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2012年9月8日土曜日

それでも、愛してる

(The BEAVER)

 『リトルマン・テイト』(1991年)、『ホーム・フォー・ザ・ホリデイ』(1995年)に続く、ジョデイ・フォスターの三作目の監督作品です。随分と間が空いてしまいましたね。やはり女優と監督の両立は難しいのか。

 本作の主演はメル・ギブソン(以下、メルギブ)で、〈鬱病〉を題材にした家族のドラマです。ジョデイも共演しています。ふたりは夫婦の役。
 メルギブが〈鬱病〉にかかる旦那さんを演じるという、今までのアクション主体の作品とは一線を画する役ですね。もうタフガイだけではないのか。
 メルギブは本作で、役者として新境地を拓いたとも云われております。確かにこんなメルギブを観るのは初めてでした(なんせこの前が『復讐捜査線』(2011年)でしたからな)。
 本作は米国版『ツレがうつになりまして。』(2011年)と云うべきか。但しネタが〈鬱病〉と云うだけで、随分と異なるドラマになっておりますが。

 共演となるメルギブ一家の長男役がアントン・イェルチン、次男役がライリー・トーマス・スチュワート。そして長男のガールフレンド役がジェニファー・ローレンス。
 アントンは『スター・トレック』(2009年)以来、馴染みです。『フライトナイト/恐怖の夜』(2011年)にも出演しておりましたね。
 アントンの弟役のライリー・トーマス・スチュワートくんも、『一枚のめぐり逢い』(2012年)でザック・エフロン相手の達者な演技が忘れ難い(実は本作の方がデビュー作)。
 ジェニファーも『ウィンターズ・ボーン』(2010年)や『X-MEN : ファースト・ジェネレーション』(2011年)で観ております。
 結構、見知った顔が多く、地味なドラマの割に豪華な顔触れでした。

 しかしメルギブが〈鬱病〉にかかる過程、その治療経過のほとんどは冒頭のナレーションでサラリと流されてしまいました。
 とある玩具メーカーの二代目社長メルギブは、創業者の息子というだけでCEOの地位を世襲したが、それがプレッシャーとなって〈鬱病〉になる。
 あらゆる治療を試みたが効果はなく、会社の業績は悪化、家庭は崩壊寸前。
 メルギブは一日中、ただ眠って過ごす毎日。
 そして遂に別居を強いられる。

 夫婦で〈鬱病〉に向き合うとか、妻が献身的に夫を支えるとか、一切描かれることなくイキナリ別居ですか。いや、色々あったのでしょうが、本作ではそのあたりは一足飛びにスルーです。
 『ツレがうつになりまして。』とは随分と趣が異なりますねえ。よりシビアと云うか。
 パパが家から出てモーテル暮らしとなるというのに、悲しむのは幼い次男だけ。長男からは愛想を尽かされている。
 メルギブのどん底演技がリアルですわ。最近のメルギブにはあまり良いハナシを聞かないので、つい重ねて観てしまいます。

 別居すれば病状が好転するとも思えませんが(むしろ悪化するだろう)、それでも追い出すのか。同居し続けることによる家族への悪影響を配慮したのか。どうにもドライな感じがして、序盤はあまり共感できませんでした。
 案の定、モーテル暮らしを始めた途端に、メルギブは自殺を試みる。
 しかし「一日中、眠って過ごす」状態から、「自殺を試みる」状態に移行しているあたり、実は症状は改善している筈なのですが……。
 以前、聞いたハナシに拠ると、「本当にウツになると自殺する気力も無くなる」そうなので、鬱病患者が自殺するのは大抵、罹り始めか治りかけの頃だそうな。してみると、一番、目を離してはいけない時期に別居してしまったのか。
 ストーリーの展開上、必要とは云え、ちょっと迂闊すぎませんか、ジョディ。

 首を吊ろうとしても安普請のシャワールームでは支柱が体重を支えきれずに落下してしまい、今度は高所からの飛び降りを試みる。生きる屍のような状況に比べれば、自殺を試行錯誤するあたり、随分と改善しているのですがねえ。
 そのとき、誰もいない筈なのに、誰かがメルギブを呼び止める。

 メルギブの命を救ったものは、ビーバーのパペットだった。モーテルの駐車場に捨てられていたのを目に留め、何の気なしに拾ってきたのであるが、手にパペットをはめたまま、それを忘れて自殺しようとしていたのだった(だからかなり間抜けな図です)。
 ビーバーのパペットはメルギブの意思とは無関係であるようにメルギブ自身を叱咤し、無惨な自分の姿を罵り、立ち上がらせる。
 まるでビーバーが本当に命を得て喋り始めたようですが、無論そんなことはなく、メルギブの一人芝居に過ぎません。立ち直りたいと願う心が、ビーバーを喋らせるという行為となって現れているワケで、人間心理の複雑さが垣間見えます。

 ビーバーのパペットを左手にはめて、人形と会話するメルギブの演技がお見事です。気の弱いメルギブと、威勢の良いビーバーの一人二役をこなしている。
 アップになったときのビーバーの操作も、メルギブ自身が動かして台詞を喋っていたそうで、実はメルギブには人形遣いの才能があったのではと思うほどです。
 これで腹話術までやれば、もっとお見事なのですが、さすがにそこまでは無理か。

