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2013年5月11日土曜日

東ベルリンから来た女

(Barbara)

 「東ベルリン」とタイトルにあるので、特に疑問に思うことなく、これは一種のスパイ・サスペンス映画なのであろうと考えておりました。勘違いも甚だしい。
 でも、ベルリンに東西の区分けがまだあった頃と云えば、ドイツ全体もまた東西に分断されていた頃であり、したがって冷戦の真っ最中で、諜報活動を行う各国スパイの皆さんが活躍していた時代ですよ。
 特に「西側のスパイ」が男性である場合──代表的なのはジェームズ・ボンドね──、「東側のスパイ」は大抵の場合、女性でありました。そんな映画を幼少時からたらふく観すぎたお陰で、もはや条件反射的な連想をしてしまうのはやむを得ないところです(よね?)。
 特に本作の場合、邦題が「東ベルリン」のみならず、「~から来た女」と続いている。これがまたル・カレのスパイ小説を思い起こさせてしまい、実に紛らわしい。
 いや、のっけから言い訳が過ぎました(汗)。

 本作は、ドイツのクリスティアン・ペツォールト監督作品で、監督は脚本も担当しておられる。今まであちこちで様々な賞を受賞している監督だそうですが、馴染みがありませんでした。
 本作もまた、昨年(第62回・2012年)のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞しておりますし、今年(第85回・2013年)のアカデミー賞外国語映画賞には、ドイツ代表として選出されていたとか(残念ながら最終的なノミネートには至りませんでしたが)。
 でありますから、決して出来が悪いわけではありません。スパイものだと勘違いしていたこちらが悪いのデス。
 いや、劇中には東ドイツの秘密警察〈シュタージ〉の役人達が登場したりするので、前半くらいまではエスピオナージュぽい展開になるのかと期待を捨てずに観ておったのですが……。

 時代背景は「ベルリンの壁崩壊」(1989年)に先立つ九年前、一九八〇年の旧東ドイツ。舞台はベルリンから離れたバルト海沿岸のとある小さな街。
 詳しい設定は語られませんが、市街地から自転車でちょっと走れば、すぐに海岸に出られると云う描写があります。特に「バルト海である」とも語られませぬが、東ドイツの海岸なんだからバルト海しかあり得ませんわな。
 本作はヨーロッパ映画らしく、説明台詞を極力廃し、淡々とドラマが進行していくのみなので、登場人物が何をしているのか把握するのにちょっと時間がかかります。

 地方の小さな街の病院に赴任してきた女医バルバラが本作の主人公。元は首都ベルリンの大病院に勤務していたらしいが、何かの理由で転属を命じられたらしい。
 まさに「東ベルリンから来た女」です。
 原題の “Barbara” がそのまま主人公の名前。邦題の方が趣がありますけどねえ。

 この女医バルバラを演じているのはドイツの女優ニーナ・ホス。ペツォールト監督作品によく出演しておられる、と云うことで必然的に馴染みがありませんです。ドイツ映画界では色々と受賞歴のある女優さんのようです。
 ニーナ・ホスに限らず、本作に出演している俳優さんは、馴染みの薄い人達ばかりです。
 唯一、ライナー・ボックだけは何作かお見かけしております。『戦火の馬』(2011年)に、『ミケランジェロの暗号』(同年)とか、ドイツ軍士官の役ばかりですが。
 本作ではライナー・ボックは秘密警察〈シュタージ〉の役人として登場です。

 馴染みがないとは云え、主演女優ニーナ・ホスの印象は強烈です。忘れ難い女優でした。
 常に仏頂面で、滅多に笑わず、こっちを睨んでいるような厳しい表情ばかり見せてくれます。その鋭い眼差しは、ちょっと忘れられそうにない。
 その上、タバコをスパスパ吸っているので、余計に近寄りがたい。都会から赴任してきたばかりなので、病院内でもちょっと浮いた存在です。
 ただ、愛想はないが、医者としてはかなり優秀で、名医と呼んでも良さそうです。

 上司のアンドレ医師(ロナルト・ツェアフェルト)から話しかけられても、笑顔ひとつ返さない。故意に周囲と親しくしないように心がけているようです。
 「東ベルリンから地方に転属になった」ことも、都会でナニやら問題を起こして左遷されたのだろうと噂されています。
 序盤からそんな愛想のない主人公の行動をカメラは追いかけていくワケですが、行動に不審な点も見受けられます。

 勤務時間が終わると、真っ直ぐ帰宅せずに街の外に出かけていく。特に顔見知りではない人から、よく判らない包みを受け取ったり、紙片に書かれた場所に出向いては、ナニかを隠したりしている。
 この不審な行動の所為で、スパイ・サスペンスものであろうと云う勘違いが、しばらく続きます。しかも帰宅すると、秘密警察が押しかけてきて、強引に家宅捜索したりしますし。

 だが秘密警察も、特に何かを疑っているわけではないらしい。「単に帰宅が遅れた」から、家宅捜索していると語られています。「高学歴のエリート層」の所在が、数時間以上不明である場合には、手順に従った家宅捜索が行われるものらしい。
 たったそれだけの理由に、ちょっと驚きました。さすが共産主義国家の秘密警察。
 しかも捜索は部屋の中のみならず、身体検査にまで及ぶ。ゴム手袋をはめた中年女性が一緒にいて、シャワールームに連れて行く。はっきり描写されませんが、かなり屈辱的な身体検査であることが伺えます。

