2012年6月1日金曜日

ミッドナイト・イン・パリ

(Midnight in Paris)

 今年(第84回・2012年)のアカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、美術賞と四部門にノミネートされたウディ・アレン監督の最高傑作とも呼び声の高いロマンチック・ファンタジーです(受賞は脚本賞のみでしたが)。確かにこれは良い。
 個人的にウディ・アレン監督作品のベストは、長らく『カイロの紫のバラ』(1985年)と『ハンナとその姉妹』(1986年)でありましたが、この順位も見直すときが来たようデス。

 本作はウディ・アレン監督から華の都パリに宛てたラブレターのようなものですね。ここまでパリを礼賛できるとは、惚れ込み方が凄い。ずっとNY一筋のお方で、近年はロンドンやバルセロナを舞台にした作品も撮っておられましたが、本作のパリの風景ほど印象的では無かったような気がします。
 もうストーリーそっちのけで、パリの街を映したショットが随所に挿入され、それがまた美しい。まさに観光気分です。
 そう云えば本作とアカデミー賞で競って美術賞を獲っていったのが『ヒューゴの不思議な発明』でしたが、あちらは「昔のパリ」を舞台にしておりましたね。

 本作ではウディ・アレンは監督と脚本のみで出演はせず、代わってオーウェン・ウィルソンがまるでウディ・アレンの分身のような役で登場します。煮詰まっている作家の役というのがいかにもです。でもNYのインテリではなく、カリフォルニアの脚本家と云う設定(その方がオーウェンらしいか)。
 オーウェンの婚約者の役がレイチェル・マクアダムス。
 残念ながら本作では、恋愛要素が希薄なのでオーウェンとの共演シーンは少ないです。

 オーウェンは婚約者レイチェルと共に、パリを訪れる。ハリウッドで売れっ子脚本家のオーウェンだが、最近は作家への転身を図りながらも、なかなか思うように書けないでいた。
 またオーウェンはロマンチストであり(ちょっとマニアックなところもある)、あまたの芸術家が集った一九二〇年代のパリに憧憬の念を抱いていたが、レイチェルの方はサッパリ共感してくれない。
 それどころか「雨のパリを濡れて歩きたい? ナニ云ってるの」と、オーウェンの願望を一笑に付し去るだけ。要するに風情が理解できない人です。

 なんかもう最初から破局する事が目に見えているような状態に思われるのですが、よく婚約しようなんぞという気になったものです。全然、性格的に合ってませんよ。パリに住むより、マリブに住みたいと云う点でも合ってません。
 レイチェルにしてみれば、稼ぎの良い脚本家の仕事を辞めようというのも理解できない。

 その上、偶然パリで再会したレイチェルの旧友と一緒にパリを観光することにも、オーウェンには抵抗がある。特に友人が同伴している恋人(マイケル・シーン)が、何とも知ったかぶりのエセ教養人で、ベラベラとウンチクを垂れ流して喋るとあっては、とてもついて行けない。ウマが合うなら観光ガイドとしては重宝しそうな人なんですけどね。でも謙虚とはとても云えない。
 基本的にオーウェンは人付き合いが苦手なタイプなので、出来るだけ口実を作って御一緒したくないことを表明しているのに、レイチェルの方が全然察してくれない。とうとうオーウェン独りを残して出かけてしまう。

 取り残されたオーウェンは、独りでパリを散策するうちに道に迷う。そしてそのまま真夜中の鐘が鳴り、オーウェンの身に不思議な出来事が起こる。
 憧憬の念にパリの街が応えてくれたのか、オーウェンは憧れの二〇年代にタイムスリップ。理屈抜きのファンタジー的展開が、ジャック・フィニイの小説のようです。
 どこからともなく現れる一台のクラシックカーがオーウェンを過去の時代に誘います。

 これで現地の女性と恋に落ち、『ある日どこかで』(1980年)ばりの恋愛劇になるのか──と、思いきや、そうはなりませんでした。一人の女性と親しくはなるものの、恋模様は淡い感じ。
 その代わり、知り合う作家達との交流がユーモラスに綴られていきます。実はこのタイムスリップは毎晩、行われるのでオーウェンは昼は現代にいて、夜は二〇年代に遊びに行くことを繰り返す。
 夜毎に出歩く態度を不審に思われても気にしない。