 腹話術師の隠された人格が、人形が喋る形となって現れるサスペンス映画がありましたね。アンソニー・ホプキンス主演の『マジック』(1978年)。
 あの作品ではアンソニー・ホプキンスが本当に腹話術を披露していたそうで、芸達者な人です。ついでに今、観直すとアンソニーのあまりの若さにビックリしてしまいますが。
 しかし本作ではメルギブは人形をパクパクさせながら、自問自答するだけです。過大な要求はメルギブに酷です。

 どちらかと云うと、気の弱い男の心の声が人形の毒舌となって現れるシチュエーションと云えば、懐かしの海外TVドラマ『ソープ』(1977~1981年)ですね。
 あの頃はビリー・クリスタルも若かった(吹替は三ツ矢雄二ですし)。
 あのドラマの中でジェイ・ジョンソン演じる気の弱い男チャック(広川太一郎ですよ)と毒舌人形のボブ(肝付兼太ね)の掛け合いは素晴らしかったです。ビリー・クリスタルが生きているうちに劇場版にリメイクされないものか(無茶か)。

 ビーバーを得てからメルギブは生まれ変わる。
 家族とまともな会話が出来るようになり、会社では経営方針を刷新する演説までやってのける。すべてはメルギブではなく、ビーバーが喋っているわけで、ビーバーを介してなら、押しが強くなるという描写が笑えます。
 しかし物語が、〈鬱病〉とはちょっと違う方向へシフトしているような気がします。
 それとも『ツレがうつになりまして。』も、こうすれば良かったのか。堺雅人もパペットと会話すれば、もっと早く何とかなったのでは(なりません)。

 多少、違和感を感じながらも家族はメルギブの変化を受け入れる。長男のアントンだけは別ですが。いい歳こいてパペットで会話する父親の姿も受け入れ難いか(難しい年頃だなぁ)。
 だがメルギブは元気になったものの、それ以来、常時ビーバーを着用するようになる。会社の業績は回復し、片腕ビーバーなCEOとしてメルギブは世間から注目を集めるが、それは決して尊敬ではなく、ちょっと可哀想な人として見られているのがイタいです。
 事態は好転しているようで、そうでもないのか。いつまで経ってもビーバーを外そうとしないメルギブにやがてジョディは苛立ちを覚え始める。

 どうにも奥さんであるジョディの態度に違和感を感じます。奥さんとしては、旦那にはマトモになってもらいたいと思うのは当然でしょうが、無理強いしてビーバーを外させようとする態度は如何なものか。
 『ラースと、その彼女』(2007年)のように、相手の異常は異常として、受け入れてあげることは出来ないものなんですかね。そりゃ、ビーバーをはめているのはヘンでしょうが、そこだけスルーすれば健常者と何ら変わらないところまで回復しているというのに。
 次男の学校でのイジメ問題も、ビーバーのお陰で解決したではないか(やはり小さなお子様には面白いパパなのでしょう)。

 奥さんの狭量な価値基準が破局を招いているような気がしてなりませんです。旦那さんを愛しているとは口にしますが、「正常でない旦那」は愛せないのか。
 奥さんは「早く元に戻って」もらいたいが、メルギブにとって「過去の自分に戻る」ことは苦痛以外の何物でも無い。夫婦の想いがすれ違うというのが辛いです。
 結局、無理に外そうとするメルギブに反旗を翻すようにビーバーが語りかける。
 「家族にお前は治せやしないぜ。お前を本当に愛しているのは俺だけさ」
 左手のパペットと本気で格闘するメルギブの壮絶な一人芝居。もはや〈鬱病〉と云うよりは〈多重人格〉。こんなサイコな展開になるとは予想外でした。
 挙げ句の果てに、メルギブはビーバーと決別する為に、電動ノコギリで左腕をッ!
 よもやのスプラッタ展開には唖然とするばかりです。

 実は長男アントンと、その恋人ジェニファーのエピソードもまた、本筋に関係するエピソードだったのですが、メルギブのエピソードとは接点が無いのが惜しい。
 こっちはこっちで、イイ話なんですけどね。
 優等生を演じることに限界を感じるジェニファーに、アントンが「自分を偽るのは止めろ」と尽力するエピソードで、メルギブとビーバーの関係にも通じるものがあったのですが。
 壮絶な流血(主にメルギブだけ)の果てに家族の絆は回復し、若いカップルも難局を乗り切るワケですが、その為にはここまでしなければならんのかと思うと、ちょっと疑問ではあります。

 不幸は突然襲ってくる。いつかは物事が良くなるなんて嘘だ。失われたものは戻らない。
 だが、人は孤独では無い。貴方の周囲には、貴方を助け、共に耐え、愛してくれる人がいるのだから。
 義手を装着してリハビリに励むメルギブと和解する息子の図はそれなりに感動的です。
 しかしここまで壮絶な物語だったとは。もっとハートウォーミングなものとばかり思っていました(汗)。




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