2012年5月28日月曜日

さあ帰ろう、ペダルをこいで

(The World is Big and Salvation Lurks around the Corner)

 バックギャモンと云うボードゲームの存在は昔から存じてはおりましたが、ルールも知らないし、遊んだこともありません。しかしこの映画を観ると、なんかやってみたくなりました。そんなに白熱するものなのか。
 本作を観ていると、バックギャモンとは漢の嗜みであり、腕と度胸が試される高度に知的なゲームなのである──と云う気になります。NHK大河ドラマ『平清盛』にも登場しているし、歴史の古いゲームですね(世界最古のボードゲームのひとつ)。
 「♪初心者も名人も、皆が楽しめるバックギャモン~♪」だそうです。

 そしてバックギャモンと一緒に描かれるのが、邦題からも伺える自転車での旅行。本作ではドイツからはるばるブルガリアまでの旅の様子も語られます。自転車とバックギャモンと云う組み合わせが独特です。
 これは二〇〇八年製作のブルガリア/ドイツ/ハンガリー/スロベニア/セルビア合作映画。ブルガリアの映画なんて初めて観ました(勉強不足だなあ)。
 主演俳優はセルビアの──旧ユーゴスラビアと云う方がいいのか──名優ミキ・マノイロヴィッチ。既に還暦を過ぎておられますが、味わい深い俳優さんです。エミール・クストリッツァ監督の『パパは、出張中!』(1985年)とか『アンダーグラウンド』(1995年)で国際的に知られているそうな(題名くらいは聞き覚えがありますが、これまた未見なんです)。

 本作の監督・脚本はステファン・コマンダレフ。ブルガリアのドキュメンタリー映画監督として評価が高いそうで、本作は長編劇映画としては二本目ですが、あちこちの国際映画祭で受賞していると云うのも納得の出来です。
 原作はブルガリア出身の小説家イリヤ・トロヤノフの同名小説で、原作者も共同脚本に名を連ねております。日本ではまだ著作は翻訳されていないようで。
 ちなみに本作の原題は「世界は広く、助けは至る所に」の意。

 発端はドイツで起きたある交通事故。両親と息子(カルロ・リューベック)の一家三人が乗る車が事故を起こし、両親は死亡、息子だけが一命を取り留めるが記憶を失ってしまう。
 事故の報せを聞いてブルガリアから祖父(ミキ・マノイロヴィッチ)と名乗る男性が駆けつけてくるが、青年にとっては誰なのか覚えが無い。しかしこのまま入院していても、記憶が戻るあては無い。
 青年は祖父の用意した二人乗り自転車に乗って、祖国ブルガリアを目指す旅に出る。旅のお供は祖父が手作りしたバックギャモンのボード。実はこれは祖父から孫への誕生プレゼントだったのだ。
 別に旅費が無いから自転車旅行になるワケではありませんぞ(そこまで貧乏ではない)。これは記憶を取り戻す為の治療の一環なのです。

 物語は、冒頭の交通事故の瞬間を折り返し点にして、ブルガリアからドイツに至るまでの「往路の旅」と、祖父と共に故郷をめざす「帰路の旅」が交互に語られていくという趣向。
 青年は記憶喪失になってはいますが、物語の語り手でもあるので、そもそもの始まりからを語ってくれます。

 青年アレックスの生まれは一九七五年。東西冷戦もたけなわの頃であり、祖父は反骨の人として体制側からマークされている男だった。
 当時も今も、カフェに集う男達の楽しみと云えばバックギャモン(ブルガリアではそうらしい)。祖父は「サイコロのマイスター」としてその名を知られ、本名はヨルダンだけれど「二個のサイコロ」を振ることから〈バイ・ダン〉と呼ばれていた。
 そしてバイ・ダンの息子──アレックスの父──もまた、祖父に似て反骨精神旺盛であり、秘密警察からバイ・ダンを監視せよと強制され、ブルガリアから亡命することを決意する。
 そして一九八三年、妻と幼い息子を連れてブルガリアから、まずはイタリアに政治亡命するのだった。

 この「往路の旅」の状況が、実に悲惨です。青年の生い立ちを説明するだけで、すぐに終わるのかと思っていたらとんでもない。
 どちらかと云うと、本作の主題はこの往路の方にあります。帰路の自転車旅行の方よりも、描写に割かれる割合は往路の方が多いようでした。
 共産党政権下のブルガリアの状況、緊迫した国境越えの逃避行、そしてイタリアの難民キャンプでの悲惨な生活。ブレジネフ書記長の葬儀といった時事ネタも、当時のニュース・フィルムを挿入して語られます。

