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2012年8月12日日曜日

Another アナザー

(Another)

 綾辻行人によるホラー・ミステリー小説の映画化ですが、実写版の公開に先駆けてアニメ版(全12話)も放映されておりまして、先にアニメ版を制覇した上で実写版の鑑賞に臨みました。原作の方は未読なので、どちらがどこまで忠実な映像化なのかは判りません。そもそも綾辻行人は、『十角館の殺人』も『緋色の囁き』も読んでなくて(汗)。
 それで、アニメと実写を両方観た結果、アニメ版の出来には大変満足しましたが、実写版の方は実に残念であったと云わざるを得ませんデス。

 まぁ、アニメ版の監督が水島努であったとか、キャラクター原案がいとうのいぢであったとか、オープニング主題歌が ALI PROJECT であったとか、アニメの方を贔屓にしたくなる要素は幾つかありますけどね。
 しかしそれ以前に、実写版の出来は……ヒドい。残念すぎる。
 アニメのシリーズに比べて、実写版の尺が短いのはやむを得ないでしょう。説明不足な点が出てきたり、省略されたりするのも、ある程度は覚悟しておりました。
 でも実写版だけ観た人──原作も読まず、アニメ版も視聴しなかった人──は、かなり釈然としない思いが残ったのでは。
 私はアニメ版を先に観ておいて本当に良かったと胸をなで下ろしました(橋本愛は別にして、総じてアニメの女の子の方が可愛いし)。

 本作の印象を一言で云うと、「理屈ぽい『ファイナル・デスティネーション』(2000年)」。
 とある地方都市を舞台に起こる連続死亡事故──殺人事件ではない──を描いたミステリアスな作品です。猟奇なサイコキラーなどは登場せず、事故それ自体に不審なところはないが、それがある中学校のクラス関係者にのみ限られて発生するという点が不思議なところです。
 クラス全体が「死に魅入られて」いる。

 二六年前の因縁話があり、それ以来、その学校の特定のクラスには「死者が紛れ込む」年が発生するようになった。死者が紛れ込んだ年は、新学期で必ず「机と椅子が一人分足りない」のですぐに判るが、肝心な「死者が誰なのか」が判らない。
 関係者の記憶も、物理的な記録も、すべてが改竄されて確認できない状態となる。まさに「死の座敷わらし」状態。
 しかも「死者自身にも死んでいる自覚がない」ので、ますます生者と見分けがつかない。
 ただ、それが発生した年には、新学期から翌年の学期末まで、「毎月、誰かが死んでいく」現象が発生する。学期末と共に「誰が死者だったのか」が判明し、その者は消失するが、すべては後の祭り。
 この現象を止める術はあるのか。

 『ファイナル・デスティネーション』に比べると、ルールが多岐に渡るので、ちょっと省略するだけでツッコミ処満載になってしまうのが辛いところです(多分、原作ではキチンと説明されているのでしょうが)。
 そんなに死亡事故が多発するなら、何故クラス替えしないのか、とか。転校や登校拒否になる生徒はどうするのか、とか。理由が判らなくても、統計上死亡事故が多発すれば、学校側だって何か対策を講じるだろうに。
 何より過去何度も発生している現象ならば、転入生とかのイレギュラーな事態への対策もそれなりに出来ていそうなものなのに、実写版ではそれが無い。一応、アニメ版には──あまり役には立ちませんでしたが──「対策係」なる役職が設けられていました。

 物語には幾つか仕掛けがあって、主人公の転入が五月であったので事情が判らない点や、学校以外の場所で先に主人公が「謎めいた少女」と出会ってしまっている点などがあって、序盤は実にミステリアスに進行していきます。
 それはアニメ版でも実写版でも変わりません。
 クラスの皆が無視している少女は、ひょっとして自分にしか見えない幽霊なのかという演出はなかなか面白いです。

 共通しているのは、リアルな球体関節人形が関係するあたりで、映像的にはどちらも見事な出来映えです。人形そのものは実写版の方が見事なくらいで。人形作家〈恋月姫〉の作品は芸術品ですね。
 でも実写版では使い方がイマイチで、変なところで同じ人形を使用するので、何か関係がありそうで実はナニもないという不自然な展開になりました(二六年前から霧果さんは人形師として営業していたのか?)。人形を印象づけたい気持ちは判りますが。

