2012年4月12日木曜日

ヘルプ 心がつなぐストーリー

(The Help)

 キャスリン・ストケットの同名小説の映画化作品で、今年(第84回・2012年)のアカデミー賞作品賞候補にもなりました。他にも主演女優賞(ヴィオラ・デイヴィス)、助演女優賞(オクタヴィア・スペンサーとジェシカ・チャステイン)にもノミネート。
 結果的には作品賞も主演女優賞も逃しましたが、助演女優賞だけはオクタヴィア・スペンサーの方が受賞しました。ジェシカの演技もとても良かったのですが。

 本作でジェシカが演じるのは『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)や『英雄の証明』(同年)でのような、「静かに耐える女性」とは打って変わって、キャピキャピした空気読めない天然な女性で、実に可愛らしい。おまけにオクタヴィア・スペンサー演じる家政婦から呆れられるほど料理が壊滅的なまでに下手くそという設定になっている。
 当初は周囲の奥様連中からハブられていることにも気が付かないほど天然なひとです。そして当時にしては珍しく黒人に対する偏見がない。いい人だなぁ。

 物語の舞台は一九六〇年代のミシシッピ州。
 公民権運動に揺れるミシシッピと云うと、『ミシシッピー・バーニング』(1988年)が思い出されますが、本作の方は女性視点でミシシッピのとある街が描かれます。人種差別という深刻なテーマを扱っているのは変わりませぬが、ユーモアを交えたエピソードもあって、なかなか楽しい物語になっています。
 切ないストーリーをユーモアを交えて描こうと云う姿勢がいいですね。
 白人女性(エマ・ストーンやジェシカ・チャステイン)と黒人家政婦の友情が、旧態依然とした街を変革していくわけで、その原動力となったのが一冊の本。黒人家政婦達の悲惨な境遇を訴える実録もので、題名が映画と同じ『ヘルプ』。執筆するのはエマですが、インタビューに応えていくのは、ヴィオラやオクタヴィアの黒人家政婦達。

 本作では他にもブライス・ダラス・ハワード、シシー・スペイセク、メアリー・スティーンバージェン、アリソン・ジャニーと云った方々が出演しておられます。もう女優さんばっかりです。男性キャラは本作では影が薄いです、ホント。
 特に印象深いのはシシー・スペイセク。『キャリー』(1976年)と『歌え!ロレッタ愛のために』(1980年)で記憶に残っておりますが、いつの間にやらお年を召されておられる(そりゃね)。
 ブライス・ダラス・ハワードが黒人家政婦にイジワルする憎まれ役を演じており、シシーはその母親という役。本作ではこのブライスとシシーの母娘の関係が絶妙です。
 監督はテイト・テイラー。監督業の他に俳優でもあり、脚本家でもある。本作の脚本も書いておられる。『ウィンターズ・ボーン』(2010年)には出演していたそうですが、記憶に薄い(汗)。

 六〇年代のアメリカ。南北戦争中に奴隷解放宣言が出されたものの(1862年)、百年経っても人種差別はいまだに根強く残っているという時代。
 ジム・クロウ法なる法律が施行されており(州法として)、「分離すれども平等」を掲げて黒人の一般公共施設の利用を禁止したり制限したりしていた(どこが平等なんだ?)。
 ここで云う「黒人」とは、「白人でない人」全般を指し、混血だろうとネイティブであろうとお構いなし。十把一絡げに有色人種として扱っている。劇中でも「ニグロ」の他に「カラード」と云う言葉が使われております。
 おまけにミシシッピ州では「平等扇動罪」なる罪状まであって、出版物や公共の場で社会的平等やら異人種間結婚を奨励すれば、懲役もしくは罰金になるというから酷い。
 主人公達が本の出版に身の危険を感じるのも、このような法律があるからですね。

 「ジム・クロウ」と云うのは黒人を戯画化したキャラクターの名前で、白人のコメディアンが顔を黒く縫って黒人に扮するパフォーマンスに由来するのだとか。『ジョルスン物語』(1946年)なんかで見た記憶がありますが、今やあんな真似は出来ませんねえ(やったら訴えられますか)。
 『僕らのミライへ逆回転』(2008年)で、ジャック・ブラックがこのネタに挑戦しようとして皆から止められるというギャグな場面がありましたが……。

 ともあれ黒人を貶め、白人とは平等にはさせない風潮が根強い南部の街ですが、都会から帰省してきたエマの眼にはこれが奇異に映る。やはり北部の都会の方が進歩的なのか。
 高校の同窓だった友達も、ほとんどが結婚し、子持ちになっている。その中でも中心的な存在なのが、ブライス・ダラス・ハワード。
 婦人会でのチャリティ・パーティを企画したりしているのはいいけれど、同時に公衆衛生に関する法案を州議会で可決させようともしている。
 この法案、早い話が「黒人と白人のトイレも分けさせよう」と云う、お笑いの内容。
 黒人の使った便座には座りたくないという、なんかもう根拠もへったくれもない法案ですが、御本人たちは至って大真面目。潔癖症もここまで行けばビョーキだろう。