 そして綺羅星の如く登場する二〇年代の芸術家達。
 F・スコット・フィッツジェラルドに始まり、アーネスト・ヘミングウェイや、ガートルード・スタイン。画家のパブロ・ピカソ、音楽家コール・ポーターもいます。
 なかでもヘミングウェイがワイルドな好漢です。演じているのはコリー・ストール。

 これらの芸術家達の配役がさりげなく豪華です。
 フィッツジェラルド役はトム・ヒドルストンですね。『戦火の馬』(2011年)にもニコルズ大尉役で出演しておられたし、『マイティ・ソー』(同年)と『アベンジャーズ』(2012年)ではロキ神ですよ。最近、よくお見かけします。
 そしてガートルード・スタイン役は貫禄のキャシー・ベイツ。

 笑ってしまうのはサルバドール・ダリの役でエイドリアン・ブロディが登場したことですね。話し方が実にエキセントリックで、まさに奇人。他の映画でもダリを演じている役者さんは皆、あんな話し方をしているので、本物がそうだったのでしょう(笑)。
 本作では各キャラが、ちゃんと自分の母国語を話しているのがいいですね。英語にフランス語にスペイン語が飛び交っております。勿論、バイリンガルな人もいるので助かっていますが。

 作家と名乗ったことでフィッツジェラルドやヘミングウェイとお近づきになり、アドバイスをもらい、ガートルード・スタインにも自分の原稿を読んでもらって批評してもらう。一介の作家としては望外の幸いでしょうが、結構、度胸のいることですね。
 そしてオーウェンはスタインのサロンで、ピカソの愛人アドリアナ(マリオン・コティヤールですよ)と出会う。
 何度も現代と過去のパリを行き来しているうちに、次第に親密になっていくものの、婚約者とアドリアナの板挟みになって悩むオーウェン。

 しかしオーウェンの悩みは、偉大な芸術家からすれば些細なことなのか。
 「二人の女性を同時に愛せるものでしょうか」と相談すると、「まったく問題なし」と返される。
 まぁ、相談した相手が悪かったと云うか、サルバドール・ダリに、ルイス・ブニュエル、マン・レイといったシュールリアリズムの巨匠たちに相談してもねえ。
 大体、この人達に「僕は未来から来たんです」と云っても、全然驚いてもらえない。
 頭の中で常に時空を越えているような人達ですから「ああ、そう」でスルーされてしまう。

 面白いのは、マリオン・コティヤールもまた過去の世界に憧れているところですね。二〇年代こそ最高と思っていたのに、彼女は〈ベル・エポック〉(一八九〇年代)こそが憧れだと云う。
 そこから更に二人して、ベル・エポック時代へとタイムスリップ。二段落ちとは意表を突かれました。

 今度はロートレックに、ドガに、ゴーギャンまで登場しますよ。マキシムで食事をし、フレンチ・カンカンを観るというのは素晴らしい体験ですが……。
 しかしここでも過去を羨む気持ちはなくならない。ドガは云う「ルネッサンス期に生まれたかった」と。
 憧れの時代に生きる人々が、更に過去に憧れているとは何としたことか。

 そしてオーウェンは気付く。きっとどこまで行っても「昔は良かった」は続いていく。ドガ達にしてみれば、「ルネッサンス期こそ最高」でも、ミケランジェロは何と云うか。もっと昔に憧れていたかも知れない。
 この時代に留まろうと云うマリオンの誘いに躊躇うオーウェンは、遂に彼女に別れを告げて現代に帰還する。

 もう必要以上に過去の時代に拘泥しないと決意したオーウェンは、初めて積極的な行動に出る。これもヘミングウェイの影響でしょうか。
 婚約はきっぱり解消。これからは独りでパリに住んで創作活動に邁進するのだ。
 なんせ手元にはヘミングウェイとスタインが太鼓判を押した原稿があるのだから、この先も大丈夫。
 雨に濡れてパリの歩道を歩み去るオーウェンに幸あれかし(新たな恋の予感もありますし)。

 ところで夜な夜な出歩くオーウェンの素行調査を依頼された私立探偵がおりましたが、あの人はどうなっちゃったのか……。
 尾行しているうちにとんでもない時代に迷い込んだみたいです。ユーモラスと云うか、落語のようなオチでしたね(笑)。




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