の記憶」がどうとか、「何兆年も前から悪と戦い続けている」とか、スピリチュアルなことを唱える人にすがろうという気持ちが、そもそも理解不能です。「何兆年」とはまた、なんと非科学的な。そんな空疎な言葉に感銘を受ける人もいるのがもっと驚きデス。
 それでも団体が存続していると云うのだから、それなりに納得している人はいるのでしょうか。信じてハッピーになれるなら、それもまた良しか(他人に迷惑かけなければ)。

 しかし、どう見てもホアキンは「そっち」には行けない人です。
 なのに盲目的にそれに従い、云われるがままにイメージトレーニングを続けて、それでいいのか。劇中でのトレーニングが、どうにも人間を洗脳しているように見えてしまいます。
 そしてそれでどうなるかと云うと、現実は変わらず、自分も変わらず、さっぱり上手くいってないことに気付くわけで、ここいらが限界のようです。

 教祖の方は相変わらず自信たっぷりで、二冊目の著作を出版したりしておりますが、よく見ると自費出版だったりするので、自分で云うほど世間にアピールできていないような……。
 そもそも二冊目の本の原稿は、何年も前にどこぞの砂漠の岩山の下に埋めておいた代物だと云う時点で、やっぱり信用出来んですよ。怪しすぎるでショ!
 あるとき、遂にホアキンはフラリと教団からいなくなってしまう。まったく唐突で、何を考えているのか判りませんが、事前に通告すれば引き留められるでしょうから、それはそれでいいか。

 とは云え、あまり事態も好転せず、意を決して出征前の恋人の自宅を訪ねると、既に他人と結婚していたりします。物事はそんなに都合良く運びませんね。
 数年間の断絶を経て、ホアキンは教祖と再会しますが、苦悩の色ばかりが濃くなっている。眉間にしわ寄せ、陰鬱な表情のホアキンが印象的です。まったく状況が好転していない。
 本作に於けるホアキンの苦悩っぷりは実に見事で、サスガはアカデミー賞主演男優賞候補になるほどであると感心するのですが、そればっかりなので観ていて疲れてしまいます。
 そもそも何故、苦悩しているのか判らないので、不幸せであることは理解できても、まったく共感できません。

 結局、どんな師(マスター)が付いていようと、自分で自分を救おうと思わない限りは、効果はないのか。
 ホアキンはあらためて教団と袂を分かった後に、別の場所で新たな女性と知り合いますが、そこで冒頭の場面がまた挿入されます。
 海岸で女体の砂人形と横たわるホアキンの図。
 そこにパティ・ペイジの「チェンジング・パートナー」の歌曲が流れてきて、エンディングとなります。どんなに相手を変えようと、所詮は砂人形と一緒にいるようなもの、と云うことなのか。

 最後まで不毛で、救われず、苦悩ばかりが濃くなっていくホアキンの負け犬人生に、光明がないと云うのも辛いです。この先も彼は不幸なままなのか。
 それなりに味わい深い作品ではありますが、二時間半近くつき合って救いなしですかいと、どっと疲れてしまいました。うーむ。


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