2013年5月19日日曜日

アンナ・カレーニナ

(Anna Karenina)

 ロシアの生んだ文豪トルストイによる同名小説の映画化作品です。『アンナ・カレーニナ』は、昔から何度も映画化されたり、TVドラマ化されたりしてきておりましたが、ついぞ読んだことはおろか、映画化作品を観たこともありませんでした。
 世界的な名作なんですけどねえ。トルストイとか、ドストエフスキーとか、名前を聞いただけで尻込みしてしまいます。おかげでロシア文学方面はサッパリです。これではイカンか。

 トルストイの映画化作品と云えば、『戦争と平和』(1956年)もありましたが、これはTVで放映(これも日曜洋画劇場でしたかねえ)された際に観た覚えが──オードリー・ヘップバーンとヘンリー・フォンダですし──あるものの、随分と原作からはかけ離れた代物であると云われております。ソ連映画の四部作に至っては、パッケージの圧倒的物量の前に観る気も起こりません。
 トルストイ関係だと、クリストファー・プラマーとヘレン・ミレンが出演した『終着駅/トルストイ最後の旅』(2009年)は観ました。二人揃ってアカデミー賞にノミネートされておりましたからね(2010年・第82回)。おかげで、かの文豪の後半生だけは、ちょっと囓ることが出来ました。

 さて、その『アンナ・カレーニナ』ですが、昔からグレタ・ガルボだとか、ヴィヴィアン・リーだとか、名だたる女優が演じておられますが観たことが無い。一度、ソフィー・マルソーがアンナ役を演じたバージョンがありまして(1997年)、そのときはちょっと観ようかなと思ったりもしましたが、結局はスルー。
 ソフィー・マルソー版では、ショーン・ビーンがヴロンスキー伯爵役であったので、今にして思えば観ておけば良かったか。
 結局、原作も読まず──岩波文庫も新潮文庫も上中下と三巻もある。光文社の古典新訳文庫に至っては全四巻に分冊されてッ──、過去の映画化作品も観ないまま、劇場まで足を運ぶことに。上映時間は一三〇分ですが、あの原作の分量から察するに、かなり省略されているところがあるのでしょう(多分)。

 予備知識も何もないまま、「世界的名作が原作」だとか、「アカデミー賞にノミネートされている(美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞、作曲賞)」だとか、「キーラ・ナイトレイやジュード・ロウが出演している」だとか云う理由だけで観たのでした。
 結局、アカデミー賞(2013年・第85回)の方は、衣装デザイン賞のみの受賞となりましたが、絢爛豪華な背景と、きらびやかな衣装は一見の価値ありでしょう。
 個人的には、本作には美術賞とか、撮影賞の方で受賞して戴き、衣装デザイン賞の方は『白雪姫と鏡の女王』の石岡瑛子さんに受賞して戴きたかったのですが……。残念。

 先述のとおり、本作のアンナ役は、キーラ・ナイトレイです。アクション重視のエンタメ作品にも、格調高い文芸作品にも分け隔て無く出演されておりますね。最近だと、『危険なメソッド』(2011年)や、『エンド・オブ・ザ・ワールド』(2012年)でお見かけしました。
 本作では、一九世紀のロシアを舞台に、政府高官である夫(アレクセイ・カレーニン)と、若い青年貴族(ヴロンスキー伯爵)の間で愛の板挟みになって苦悩する人妻を演じております。
 うーむ。不倫がテーマの恋愛ものだったのか……(そんなことも知らずに観に行ったのデスヨ。予備知識が無いにも程がある)。