 でもまず、見崎鳴──橋本愛の演じるミステリアスな少女──がねえ。
 橋本愛と云えば『貞子 3D』(2012年)での「かわゆすぎる貞子」が評判でした(『告白』(2010年)にも出演されていましたが)。
 美少女であることに疑いはない。黙って立っている分には、まったく申し分ありません。
 『BLOOD-C』(2012年)では、声優に初挑戦して浮きまくっておりましたが、本作での見崎鳴役は寡黙な役だから大丈夫と思っていたのに……。
 序盤はまだ良かったが、中盤を過ぎてからの主人公に打ち解けた自然体の演技との落差が激しく、どうにもミステリアスな時は演技が不自然なまでに堅く感じられました。全編をそれで通してくれれば、まだ統一感もあったのに。

 また、眼帯の下が義眼である設定はいいのですが、やはり実写では、カラーコンタクト状態(それともCGで瞳に彩色しているのか)。
 だから両眼の瞳が色違いには見えるのですが、義眼には見えません。橋本愛が視線を泳がせると、義眼も一緒に動くので、どうにも義眼らしくない。「ピーター・フォークのように斜視になれ」とまでは云わないにしても、もう少し何とかならぬものか。撮り方でカバーするとか。
 それに、白目部分はそのままなので、目がアップになると義眼に血管が走っているのが判るのが、チト興ざめでした。CGで修正して欲しい。

 謎めいた台詞──「もう始まっているかも知れない」──も、アニメ版を観ていないと意味不明な点なのも如何なものか。ちゃんと理由があって、そう云っているのが実写版では判りません。
 低予算ホラー映画なのだから、血糊がチャチ臭いとか、役者の大根演技が多いとか、切断された生首がつくりもの臭いとか、そういうのは大目に見られるのですが。
 B級映画の様式美だと思えば。
 しかし予算が無いことに胡座をかいたような手抜きの演出が随所に見受けられ、予算以前に作り手のセンスと情熱が欠けていると感じられたのが残念です。
 これは視覚効果がどうこう云う以前の問題でしょう。

 かつて一度だけ、死の連鎖が止まった年があった。
 関係者の記憶ももはや定かではないが、夏休みのクラス合宿を行ったところ、そこで何かが起きて、秋からは誰も死ななくなった。その年、合宿で何があったのか。
 理不尽な死の連鎖にも、何らかのルールがあり、それを突き止めたものは生き残る、と云うのはいい。
 だから主人公達も、同じ場所で合宿を行う。クライマックスがその夏休みの合宿であり、惨劇の幕開けとなる予感がするのは大変、よろしいです。

 ただ、「夏休みの合宿」なのに、何故「全員が長袖」であるのか、判りません。暑くないのか、君たち! (その前の場面では制服が夏服なのに)
 合宿が行われる山中の施設にも枯れ草が生い茂り、さっぱり夏らしく見えないのも困ったところでした。舞台となる「夜見山市」がどこか明示はされませんが、北海道でも八月はもうちょっとマシだろう。
 ロケは四月から五月にかけて三重県で行われたそうです。伊賀はまだ寒かったのか。
 しかし監督たる者、役者が泣き言たれても「ここは夏の場面だ。全員半袖になれ!」くらい云えないものか。枯れ草も少しは刈っておけよ。あまりにも演出がいい加減すぎるでしょう。
 うーむ。でも橋本愛がブルブル震えながら「監督、寒いです」と訴えてきたら、それに抵抗できるだろうか。よし、じゃあ見崎鳴だけ冬服で、あとは全員夏服……。

 他にも、「閉鎖された旧校舎」が全然古そうに見えないとか。十数年後のエピローグで、まだ旧校舎が閉鎖されたまま建っていたりとか、あまりにも配慮に欠ける演出が多いと云わざるを得ません。それにしても、取って付けたようなエピローグでした(関係者の記憶も消えるという設定はどうした)。
 ああ、ツッコミ始めたらキリが無い。もっと不自然な展開が色々あるんですよ。

 ただでさえ実写版には不利な点があるのは判ります。原作には叙述トリックが使われていることが見受けられ、同じ「ミサキ」と云う呼び名が、苗字だったり名前だったりで別人を表していたりします。そして本作の叙述トリックの最たる点がその逆で、「同一人物を複数の呼び名で表現し、別人のように思わせていた」というトリック。アニメ版はここをギリギリで回避できましたが──アニメならではの様式美ですね──、実写でそれは無理。
 だからトリックをひとつ捨てざるを得ず、ラストのインパクトが減ってしまうのは仕方ないのですが、それにしても伏線くらいは張って欲しい。

 なんかもう橋本愛以外、見どころが少ない残念なホラーでした。アニメ版の赤沢さんが良かったので、実写版にも期待したのに……。
 ついでにエンドクレジットにも注文したい。綾辻行人は ALI PROJECT のファンだそうなので、実写版の主題歌も ALI PROJECT でお願いしたかった。「凶夢伝染」でイイじゃないか。




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