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2012年11月9日金曜日

危険なメソッド

(A Dangerous Method)

 二〇世紀初頭のヨーロッパを舞台にして、精神分析学の草分けジグムント・フロイト博士と、若き精神科医カール・グスタフ・ユングの交流を描くという歴史ドラマです(伝記と云うほど二人の生い立ちや業績が語られるわけではなかったですね)。
 でも、監督があのデヴィッド・クローネンバーグであるので、ちょっと身構えてしまいました。
 クローネンバーグ監督は『戦慄の絆』(1988年)で同じように医者を扱った(あっちは外科医でしたが)サイコ・スリラーな映画を撮っているので、今度もそんなんだったらどうしようかとか、『イグジステンズ』(1999年)みたいに「夢の世界」を具体的にドロドロとグロテスクに描かれたらヤダナーとか考えておりました(そのときはきっとCG全開だ)。
 結論から申し上げると、予想していたようなグロ描写は一切無く、至極真っ当な歴史映画になっておりました。
 大体、いつも生と死を作品中に色濃く描写するセックス&バイオレンスなお方が、フロイトの映画を撮ると云うからには、何かあるのだろうと思われましたが、意外にもシンプルかつストレートな物語でした。濃厚なラブシーンもあるにはありますけどね(しかも倒錯的な)。

 音楽はいつものハワード・ショアです。この二人、付き合い長いですねえ(『スキャナーズ』(1981年)以来か)。
 本作には同名のノンフィクション小説が原作としてあり、更にソレが戯曲化され、そして本作となったのだそうです。戯曲を書いたクリストファー・ハンプトンが本作の脚本も書いています。この方は『危険な関係』(1988年)とか、『つぐない』(2007年)とかの脚本も書いていますね。

 心理学者を描くからと云ってサイコなスリラーにはならないのか。
 私はまたクローネンバーグ監督作品だから、フロイト博士が開発したスチームパンクな装置を駆使し、ユング博士が患者の精神世界にサイコ・ダイヴしたり、ミステリアスで奇怪な夢風景をフロイト&ユングの博士コンビが快刀乱麻の如く読み解いてくれたりするのかと、ちょっと期待していたりしたのですが(それじゃ伝記じゃなくて伝奇だ)。
 そんなSF紛いの超心理描写は一切ありません。実に真面目で正統派なドラマでした。

 でもヴィゴ・モーテンセンが出演していますし。やはりクローネンバーグ作品か。
 ヴィゴは『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年)、『イースタン・プロミス』(2007年)と近年立て続けにクローネンバーグ監督作品に出演しておられる。これでもう三本連続ですね。よほどウマが合ったのか、監督に気に入られたのか。
 本作でのヴィゴは、ドラマの一方の主役、心理学の巨匠フロイト博士を演じています。落ち着いた物腰に有無を云わせぬ威厳漂う押し出しが見事です。
 当所はクリストフ・ヴァルツが予定されていたそうですが(その場合は、もっと線の細いフロイト博士になったのか)、ヴィゴの方が似合っているように思われるのは贔屓目でしょうか。

 もう一方の主役、若き精神科医ユング博士を演じるのは、マイケル・ファスベンダーです。リドリー・スコット監督の『プロメテウス』(2012年)のアンドロイド役とはまた随分と印象が異なって見えます。こちらもヴィゴに負けず劣らず演技派です。

 ヴィゴ・モーテンセンとマイケル・ファスベンダーと云う玄人受けするような渋い配役に加えて女性が一人、ユング博士の患者として登場します。やがてユングと深い仲になるザビーナ・シュピールライン役がキーラ・ナイトレイ。
 キーラはマーク・ロマネク監督の『わたしを離さないで』(2010年)にも出演されていましたが、本作の演技も忘れ難い。
 もう冒頭からエンジン全開でトバしてくれるキーラの真に迫った統合失調症の演技は圧巻です。とてもこれがキーラ・ナイトレイとは思えぬくらい。今まで観た出演作の中で、本作が一番印象的です。
 キーラ・ナイトレイはハリウッド映画よりもヨーロッパ系の文芸作品に出演している方が似合ってますね。某海賊映画とかは忘れよう。
 本作は主演となる三人の演技派俳優の共演が素晴らしいデス。

 最後にもう一人、ヴァンサン・カッセルも出演しております。ヴィゴと一緒に『イースタン・プロミス』に出演しておりましたが、本作でも共演です。
 最近のヴァンサンは『ブラック・スワン』(2011年)に出演していたのを観ただけで、『ジャック・メスリーヌ/フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男』(2008年)や『マンク/破戒僧』(2011年)はスルーしておりますが、健在デスね。本作では出番は短いながらも、精神的に不安定な怪しい男を演じております。