 ところで、つい最近も『ル・アーヴルの靴みがき』(2011年)でヨーロッパの難民キャンプの様子を観ましたが、本作の方がリアルかつ悲惨です。時代も場所も全然、異なりますけどね。
 八〇年代の難民キャンプの環境はひどい。あんな場所に何年も収容されたまま、飼い殺しに近い状態で留め置かれるというのが信じられません。まず第一に食事は「超」が付くほどに不味そうです(しかも毎日、同じメニュー)。
 食事が酷すぎて暴動が起きるというのも宜なるかな。
 一日も早くこんな収容施設から出て行きたいが、身元保証人も無く、国境越えの手引料が払えない者は施設から出て行ける見込みは無い。

 こんな難民キャンプでもバックギャモンは盛んであるという描写があります(他にやることも無いし)。ヨーロッパではポピュラーなゲームなんですね。アレックスの父もまた、祖父直伝のバックギャモンの名手であることが判ります。
 しかし父は今まで祖父から堅く禁じられ、守り続けていたある戒め──「バックギャモンに金銭を賭けてはならない」という──を破る決意を固める。
 父は外出許可を得て施設から出かけていき、とあるアンダーグラウンドな「賭けギャモン闘技場」みたいな場所で、家族の命運を賭けた大勝負に挑む。

 帰路の旅でアレックス青年は少しずつ記憶を取り戻していくワケで、その生い立ち、亡命の経緯などが語られていく演出はよく理解できます。でもどう考えてもこの「父が挑んだ大勝負」については知っている筈が無いのですが──と云うツッコミは無粋ですね。
 結局、父は勝利し、獲得した賞金でドイツ行きのチャンスをつかむ。

 この往路に比べれば帰路の旅は天国ですよ。景色の美しさは往路と対照的です。アルプス越えの背景は絶景と云ってもいい。
 どうやら祖父は敢えて往路を逆に辿るルートを選択しているらしいと察せられます。冷戦終結後の現代に於いて、ドイツからブルガリアへ帰る旅に、わざわざアルプスを越えてイタリアを経由する意味が他に考えられませんです。

 祖父バイ・ダンの心遣いが偲ばれますが、もちろん本人はおくびにも出さない。
 と云うか、この爺さんは旅の途中で、アレックスが医者から処方された内服薬を捨ててしまい、「こっちの方が効くわい」と酒瓶を押しつけたりする豪快な人です。それでいいのかとも思いますが、実際に青年の記憶は徐々に戻っていくし、結果オーライだからいいのか。

 そしてイタリアに到着。かつての収容施設がまだあったのが驚きですが、二〇年以上経って当時の難民仲間と再会できるというのも驚きでした。相手はすっかりイタリア人になっていましたが。
 この施設を訪れたことで、遂にアレックスの記憶は完全に回復され、故郷を出てからの人生がすべてつながる。実はドイツに着いてからの生活も、決して楽では無かったことを思い出しただけなのですが、それでも失われたものをすべて取り戻し、心には平安が訪れる。

 すると祖父はもう大丈夫とばかりに、翌朝には孫を残して一人で帰国してしまう。「ここから先は一人で歩め」と云わんがばかりです。厳しい爺ちゃんだなあ。
 置いてきぼりになったアレックスは残りの行程を自転車を漕いで単独走破します。イタリアからアドリア海沿いにセルビア経由でブルガリアへ。
 単独でも自信に満ちた顔で走破するアレックスの表情がいいです。それにしても大した脚力ですねえ。

 故郷にたどり着いた孫は祖母とも再会し、祖父と仲間達が集うカフェを訪れる。
 そして最後の大勝負が行われる。本作は最後までバックギャモン一筋です。
 祖父を相手に一進一退の攻防戦。どちらも決定打に欠け、最後はサイコロ勝負に。
 バイ・ダンが出したのは六のゾロ目。これを越えない限りアレックスに勝利はない。
 普通なら諦めてしまうところですが、二人旅で学んだ成果は無駄ではなかった。
 アレックスは祖父バイ・ダンに勝利するわけですが、どうすれば二個のサイコロを振って六ゾロに勝てるのか。本作を観た人だけはお判りですね(まさかあんなことが)。

 「どんな目が出るかはお前次第だ。最後まで諦めるな」という祖父の教えは人生訓にもなっていたと云うワケで、まことにバックギャモンは奥が深い。人生もまた勝ち負けの繰り返し。
 自分の人生を取り戻したアレックスがラストで見せる表情が印象的でした。


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