 全体が黒人差別の風潮と戦う物語ですが、ネタがトイレに関わる話なのであまり深刻にならず、ちょっと笑ってしまいます。
 とは云え、エアコンの無い時代の蒸し暑い南部で、掘っ立て小屋のようなトイレで汗だくになって用を足さねばならないというのは拷問に近い。おまけに悪天候で嵐が来ている時にまで、庭に建てたトイレへ行けとはあまりに酷すぎる。
 オクタヴィア演じる家政婦は堪りかねて家の中のトイレを使い、ブライスから解雇されてしまう。母シシーが使えと許可してくれているのに、ブライスは聞く耳持たない。

 劇中では年配の白人女性達は黒人家政婦には割と寛容な姿勢を見せているのに、若い奥さん連中が強固に反発しているように見受けられましたが、なんか理由があるのでしょうか。やはり婦人会とか、横の繋がりがある世代は、悪影響を受けやすいということなのか。
 かつては黒人家政婦に育てられ、しかも自分達の子供も黒人家政婦に任せっぱなしだと云うのに、どうしてそこまで不寛容になれるのか。
 劇中でヴィオラが我が娘のように育てる白人の少女に何度も言い聞かせる言葉が忘れがたいです。
 「あなたは優しい子、賢い子、かけがえのない子ですよ」
 本来は実の母親こそが云わねばならぬ台詞であろうに。

 黒人家政婦の境遇を見かねたエマは、これを公にして真実を明らかにしようと考える。元々が作家志望であるエマが、NYの出版社に打診すると、編集長は興味を示してくれたものの、十二人以上からインタビュー記事を取れないと出版できないと通告される。
 家政婦達にインタビューを試みるエマだったが、誰もが報復を怖れて口を閉ざすばかり。
 そんな中、一人の家政婦が窃盗容疑で逮捕される事件が発生し、家政婦達の堪忍袋の緒が切れる。

 本作は冒頭で、エマがインタビューを開始するところから幕を開け、ヴィオラがこれに応える形で回想式にドラマが進行していくわけですが、ここで最初のシーンに戻ってきて、場面がつながると云う趣向。
 「命がけで話すのだから、あなたも覚悟して頂戴」という台詞も怖い。このインタビューは真剣勝負なのです。
 そしてヴィオラとオクタヴィアに続いて、続々と現れる協力者達。
 迫害される黒人達のエピソードに混じって、親切だった白人のエピソードが披露されるのが、ちょっとだけ救いか。

 劇中では物語の合間に、ケネディ大統領の暗殺事件が報道される場面も挿入され、時代を感じさせてくれます。『ミシシッピー・バーニング』と同様にKKK団の黒人襲撃などにも言及され、緊張が走る演出もあります。決してユーモラスなだけの物語にはなっていない。
 このあたりの緩急つける演出は巧いです。

 インタビューは順調に進行していくが、あまりにも赤裸々な告白が続く為、いかに仮名を用いても関係者にはモロバレであろうと云うという懸念を払拭する為、オクタビィアが最高のエピソードを披露してくれる。
 あまりにも恥ずかしすぎる為、当事者が自分のことだと判っても、否定せざるを得ない秘密とは……。

 このオクタヴィアが披露する、エピソードは最高に可笑しいです。解雇された恨みを晴らす為、得意の料理の腕を振るってリベンジするのですが、このオクタビィア特製パイは、実に怖ろしい。ジョニー・デップが主演した『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)の、あの人肉ミートパイよりもなお怖ろしい。
 もう『処刑軍団ザップ』(1970年)も真っ青(笑)。

 かくして『ヘルプ』は出版され、大評判となり、公民権運動の一助となっていくわけですが、ブライズの悔し紛れの最後の嫌がらせには閉口します。誰の特にもならないことを、ナニが楽しくてやっているのか。自分の娘も犠牲にしていると云うのに。
 逆にヴィオラから哀れみの言葉までかけられてプライドはズタズタという有様には、ほんの少しだけ溜飲が下がりますが、事態は変わらない。
 それでもヴィオラに後悔の念はない。誇りを胸に歩み去るというラストシーンが感動的です。

 ヴィオラの胸の内を代弁するかのように、エンド・クレジットで流れる主題歌「ザ・リヴィング・プルーフ」──歌っているのはヒップホップ・ソウルの女王メアリー・J・ブライジ──は、なかなかの聴きものです。この曲もアカデミー賞主題歌賞にノミネートして戴きたかったなぁ。




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