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2013年4月1日月曜日

魔女と呼ばれた少女

(Rebelle)

 今年(第85回・2013年)のアカデミー賞外国語映画賞のノミネート五作品の中の一本であり──受賞はミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』でしたが──、アフリカの民族紛争を描いた実にヘビーな一篇でありました。
 アカデミー賞の方は残念でしたが、第六二回ベルリン国際映画祭では主演のラシェル・ムワンザが女優賞を受賞しております(2010年に『キャタピラー』で寺島しのぶが受賞したアレね)。

 本作はキム・グエン監督、脚本によるカナダの映画ですが、カナダっぽいところは一切、ありません。
 かろうじて台詞がフランス語であるところが、今まで観たカナダ映画──『灼熱の魂』(2010年)とか、『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(2011年)とか──と共通していますか。カナダではそんなにフランス語が幅を利かせているとは、ちょっと意外です(偏った知識かしら)。
 舞台はアフリカのコンゴ民主共和国で、公用語がフランス語であるから、台詞も問題なし。

 昔見た世界地図では、あのあたりは「コンゴ」だったり「ザイール」だったりしておりましたが、今では再び「コンゴ」に戻っているのか。しかも「コンゴ」と名の付く国は二つあって、「コンゴ共和国」と「コンゴ民主共和国」が隣り合っています。ややこしい。
 本作の舞台は、「コンゴ民主共和国(旧ザイール)」であった方です。内戦やら紛争やらで、経済は壊滅状態。今や世界最貧国の一つだそうな。

 コンゴと云えば、マイケル・クライトン原作の冒険小説『失われた黄金都市』を思い起こしたりします。特にフランク・マーシャル監督によって映画化された題名が『コンゴ』(1995年)だったりしますが、本作とはあまりにも懸け離れております。本作にゴリラは登場しません。
 アフリカの民族紛争を背景にした映画では、テリー・ジョージ監督の『ホテル・ルワンダ』(2004年)、エドワード・ズウィック監督の『ブラッド・ダイヤモンド』(2006年)、マーク・フォースター監督の『マシンガン・プリーチャー』(2011年)などが思い起こされます。

 特に紛争に強制的に駆り出された少年兵を描いているところが、『マシンガン・プリーチャー』と同じで、これがもう実にエゲツない。
 あちらはスーダンでの民族紛争が描かれておりましたが、コンゴは国境の東側で、スーダンにも、ルワンダにも接しておりますし、本作でも状況は似たようなもののようです。
 平和に暮らしていた集落が、ある日突然、武装勢力に襲撃され、大人は虐殺、子供は拉致される。特に子供を兵士として徴用する際に、まず自分の両親を自らの手で殺害させると云う、あまりにも惨い描写が共通しております。
 銃を渡して両親の射殺を強要する。引き金を引かねば、俺たちがナタで斬り殺す。ナタで斬られて死ぬのは、痛いし辛いぞと脅迫する究極の選択。もはや両親も覚悟を決めて、ひと思いに撃て、お前だけでも生き延びろと、目で語る場面が壮絶でした。

 そうして生き残った少女が本作の主人公コモナ(ラシェル・ムワンザ)。本作はコモナが十二歳で子供狩りに遭い、反政府ゲリラの少年兵として戦場を渡り歩き、十四歳で出産するまでの数年間を追いかけていきます。実に過酷な人生です。
 冒頭から、コモナが生まれてきた赤ん坊に向かって語りかけるモノローグがナレーションとなって回想形式でドラマは進行していきます。

 主人公の視点で描かれるので、政治的な背景とかはほとんど判りません。敵が誰なのか、何故戦っているのか、それどころか自分が今どこにいるのかすらよく判らない。
 地理的な情報はほとんど明かされませんが、劇中に登場する大きな河は、やはりコンゴ川(あるいはその支流)なのでしょう。何となく海岸にいるような風景が映ることがあります。さすがアマゾンに次ぐ流量を誇る大河です。

 序盤で描かれるのは、拉致された十数人の少年少女に課せられる過酷な戦闘訓練です。吹き荒れる虐待の嵐。自分が日本に生まれたことを感謝せずにはおられませんデス。
 子供に重労働させ、与える食料は僅か。食い物をめぐって子供達が争い合う。ほとんど全員が映画初出演のコンゴ人キャストであるのが信じられぬほど、皆さん演技が達者です。
 そして実戦に投入され、そこで初めてコモナは亡霊を見る。
 赤道直下の熱帯雨林の中での戦闘なので、敵の姿もよく見えない。どこに敵が待ち伏せているのかも判らないまま進んでいかねばならないのが怖ろしいですが、不意に現れるのが敵兵ではなくて両親の霊と云うのもショッキングです。

 しかも劇中で描かれる亡霊は、実にアフリカ的です。日本の幽霊のように儚げな感じはまったくなく、実体を持った存在のように描かれております。
 しかも白い。アフリカ系黒人の全身に、小麦粉を振りかけたような、白い泥がこびりついたような、不自然な白さです(地肌の黒さが透けて見える)。しかも基本的に亡霊はフンドシ一丁。
 さすがに両親の亡霊だけは着衣のままでしたが、その他の霊はフンドシです。これが何人も現れ、あちこちの木々に登って、こちらを見下ろしていたりします。
 その上、全員白目です(演じている俳優はカラーコンタクトをしているのでしょうが)。
 アフリカ土着の霊魂崇拝と云うか、ウィッチクラフト的な呪術描写が不思議な映像になっておりました。怖くはなく、ホラー要素はありません(見た目にちょっとビックリしますけどね)。