 アンナの夫、政府高官のアレクセイ役が、ジュード・ロウです。ガイ・リッチー監督の「シャーロック・ホームズ」シリーズのワトソン博士や、『コンテイジョン』(2011年)、『ヒューゴの不思議な発明』(同年)と、最近はあちこちでお見かけしますね。
 本作では、物静かなお堅い官僚の役です。丸いメガネが実によく似合っています。
 一方、アンナの不倫相手、青年貴族にして陸軍将校のヴロンスキー伯爵役が、アーロン・ジョンソン。『キック・アス』(2010年)のヲタク青年とはガラリと変わりましたねえ。『アルバート氏の人生』(2011年)以降、文芸作品づいておりますな。でもB級映画にも帰ってきて欲しい。『キック・アス2』とか。
 イケメンで若いくせに口髭を生やした、いかにも苦労を知らずの青年貴族といった風情です。

 監督は、ジョー・ライト。前作の『ハンナ』(2011年)は正直、イマイチなサスペンス・アクション映画でした。やはりライト監督は、『プライドと偏見』(2005年)とか、『つぐない』(2007年)といった文芸作品の方が似合っているようです。
 本作はもう堂々たる古典的文芸作品。歴史ロマンな大恋愛映画であり、構成も判り易く整理され、見た目も非常に面白く仕上がっているように思われました。
 これはトム・ストッパードの脚本のお陰もあるのでしょう。『恋におちたシェイクスピア』(1998年)でアカデミー脚本賞を獲ったお方ですから。

 特に個人的に恋愛モノは守備範囲外である私にとっては、本作の演出の妙の方が興味深かったです。
 古典文学をそのまま映画化するのではなく、舞台劇にした上で映画にしてしまうと云う二重構造になっており、非常に手の込んだ背景や、編集が印象的です。
 舞台の上で、演劇としての『アンナ・カレーニナ』が上演されているようで、シームレスにリアルな映画の世界に繋がっていく演出が見事です。
 テリー・ギリアム監督が『バロン』(1988年)や『Dr.パルナサスの鏡』(2009年)なんかでも使っていた手法を大々的に取り入れております。

 場面転換も、映画なのだからすんなりカットを切り替えれば良さそうなものを、いきなり背景の舞台装置がガラガラと動き始め、役者は舞台上から動かないまま、ある場所からある場所へ移動したように見せる。
 そして場面転換が済んでから、おもむろにまた映画としてドラマが動き始め、カメラが回り込んだりすると、いつの間にやら舞台はどこかへ消失しており、リアルな背景が背後の空間に広がっている。実にファンタスティックです。

 かと思えば、役者が舞台の袖に引っ込んでいくのをカメラがそのまま追いかけていき、舞台裏に次の場面が用意されていて、そのまま舞台裏で次のシーンが進行していくといった演劇なのか、映画なのかよく判らないメタ的な演出が随所に見受けられます。
 舞台上では華やかな上流階級の場面を、舞台裏ではむさ苦しい労働者階級の場面を進行させると云う、劇場をそのまま帝政ロシアの縮図とする演出意図のようですが、凝りまくっておりますねえ。

 屋外での競馬のシーンも、無理矢理、舞台上で再現しようという強引さ。
 先刻まで野外でロケしていた場面だったのに、気がつくと舞台上に逆戻り。
 そして本物の馬が猛スピードで舞台上を駆け抜けていく。フツーならあり得ない状況を堂々とやってのける。屋外シーンを強制的に室内に持ち込む演出にも執念を感じます。

 そんなメタ的な演出を駆使しながらも、帝政ロシア華やかなりし頃の絢爛豪華な舞踏会も見事に映像化されます。このシーンの音楽と振付は見応えあります。
 メタ的な演出に手の込んだことをするので、舞台上のセットと、映画としてのセットやロケで、同じ場面を何度も別撮りしながら編集しないと、こんなことは出来ないと思うのですが、見事にやり遂げております。
 これだけのことをしているのに、アカデミー賞では美術賞も撮影賞も逃すというのが解せませぬ(美術賞は『リンカーン』、撮影賞は『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』)。
 いや、それより編集賞にはノミネートすらされんのか(編集賞は『アルゴ』でした)。

