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2012年7月1日日曜日

ラム・ダイアリー

(The Rum Diary)

 反骨精神あふれる異端のジャーナリスト、故ハンター・S・トンプソンの小説を基にした映画と云うと『ラスベガスをやっつけろ』(1998年)がありますが、あちらもまた主演はジョニー・デップでした。そこでジョニーが演じたのは、トンプソンの分身のようなジャーナリスト。
 本作もまたトンプソンの自伝的小説の映画化作品で、主演も同じくジョニー・デップ。演じる役も同様に原作者の分身のような記者(一応、役名は異なる別人ですし、今回は頭髪もあります)。
 背景となる年代は本作が六〇年代、『ラスベガス~』が七〇年代なのでこちらの方が先か。まだ主人公は酒浸りな「だけ」ですし。
 本作に続けて『ラスベガス~』を観ると、トンプソン氏が酒に続いてドラッグにも手を出し、更にブッ飛んでいく様子が判りますね(笑)。

 どうもジョニー・デップはハンター・S・トンプソンのファンと云うか、親友であったそうで、本作の主演のみならず企画から製作も務めています。本作はジョニーの並々ならぬ熱意のおかげで映画化が実現したようです。
 監督はジョニーたっての希望でブルース・ロビンソンに。ロビンソン監督はもう引退していたのに、ジョニーの熱い説得に応じて監督を引き受けたとか。
 しかしブルース・ロビンソン監督作品と云うと、『ウィズネイルと僕』(1987年)とか、『ジェニファー8』(1992年)とかが挙げられますが、未見デス。唯一、私が知っているのは『キリング・フィールド』(1984年)ですが、こちらは脚本だけ(監督はローランド・ジョフィ)ですね。
 本作では、ロビンソン監督は脚本も書いておられます。

 本作は半ばトンプソンの自伝であるので、描かれるのも若かりし日々の物語。NYからプエルトリコの新聞社に転職してきた新聞記者が送る破天荒な日々を描いております。
 弱小新聞社の編集長役が、リチャード・ジェンキンス。
 相棒となるカメラマン役が、マイケル・リスポリ。
 地元のリゾート開発を企む悪党役が、アーロン・エッカート。
 その愛人役で、ジョニーと恋に落ちる女性が、アンバー・ハード。
 なかなか多彩な顔ぶれです。

 冒頭の青い海(カリブ海だ)と青い空がいかにも南国プエルトリコ。そこを飛ぶ真紅の飛行機が色鮮やかです。
 でもまたしても、「ジョニー・デップとカリブ海」かぁ(笑)。

 「最低な毎日は最高だ」──と宣伝にも謳われておるように、本作でのジョニーは実に冴えない新聞記者。のっけから二日酔いでボロボロ、充血しきった眼で登場です。なんかもう、最初からやる気ナッシング状態。
 それでも『ダーク・シャドウ』(2012年)のようなティム・バートン監督作品で素顔が判らない状態よりはいいか(笑)。ほぼ素顔なのは『ツーリスト』(2011年)以来ですね。
 職場もまたジョニーの上をいくダラケきった職場で、よくこれで新聞社が潰れずにいられるものだと呆れてしまいます。案の定、新聞社の経営は傾きかけているようですが、グータラな記者達は誰も心配していない。
 編集長だけが一人で血圧を上げているのが可笑しいです。

 強烈なラム酒(あまりにもアルコール度数が高いので、火炎放射できるほど)、闘鶏、ブードゥの祈祷師といったプエルトリコの風物が興味深い。
 スチールドラムの賑やかな音楽がいかにもプエルトリコらしくていい感じでした。
 それにしても登場人物達はどいつもこいつも浴びるようにラム酒を飲んでます。さすが『ラム・ダイアリー』と付けられたことはある。よくアル中にならないものです。いやもう既に脳がイカレているのか。

 ジョニーは先輩記者達とつるんで酔っぱらって騒ぎを起こし、現地の警察とトラブルになって、あわやブタ箱行きになりかけたところを、企業家サンダーソン(これがアーロン・エッカート)に助けられる。
 保釈金を払ってもらい、借りが出来たジョニーにエッカートが持ちかけたのは、地元のリゾート開発に関する擁護記事の執筆。海軍の演習地として使用されていた島を、軍の契約終了と共に大規模なリゾートとして開発しようと云うのだ。さして深く考えることなく引き受けたジョニーであったが、状況を知るにつれ抵抗を覚えるようになっていく。
 どう見ても法の穴を抜けて甘い汁を吸おうとしている上に、プエルトリコの美しい自然を乱開発で台無しにしようとしているのが見え見え。
 一方でジョニーは、エッカートの婚約者である女性(アンバー・ハード)と出会い、彼女に惹かれていく。
 アンバーの退廃的かつ刹那的に享楽を追い求める姿勢が危ういです。