 唖然とするコモナに両親の霊は「すぐに逃げろ」と告げる。その直後に、待ち伏せていた敵からの攻撃が開始され、生き延びた兵士はコモナ一人だけだった。
 一人だけ生き延びただけでも、他の仲間から疎んじられるのに、霊まで見えるとあっては気味悪がられて孤立するしかない。
 しかしその後も亡霊達はコモナの行く先々に現れる。やがてそれは評判となり、コモナは「魔女」と呼ばれるようになる。これが邦題の由来となります。

 コモナに何故、霊視能力が発現するのかは明確に説明されません。本当に霊が見えているのかも、ちょっと怪しいところであるとは思います。
 かなり主観的な描写ですし、劇中ではずっと「両親の遺体を埋葬していない」ことについて悔やみ続けているので、そういった心理状態が亡霊のようなものを見せているのかとも思われました。
 霊達も何かするわけでもなく、風景の中の一部のような感じだったりするので、霊からのアドバイスも自分の直感をそのように表現しているだけなのかも知れません。

 しかし迷信深い人達にしてみれば、それで充分らしい。反政府ゲリラのボスはコモナを近くに置くようになり、「ボスの女」と云うステイタスを得て、コモナの待遇も多少は改善されます。少しは娯楽も許されるようになりますが、ゲリラ達が見ているビデオ上映会は銃を撃ちまくるアクション映画なので、女の子向けでは無いか。
 暴力的な環境で暴力的な映画を見せると云う行為は、ある種の洗脳のように思われます。
 でもここでゲリラ達が観ている映画が、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『ユニバーサル・ソルジャー : リジェネレーション』(2009年)であったのでちょっと笑ってしまいました。

 そんな境遇の中でコモナは少年兵マジシャン(セルジュ・カニアンダ)と知り合い、次第に親しくなっていく。しかし兵士として日常的に殺し合っていれば、いつかは自分達にも死ぬ順番が回ってくる。
 ある日、マジシャンは戦闘の後でコモナを連れて脱走する。
 中盤の恋の逃避行が続いている間は、かなり平和な日々が戻ってきます。マジシャン少年も見た目はヤンキーな感じですが、本気でコモナに求婚します。このときコモナは十三歳。

 両親が健在の頃、コモナは男性のあしらい方をレクチャーされていたと云うのがユーモラスでした。もし男からプロポーズされて断りにくければ、〈白い雄鶏〉を条件にすればいい。
 アフリカでは、ニワトリの雄鶏に白い種は滅多にないらしい。しかしその条件をクリアすべく、本気で白い雄鶏を探し続けるマジシャン。
 都会で聞き込みをすると、大人達には何のことだかすぐに判ってしまい、何やら生暖かい目で見守られたりするのが笑えました。コンゴでも東側の山間部でなければ平和な場所があるのが救いです。
 そして執念で〈白い雄鶏〉を捕まえてしまうマジシャン。
 コモナは求婚を断り切れなくなりますが、この時点で既に片思いではなくなっていたので問題なしか。

 二人してマジシャンの親戚がいる村に戻ってきます。肉屋を営む叔父夫婦は若い二人を快く迎えてくれる。何故、両親ではなく、叔父夫婦なのかと考えると、マジシャンの境遇もコモナと同じであることが察せられます。
 これでやっとコモナにも幸せが……などと考えるのは甘かったですね。
 ゲリラの追っ手が突然現れ、裏切り者マジシャンからコモナを取り上げようとする。ここでまた二者択一。自分でマジシャンを殺すか、ナタで斬り殺させるか。
 もういい加減にしてくれと云いたくなります。まだ十三歳の少女に何と云う選択を。

 そこから先は、再び地獄に連れ戻されて過酷な境遇を味わうコモナですが、もはや最初の頃の言いなりになっていた子供ではない。愛する人を奪われ、苛烈な復讐を企んでいたと云うわけで、天誅を喰らうゲリラの隊長には、一片の憐れみも感じませんデス。
 何とかマジシャンの叔父夫婦の元に帰り着くものの、コモナの心中にはずっと両親のことが気にかかっていた。
 甥が殺された後も、その恋人であるコモナの世話を焼いてくれる親切な叔父夫婦には申し訳ないが、何としても一度は故郷に帰らねばならない。しかしこのときコモナは既に妊娠しており、身重の身体に長旅は毒である。
 引き留める叔父夫婦の元から、無理矢理コモナは飛び出していく。

 天涯孤独になり、一人で河を下りながら故郷をめざすコモナ。途中で、遂に一人で出産するショッキングな場面もあります。この時点でまだ十四歳の少女ですよ。辛酸なめまくり。
 やっとの思いで故郷に辿り着くものの、集落跡地は無人となり果てていた。説明はありませんが、誰かがまとめて荼毘に付してくれたような形跡も見受けられます。
 家屋の中から形ばかりの遺品を見つけ出し、一人で葬儀を行い、心の整理をつけるコモナ。これで両親を含めた亡霊達も成仏してくれるのか。森の中に立ち去っていくのがアフリカ的成仏でした。

 赤ん坊を連れてマジシャンの叔父夫婦の元に帰るコモナ。途中で拾ってくれたトラックに載っていた人々から親切にされたり、基本的にやはり人々は助け合いながら暮らしているのであるという描写が救いでした。
 エンディングで流れるアフリカ音楽も鎮魂歌のようで、過酷な現実の中にファンタスティックな描写もあり、終わってみればそれほど気が滅入るものでもなかったのが救いです。




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