 一体、ここまでする必要あるのかとも思うのデスが、いたってごく普通のマニュアルに則った家宅捜索のようです。主人公の方も、もう慣れっこのようで、まったく騒ぐことなく淡々とこれに耐えております。強い女性です。
 劇中では、このワンパターンな家宅捜索が何回か繰り返されます。
 いかにもお役所仕事な感じですが、金と時間と人手の無駄のような行為にここまで労力を費やすあたりに、旧東ドイツの病んだ体制が伺えます。

 何回か家宅捜索されながらも、時折バルバラは郊外へ出かけていく。やがて、西側から来た男達と森の中で接触します。相手が「西側の男」であるのは、堂々とベンツに乗っているのですぐ判ります。
 やはり主人公は諜報員への連絡係か何かだったのか──と、思いきや。
 実は恋人であると明かされる。経緯は不明ですが、ベルリンにいたのであるから「西側の男性」と知り合う機会もあったのでしょう。
 淡々とした演出なので、そのあたりの事情は観ている側で察してあげねばなりません。
 劇中では最後まで詳しい経緯や背景は語られません。実にストイックです。

 劇中で何度か描かれる謎の包みの中身は、西側の恋人(マルク・ヴァシュケ)がこっそり送って寄こす差入れの品──タバコやストッキングや、時には金銭も──だったのだ。
 全然、機密情報じゃない。ちょっと拍子抜けではあります。
 何度か人目を忍んで逢い引きを重ね、密出国の段取りが整えられていきます。海岸に密かに迎えの船が来るので、それに乗ってデンマークへ脱出すると云う計画。
 旧東ドイツには西側への移住制度なるものがあったそうですが、社会に必要とされる人材には許可が下りる筈もない。優秀な医者であるバルバラには認可が下りなかったのだ。
 のみならず、移住申請を出した為に、逆に地方に左遷されたことが察せられます。秘密警察がマークしているのも、そういう理由か。
 劇中では、他にも西ドイツの男性と結婚して国外に脱出することを夢見るコールガールらしい女性も登場したりして、閉塞的な社会から逃げ出そうとする人達が描かれています。
 やはり漠然とした憧れみたいものがあったのですかね。

 全体として非常にストイックな演出が貫かれておりますので、主人公が感情的になることは滅多にありません。劇中でも、殊更に西側の生活に憧れているような様子もない。
 恋人から「こちらに来れば、僕の稼ぎだけで暮らしていけるよ」と云われてもあまり嬉しそうではない。恋人と一緒に暮らしたいとは思っていても、一方で医者であることに責任を感じているようです。

 ここで「西側の恋人」と対比して描かれるのが、職場の上司アンドレ医師。穏やかで誠実な人柄の医師であり、例え勤務時間外でも、相手が秘密警察のゲス野郎でも、分け隔てすること無く診察すると云う、医者の鑑のような人です。
 病院内ではバルバラと一緒に、難しいケースの患者を担当しています。

 劇中では、主人公と関わりを持つ患者が二人ほど描かれます。
 一人は「トルガウイ作業所」なる、劣悪な環境の強制労働施設から脱走してきた少女。髄膜炎に罹っており、更に妊娠の兆候も見受けられ、バルバラ以外の医者には決して診察させようとしないほど頼っている。
 もう一人は失恋から自殺未遂を図ったが、脳に障害が残っているように見受けられる男性患者。こちらは早急な手術が必要であると云われ、バルバラも麻酔担当医に抜擢されます。

 恋人が苦労して段取りしてくれた国外脱出の手筈を無にすることは出来ないが、患者を放り出して行くことにも抵抗がある。個人の幸せか、社会的責任か。
 板挟みになって苦悩するバルバラ。いや多分、苦悩しているのでしょう。あまり表だって感情を露わにしない人ですので、そこは観ている側が察してあげねばなりません。
 いつもは毅然とした態度の女性の挙動が、微妙に揺れているあたりで、相当迷っているのです(きっとな)。
 しかし国外脱出の決行日は刻々と迫ってくる。

 何となく先の読める展開ではありますが、ドラマは殊更に感情的になること無く淡々と進行していきます。
 症状が改善し、施設に連れ戻された脱走少女が再び施設から逃げ出し、バルバラに助けを求めてきたあたりで、もはや先の展開は顕かです。こんなときに「脱走少女はどうやってバルバラの自宅の住所を知っていたのか」なんて細かいツッコミを入れるのは野暮というものです。ストイックな演出なので説明していないだけで、どうにかして調べたのでしょう(きっとな)。

 自分の代わりに少女を脱出させ(その為に大事な手術をすっぽかしてしまいますが)、そのまま翌朝、何食わぬ顔で病院に出勤するバルバラ。
 その表情に後悔は無く、手術をすっぽかした事への謝罪も云い訳も一切しない。まったく強い女性です。
 あまりにも毅然としているので、観ている側の泣き所もナニもありませんが、静かな感慨を覚えるエンディングでありました。
 エンドクレジットに流れる歌曲が七〇年代のバンド、Chic(シック)のヒット曲 "At Last I Am Free" と云うのも意味深です。


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