 また、エッカートの金満家っぷりが印象的でした。六〇年代にして既に自家用車に電話が据え付けられている。時代を先取りしすぎですなあ。
 おまけに婚約者アンバーはペットのカメの甲羅を宝石で飾り立てている。このカメのデコられっぷりも素晴らしいです。金持ちのすることはワケ判らん。
 その上、いつもは愛想の良いエッカートですが、冷酷な一面もある。アンバーが自分の意に染まぬ行動を取るや、簡単に放り出す。
 縁切りされて放り出されてからのアンバーが急に質素で可愛くなるのに意表を突かれました。ガラッとイメージが変わるのが巧いです。

 この悪党エッカートの企みを暴いてやろうと立ち上がろうとした折も折、遂に新聞社は経営難で閉鎖されてしまう。編集長は逃亡。
 残された記者達は途方に暮れる。もはや仕事なし、金なし、ついでに女もなし。
 だがジョニーはめげない。何としても最後の新聞を発行し、エッカートに一矢報いねば納まらない。仲間を説得し、逆襲に転じようとする。
 それでも先立つものとて無ければ新聞は発行できない。最低でも二〇〇ドルは必要だ。

 藁にもすがる思いで闘鶏の勝負に最後の望みを託す。相棒マイケルの飼っていた鶏に、ブードゥの祈祷師に必勝のまじないをかけてもらい、闘鶏場へ乗り込むジョニーとマイケル。
 まじないが効いたのか、快進撃を続ける鶏は本当に二〇〇ドルを稼ぎ出してしまう。
 意気揚々と戻ってきたジョニーであったが……。
 新聞社はエッカートと結託していた銀行に差し押さえられ、印刷機は撤去されてしまい、社屋はもぬけの殻状態。
 クソ野郎共にしてやられ、ジョニーの逆襲は遂に実を結ぶことは無かった。

 ラストは相棒マイケルに別れを告げ、エッカートのヨットをかっぱらってアンバーと二人で船出する。その後、二人はNYに帰り着き、そこで挙式したとか。
 ひとつの物語が終わるとき、また別の物語が始まる──。

 いや、しかし……。こんなところで終わられても困ります。
 このエンディングにつきましては、如何なものかと思わざるを得ませんです。
 トンプソン氏としても、自伝的な小説だから完全にフィクションな結末は書けなかったのでしょうか。
 どう見たって、これは主人公が敗北した物語ですよ。失敗談にしか見えませんです。

 その後のハンター・S・トンプソン氏が如何にクソ野郎共から怖れられ、独特の作風で人気を確立していったかというのがラストシーンの字幕で説明されますが、なんだか負け惜しみのように感じられてなりません。
 それより知りたいのは、リゾート開発がその後どうなったのかと云うことなのですが、それについては何も語られず。きっとエッカートは大規模な開発で、地元を搾取しまくり大儲けしたのでしょう。
 悪事を暴こうとした側が逃げ出してお終いとは。

 伝説のジャーナリストにも、若かりし日には一敗地に塗れた苦い思い出のひとつもあったのだ、と云うことなんでしょうか。或いはこのときの記憶が、後に反骨ジャーナリストとなるきっかけだったのか。
 うーむ。スッキリしないです。本作を製作出来て、ジョニー・デップ自身は満足なのでしょうが。

 どうにもスッキリしないので、原作の方はどうなっているのかと、書店で手に取ってみたところ、映画のような展開にはなっておらず驚きました。あれは脚色だったのか。
 トンプソン氏の原作の方は自伝的青春小説といった趣であり、特にリゾート開発を企む悪党と対決するなどと云う構図もなく、ただ夏のプエルトリコでダラダラと過ごす若い記者の日常が描かれているだけのように思えました(いや、立ち読みなのであまり確信を持っては云えませぬが……)。

 原作小説がヘミングウェイ的と云う形容は正しいように思えますが、新聞社の閉鎖も淡々とした描写ですし、無論のことに闘鶏で一発当てようなんてクライマックス展開も無かったような(いや、立ち読みですから)。
 映画的な盛り上がりに欠けるから脚色されたのだとしたら、失敗でした。ジョニー・デップをヒーローのように描きたかったのでしょうか。
 それよりも青春映画であることを強調し、もっと南国の熱気に浮かされ、享楽的にたゆたうような雰囲気に仕上げた方が良かったように思うのですが、今の年齢のジョニー・デップでは青春映画にはなりませんか(汗)。




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