 もはやストーリー上でキーラ・ナイトレイの不倫の行方がどうなるかよりも、次の場面転換はどのようになるのかが気になって、背景の何が動くのだろうかとか、このままワンカットで次の場面に移行するのだろうかとか、そんなことばかり考えてしまいました。
 どうにも邪道的な鑑賞ですねえ。

 まぁ、その、本筋の方はデスね、キーラ・ナイトレイがあっちへフラフラ、こっちへフラフラと、ジュード・ロウとアーロン・ジョンソンの板挟みになって精神的にも追い詰められていくと云う、誠に三角関係の王道を行くような筋書きでありまして、あまり共感できるものでは無かったです。
 そもそも「不倫してしまう」と云う展開が大前提にあるので、キーラ・ナイトレイがアーロン・ジョンソンに一目惚れする過程に説得力が感じられませんでした(そこで躓いたらドラマにはならんか)。うーむ。これは偏見か。
 好きな人から観ると、気にならないのでしょうか。
 大体、ジュード・ロウのどこに非があるのか。実直な旦那さんじゃないデスか。

 まったくもってキーラ・ナイトレイの自業自得的展開で、不幸になっていくのもやむを得ません。不倫が世間バレして、社交界からも締め出され、追い詰められて精神的に病んでいくので、略奪愛に成功したアーロン・ジョンソンの方も、そのままハッピーにはなれません。
 結局、一人の女の為に、二人の男性が双方共に不幸になると云う、救われない結末です。それでいいのか。原作は古典的名作の筈なのになぁ。もう読まなくてもいいか(こらこら)。

 実は本作では(原作でもか)、アンナとヴロンスキー伯爵とアレクセイの三角関係だけではなく、もうひとつ別の恋愛ドラマが裏で進行していくという構図になっておりまして、そちらの方が興味深かったデス(個人的に)。
 こちらはヴロンスキー伯爵がアンナと恋に落ちた為に、そのあおりを喰らって失恋した令嬢キティ(アリシア・ヴィキャンデル)と、農村から出てきた地主の息子コンスタンティン(ドーナル・グリーソン)の恋愛ドラマです。
 情熱的なキーラ・ナイトレイとは対照的な、清楚で可憐なアリシア・ヴィキャンデルの方が好ましいデス(また偏見が)。

 ドラマとしてはサイドストーリーになりますが、コンスタンティンがキティを連れて故郷に帰った際に、故郷ではコンスタンティンの兄が異民族の女性を妻に娶ったが為に問題が発生していると云う状況がありました。
 兄は重篤な病に陥り余命幾ばくも無いのに、異民族の女が傍に居ると云うだけで、誰も看病を手伝おうとしない。それどころか使用人達ですら、屋敷から出て行ってしまうと云う有様。
 しかしキティは、異民族に対する偏見も無く、恋人の兄の看病に誠心誠意尽くすと云う、実に感動的場面です。
 いささか恣意的な演出ではありマスが、トルストイ先生がきっとそう書いているのでしょう。

 こうして不幸に転落していくカップルとは対照的に、実直で真面目に働き幸福になっていくカップルの姿も同時に描かれております。
 また、アンナの兄夫婦のトラブル──こちらも不倫騒動──も平行して描かれており、ケリー・マクドナルドがアンナの兄嫁役で登場していました。この兄夫婦の不倫騒動がドラマの発端ではありましたが、アンナの方が破局していくのに、いつの間にやらこっちは丸く収まっている。
 複数のカップルの様々な関係が多重的に描かれ、ドラマとしては厚みのある構成です。

 多少、教訓話めいたストーリーではありますが──不倫する者は不幸になり、改心したり、実直に生きる者は幸せになる──原作が一九世紀の古典文学でありますから、そこはそういうものだと割り切りましょう。
 ラストシーンの、妻に去られた後も子供達と静かな生活を送るジュード・ロウの姿にちょっと打たれました(人生に耐える男の背中だよなぁ)。




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