 しかしそもそも私は、ザビーナ・シュピールラインと云う女性のことを存じませんでした。フロイトやユングの名前は有名ですが。
 最初はユングの患者であり、後に研究助手となり、自身も精神分析家となって、その論文はユングやフロイトにも影響を与えたというから、凄い才女ですよ。しかも後年、日記が発見されて一時期はユングと愛人関係にもあったとことが暴露されたとか。
 本作ではそのあたりのことが赤裸々に描かれておるワケで、ほぼ史実だそうな。クローネンバーグ監督は史実を史実として描くことに傾注したそうで、建築物や人物の衣装に対する時代考証も怠りなしと云う感じデス。
 ヴァンサン・カッセルの役すらフィクションではなく、実在の人物だそうです。見た目は、性欲全開のエロ親父なんですけどねえ(世界初のフリーセックス提唱者というのがナンカ凄い)。

 物語の背景は第一次大戦前夜であり、一九〇四年から始まり、断続的に間を空けながら一九一六年まで続いていきます。開戦ちょっと前までですね。
 時代を表すようにフロイトの「アーリア人を信じてはいけない」とか「我々はユダヤ人だ」とか云う台詞も見受けられます。
 劇中では、フロイトとザビーナはユダヤ人で、ユングはドイツ人(国籍はスイス)だったことに言及され、高名な学者先生と云えど、人種的偏見からは逃れようが無かったのが伺えます。
 もっともこれが本当に人種的偏見だったのか、研究に対する姿勢の相違から来る対立を誤魔化していたのかは定かではありませんが。

 まずは一九〇四年のスイスから。
 チューリッヒの近郊の精神病院に勤める若き精神科医ユング医師の下に統合失調症の女性ザビーナが担ぎ込まれます。
 このときのキーラ・ナイトレイの狂乱演技は只者では無い。鬼気迫る演技と云ってよろしいでしょう。
 ユング医師は当時既に高名な精神分析医だったフロイトが提唱する画期的な治療法「対話療法」を、この新しく受け持った患者ザビーナに実践しようとする。

 対話療法というのは、医者と患者の問答がメインにした精神分析と治療の手法であるそうで、患者の方にも知的であることが要求され、しかもユングの場合は患者がドイツ語を喋ってくれないと困るので、なかなか実践できなかったそうな。この治療法が本作の題名でもある「危険なメソッド」と云うわけですね。
 「危険」と云っても、物理的な危害が生じるわけでは無く、医者と患者が精神的に深く結びついてしまうと云うのがアブないと云うのが判ってきます。

 治療の過程でユングはザビーナの錯乱の原因が幼少時の児童虐待であることを突き止め、同時に彼女が本当は深い知性の持ち主であることを知る。
 そして治療の過程で、やがてザビーナはユングの助手を務めるようになり、更に医師と患者の境界を越えて恋愛関係にまで発展していく。しかもザビーナのトラウマは性的な衝動と分かちがたく結びついており、恋愛関係もかなり倒錯的に発展していく。
 要するにSMなのですが。

 このあたりのSM関係をエロエロに描くのでは無く、文学的に抑えた緊張感でギリギリと描写する演出にクローネンバーグ監督の手腕を感じました。
 同時にキーラ・ナイトレイの女優魂も感じます。御本人は演じるに際して相当に悩んだそうですが、演るときはやるひとだ、キーラ。
 本作は第一にキーラ・ナイトレイの映画であり、次にマイケル・ファスベンダーが来ます。残念ながらヴィゴ・モーテンセンはちょっと脇役ぽい。

 そしてユングが尊敬するフロイトに治療経過を報告し始めたことから、それが縁となり親交が深まり、やがてフロイトはユングを自分の後継者と見なすまでになっていく。
 当所はフロイトとユングの関係も良好で、師弟関係にあると云ってもいいくらいです。年齢も離れているので、教師と生徒、あるいは父と息子のようでもあります。
 しかし年齢と性格的にフロイトはちょっと押しが強い。ユング相手に上から目線になるのはやむを得ないことなのでしょうし、ユングがフツーの医者であったなら、二人の関係はまったく差し支えなかったことでしょう。

 しかし研究者としてのユングは、やがてフロイトの姿勢に疑問を抱き始める。フロイトは実用主義的であり、既存の学問の範囲から離れようとしない。
 ユングは精神分析には超心理学の導入まで考えており、常識的に見るとオカルトに傾きかけているように見えます。私もユング先生の手法は如何なものかと……。
 その上にフロイトはユングの不倫関係の仲裁まで務めるので、何となく公私にわたってギクシャクしていく。

 やがてユングとザビーナは破局し、今度はザビーナはフロイトに師事するようになる。
 同時にユングとフロイトにも決別の時が訪れる。原因は学問的な方向性の相違か、人種的なものだったのか。或いはユングに対して、自分の夢の内容を決して明かそうとしないフロイトの態度だったのか(年下の若造に己の深層心理を読まれることに抵抗があるのは理解できますが)。

 男女の三角関係を描いたドラマではありますが、これはまたアカデミックな三角関係です。
 結局、最終的に勝利したのはユングの奥さん(サラ・ガドン)であるように思えます。夫の不倫を容認しつつ、でも愛人には決して夫を取られること無く家庭を守りきったワケで、実にしたたかものを感じました。
 クローネンバーグ監督品とは思えぬほど、渋く抑えた歴史ドラマでありました。




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